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品品喫茶譚 第42回『大阪 茨木 コロンビア 荻原魚雷氏の講演会とソシオⅠ地下名店街』

京都に住み始めてから早いもので来年で十年になる。
関西に来てから、それまでほとんど縁のなかった大阪にもよく行くようになった。用事といえばライブであったり、買い物であったり、イベントを観に行ったりということがほとんどである。
たいていは電車移動ということになり、その際によく使うのは京阪である。大体、出町柳から淀屋橋まで乗っていく。淀屋橋からは地下鉄とかを使う。京都からだとそのほかに阪急というのもあって、行く場所によっては阪急を使う。ちなみに大阪ではなく市内の西院という街に行くときは阪急をよく使う。
大阪によく行くようになったとはいえ、訪れるのは難波や梅田界隈であることがほとんどであり、ときおり長谷川書店のある水無瀬くらいだった。
それがこの間、初めて茨木という街で降りた。
私は栃木で育ったが茨城の病院で生まれた。茨城には母の実家があり、親戚も住んでいる。いっときライブでもよく訪れていた(また行きたい)。だから茨木には茨城と同じ発音の街ということでなんとなく親近感があった。
ただ行く用事だけがなかなか見つからなかったのである。

そんな折、茨木市立中央図書館で私の師匠であるライター・荻原魚雷氏の講演会が行われることになったのである。
弟子としては行かないわけにはいかない。また初めて訪れる街に喫茶店を見つけるのも私の趣味である。もはや行かない理由がない。
行かない理由がないにもかかわらず、入場無料・四十名限定だというそのイベントに私はなかなか予約をしなかった。なんとなく直前に用意すれば良いと思っていたし、電話予約しかできないというのも私の行動を鈍らせた。
私は電話があまり得意ではないのである。そんなこんなするうちにイベントの二日前になってしまった。こうなってしまったら、電話するしかない。
意を決して図書館にかけたところ、当然というべきか、イベントはとうに満席であり、キャンセル待ちということになった。
師匠に関西で会う機会を、ひいては知らない街での至高の喫茶店タイムを、自分のふがいなさから失ってしまった。悔やんでも悔やみきれないはずだが、なぜか私には確信があった。キャンセルはある!
はたして翌日、図書館からキャンセルが出たという電話を受け、茨木行きは決まった。

河原町から阪急でわずか三十分程度の旅である。
すぐに茨木市駅にたどり着いた。少し早めに着いたので、バスの時間まで駅前をうろつく。
こういった街の駅前には喫茶店があるのが常である。
鼻をふんふんいわしながら駅前を見渡すと、すぐにソシオⅠという建物の地下に名店街を見つけた。ふんふんいいながらエスカレーターを降りる。ソシオⅠという建物自体、大変にレトロであり、こんなところに良い喫茶店がないわけがない。
地下街は私の想像以上だった。当時の雰囲気を残しつつ、飲み屋も多いのか、そのほとんどがシャッターを閉めているものの、よさげな喫茶店が何軒もあった。マック。ジャニス。まじょりか。一日たんまり使えるならばすべての店を訪れたかった。
一周してからあたりをつけていた「コロンビア」という店に入る。
扉のところに「日刊 盗まないで下さい」と書かれているのが決め手だった、というと意地が悪いように自分でも思うけれど、何より佇まいが素敵だったのである。
入ると、数名の先客があった。すべておっさんかじいさんだった。珈琲を飲み、日刊を読み、だべっている。別にこの人たちの誰かが日刊を盗むわけではないだろう。とても穏やかな時間が流れている。いま書いていてびっくりしたが、私はアイスコーヒーを頼んだのである。歩き回っているうちに汗でもかいたのだろうか。しかもお冷が異様にキンキンに冷やされており、久しぶりにこめかみがキーンとなった。まるで真夏の話のようだが、十一月前半のことである。

なごんでいるうちにバスの時間になった。
中央図書館は街の中心より少し外れたところにあり、道路を挟んで巨大なアマゾンの倉庫がそびえ建っていた。少し館内をうろついてから、二階の研修室に向かう。知らない街の図書館を歩き回るのが私は好きである。ことに図書館はその街の生活の片鱗を感じさせてくれるからだ。その街に住む自分を想像するのが楽しいのだ。
受付で名前を名乗ったものの、当然、キャンセル待ち野郎の名前はリストになく、自ら「キャンセル待ち野郎です」と改めて名乗ることでようやく入室となった。
ほどなくして師匠が入ってきた。師匠にとって初めてのひとり語りだったらしい。九十分を予定していた講演の半ば四十五分が過ぎたところで「喋り過ぎてしまったかな」みたいなことを師匠はおっしゃった。この日の司会の職員の方がまたユウモアに溢れた方で真面目ぶることなく「いままでの最短時間は〇〇さんの四十分ですが」みたいなことを言い、師匠を少しいじっていて面白かった。師匠の語りも随所で笑いが起り、その人柄が観客にも伝わったようで弟子としても嬉しかった。

その後は、師匠や同じく講演を観に来ていた扉野良人氏、編集工房ノア・涸沢純平氏や富士正晴の親族の方々まで交えた打ち上げに混ぜていただいた。駅の中にあるドイツレストランでビールやチョリソー、私の大好物であるフライドポテトをしこたまいただき、師匠や皆さんの話を聞いた。
師匠が会の終わり際に私のことを皆さんに紹介してくださり、いままで「ところで、ずっと魚雷先生と一緒にいるこいつは誰なのか。ポテトばかりつまみくさって、ビールもしこたま飲んでやがる」と思っていた人はいなかったと思うが、とにかく色々自己紹介のタイミングを失っていた私を何者なのか分かってくださり、ほっとした。
何より皆さんがほっとしただろうと思う。
ありがたいのと恐縮と、何より大量のビアーによって顔はすでに真っ赤っ赤だったが、ふと魚雷師匠の顔を見ると、私よりもっと真っ赤っ赤だったのでなんだかとてもいい日だったなあと私は思った。
のだが、このあとの二次会が本当に長かった。師匠は電車の中で立ったまま眠っていた。


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