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品品喫茶譚 第60回『京都 鞍馬口 花の木』

自転車を撤去されました。一年前と同じ場所です。夕食をとるために滞在した十数分の間のことです。結構な夜でした。通報されたのでしょうか。わざわざピンポイントで撤去にやってきたようなタイミングでした。帰りはバスに乗りました。なかなか来なかったです。最寄りのバス停からは歩きましたよ。部屋の前で自転車のカギと家のカギを取り違えてバタバタしました。途中でビールを一本買っておきました。飲んだらすぐに眠くなって、気づいたらもう朝でした。

前回もそうだったが、自転車を取りに行かなくてはならない。取りに行かなくてはならない以上は多少楽しみを見出さなくてはやってられない。一年前はチロルに寄り、翡翠に寄って帰ってきた。そうやって少しでも自分の好きなものに触れることで、このただ遠くに自転車を取りに行き、3500YENも取られた上に、ひーこら自転車を漕いで家に帰るというそこそこ辛い苦行をマシなものにしなければやってられない。今回も途中で喫茶店によって乗りきろうと思った。
まず自転車置き場の近くには商店街がある。そこには二軒ほどいい感じの喫茶店があって、前回は片方が休業、片方が満席ということで断念したが、今回は何が何でもかましておきたい。と、勇んで商店街を歩いていったところ、やはりと言うべきか、また片方は休業、片方は満席であった。一年前とまったく同じである。いつか入れる日が来るのだろうか。その日はまた撤去された自転車を取りに来る日になるのだろうか。そう考えるとすごく悲しかった。

自転車置き場に着く。ふてくされた気持ちを、この人たちだって大変な仕事なんだ、色々な人から毎回嫌な顔をされて辛いんだ、と思うことによってなんとかいなし、無事自転車を受け取ると、私はできるだけこの間とは違う道を通って帰ることにした。それにしても暑い。少しでも楽しい気分を、と思って着てきたお気に入りのコートが暑い。シャツ一枚になる。クリーニングしたばかりのコートをささっと畳んで自転車のかごに乗せる。暑い。立ち漕ぎをする。暑い。信号で止まる。暑い。路地を曲がる。暑い。見紛うことなき春である。

結局、どこか見たことのあるような路地に出るころには、当初の予定とは大幅にズレ、何度も行ったことのある喫茶店に足が向かっていた。
花の木に来るのは久しぶりだった。少し気になったが店の前の路上に自転車を停める。ここは高倉健が愛した店だ。雰囲気もいい。店内には数人のお客がいた。一人の客ばかりだった。金色のトレイみたいな形のテーブルに陣取り、アイスコーヒーを注文する。隣では老人が重箱に入った弁当みたいなセットをむさぼり食っている。アイスコーヒーが運ばれてくる。やはりあのグラスだ。ななめったように見える変なグラス。私のお気に入りのやつである。ああななめっている。ななめって溶けていく。だらんだらんする。選挙カーがうるさい。人が安らいでいる時間にわーわー騒いで名前を連呼して、本当にそれで人が喜んだり、票を入れてくれたりすると思っているんだろうか。思っているんだろうなあ。

店を出る。自転車はちゃんとあった。少し足をのばして遠くのファミレスに行こうと思った。そこで私はたまに原稿仕事をするのである。そのファミレスはファミレスの中ではハイソなほうである。普段使いはしないが、ちょっとまとまって仕事をしたいときにちょうどいいのだ。ちゃんと自転車を駐輪場に停め、勇んで階段を登っていくと、あと数段くらいのところでもう待合スペースに結構な数の人がいるのが分かった。登った勢いのまますぐに下へ降りていく。一時間無料の駐輪場を一分で出る。
この足で最近閉店してしまったレンタルビデオ店を観に行こうと思った。店の前に立ち尽くし、がらんどうを覗き見る。それなりの感傷があるはずだ。自転車を漕ぐ。暑い。信号で止まる。暑い。風が吹き抜ける。暑い。見紛うことなき春である。が、夜はまだまだ寒い。
レンタルビデオ店のあったところはすでに更地になっていた。建物がなくなると、土地はこんなに狭かったのかといつも同じことを思う。きっと周辺に沢山建っているのと同じようなアパートになるのだろう。いつか誰もここにレンタルビデオ店があったことなんて思い出しもしなくなるだろうと思う。
私の部屋には店が閉店する前日に50YENで叩き売られていたレンタル落ちのコミックが数冊ある。本をパラパラめくるとまだ店の匂いがする。その匂いもそんなに時間が経たずになくなってしまうだろうけど。

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