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品品喫茶譚第34回「京都 出町柳ゴゴ」

「十三時四十分には戻ります」

ゴゴの扉にはそんな張り紙がしてあった。時計に目をやると十三時二十分。
旅先でもないし、何も急ぐことはない。私たちは店の前で待つことにした。
少しすると、若者二人組がやってきた。

「四十分ごろ戻るみたいですよ」

「ああそうなんすね」

扉を挟んで私たちは右手、彼らは左手みたいな感じで自然と壁に沿って待つ形になった。
ゴゴの目の前は大通りである。バス停も何か所か点在しており、学生・観光客・地元民が入り乱れている。ことに観光客の人たちには、なんだか小さな喫茶店にちょっとした列ができている、有名な場所なのかしらん、と思った方々もいたのだろう。みな一様に店の方をチラ見しては通り過ぎていった。行列ができるような店ではないけれども、ゴゴはとても雰囲気のある良い喫茶店である。その証拠にいつ行ってもお客さんが入っている。
 
私はかつてこの喫茶店を借りて「喫茶ボンボン」という曲のミュージックビデオを撮影したことがあるのである。
そのときは、ジム・ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』よろしく珈琲を何杯も注文して、テーブルにずらっと並べたり、ボブ・ディランの『サブタレニアン・ホームシック・ブルース』よろしく文字の書いた紙(喫茶ボンボンのケーキの名前が書かれている)をめくりまくって投げまくり店中に散乱せしめたりしただけでなく、ギターを弾き、歌い、なんとカウンターの中にまで立たせてもらったりしたのである。まさにやりたい放題だったわけだけども、色々なことを快く許容して下さった店主のおかげでミュージックビデオは無事に完成した。
かれこれ七、八年くらい前の作品ではあるけれど、いまでもとても評判が良く、中にはゴゴをボンボンの店内だと思っている人もいる(曲のモチーフになった喫茶ボンボンは名古屋・高岳にある)ものの、名古屋を訪れたらボンボンへ、京都を訪れたらゴゴへ、私の曲をきっかけにして店に足を運んでくださる方も多いようで、そういう話をお客さんから聞くたびにとても嬉しい気持ちになる。
 
さて、あと十分ほどで店主が戻ってくるはず。おっさんが一人、張り紙を見て去っていった以外に別段、列が増えることもなく、緩やかな時間が流れている。
そのうち大学生くらいの青年が一人歩いてやってきた。
彼は扉の張り紙を確認すると、私に向かって

「いまお店開いていないんですかあ?」

と言った。
いましがた張り紙を見ていたはずだがなあと思ったものの、無下にするほどではもちろんない。

「四十分ごろ戻ってくるみたいですよ」

と返答すると、返事があったのかどうだったか、青年はもう一組の若者二人組の方へとぬらぬらっと歩を進める。

「いまお店開いていないんですかあ?」

なんと、また聞いている。
わざわざ二組に渡って確認することだろうか。
ていうか張り紙ガン見してたよね。
まるで自分が信用されていないような感じさえして、ちょっと苦い気持ちになった私は思わず

「何遍も聞くことかね」

と、連れに耳打ちしてしまう。
当然ではあるが、若者二人組も青年に私同様の返答をしたのだろう。
青年は納得したのかどうか分からないが、若者二人組の横についてしばしもじもじと待ち始めた。途中、うろうろとどこかに消えたりもしたが、またぬらぬりっと戻ってきた。どこか落ち着きのないのが青年の特徴だった。
しばし凪の時間が過ぎ、いよいよあと数分で店主が戻ってくるといった頃合いになって、また青年がぬらぬれっと私たちのところへ歩み寄ってきた。

「もしよろしければ、向かい側にあるあの建物も喫茶店なんですけど、どうですか?」

何がどうですか、なのか。
ここに至ってはもはや彼が何を考えているのかわからず、ちょっと怖かった。しかし、私たちを観光客か何かだと踏んだうえでのおそらく親切なのだと思うことにした。

「大丈夫です。ありがとうございます」

また返事があったのかどうか、青年はふらふら私たちのところを離れると、ぬらぬろっと信号を渡りどこかに消えていった。
青年が立ち去った数十秒後くらいに店主が戻ってきて、店を開けた。
私たちはゴゴに入り、各々サンドイッチ、アイスコーヒーを注文した。
結局、それから青年が戻ってくることはなかった。


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