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品品喫茶譚 第45回『盛岡 リーベ パァク 肴町48 アリスの海 クラムボン ふかくさ』

朝の六時に就寝した割には二、三時間の睡眠ですっきりと起きることができたため、早めの時間から、盛岡の喫茶店を周ることにした。
宿を出ると近くに道路を挟んで二軒の写真館があって、そのどちらも横溝的な建物で素敵だった。横溝的といえば、私はいつか着流しの中にシャツを着て袴を履く、いわゆる書生スタイルというのをずっとやってみたいと思いながらやれずにいるし、そこにくたびれたお釜帽をかぶるという、あの金田一耕助スタイルも試してみたいときがあった。私の私服を和服化計画はもうずいぶん前から頓挫している。街では和服の人を一人も見かけなかったが、古い建物の多い盛岡には和服がきっと映えるだろうなと思った。

一軒目はリーベ。二階建てのすごく好みの喫茶店だった。一階ではカウンターで常連らしき老人がママと談笑し、二階には男性二人組が一組。私は二階の階段近くの席でアメリカンをいただいた。少し雪のちらつく街にストーブだろうか、暖かな灯油の匂いがし、やはり眼鏡は頗るくもるけれど、冬を最大限に満喫するようなこんな時間が私は好きである。幸先がいいので、なんとなくほにゃついてしまい、いつもならいれない生クリームを珈琲に投入し、マイルドに飲んだ。

二軒目はリーベからほど近いパァク。佇まいはここが一番好きだった。ここもリーベも所謂、完璧な純喫茶であり、自分がもし盛岡に住んだらこの二軒にはかなりの頻度で通うだろうと思った。ここではブレンドを。窓際の席で珈琲をしばいていると、若い女性が外観を写真に撮ったあと、店に入ってきた。喫茶店が好きなのだろう。喫茶店が好きなら、ここは絶対に素通りできない。ここを素通りする奴はモグリだ。信じらんない!
などと、存在しないモグリを勝手に脳内で作り上げ、私は珈琲をしばき続ける。店員の女性たちの物腰も柔らかい素敵な店だった。

喫茶店を探しながら歩くのは街の細やかな部分を探す旅でもある。
足は紺屋町へ、昨日は訪れなかったアーケードの方に向かった。
私は最近、写ルンですを持ち歩いているのである。商店街の至る所でパシャパシャ、カリカリとフィルムを巻いては、ときに通行人にうろんな目つきで見られながら歩いた。
三軒目は肴町48。少し迷ったのだが、そのアイドルグループ然としている割にはそれらが出てくる以前より店があったような佇まいも気にかかるし、見つけた以上は入らなくてはならないというよくわからないマイルールもあって、素通りできない。意外と縦に奥まった店内にはまだお客がおらず、マスターと常連らしき老人が談笑していた。今日は沢山珈琲を飲むことになるだろうから少しセーブしておきたかったが、まだ午前中であり、昼食には早すぎたこともあって、やはりここでも珈琲を注文する。付け合わせににぼしがでてきたので、ポリポリやりながら珈琲を飲み干すと、すぐさま、マスターがおかわりを注いでくれる。いい店である。が、これから私は何杯飲めるだろうと少し心配にもなった。
「早いよ。六十代は早すぎる」
マスターが嘆くように言った。
ちょうどテレビで渡辺徹の訃報が流れていたのだ。

店を出ると、斜め前にアリスの海という店を見つけた。ここは喫茶店というよりもレストランぽかったのだが、佇まいが素敵だったので昼食をとることにした。
アリスセットという定食が旨、旨、旨そうだったので、店員さんに注文すると、それはこのランチセットAというやつと同じなので、ランチセットAでいいですか? ということになった。こういう小さなミスは私が常日頃、割とやりがちなものであり、特に誰もダメージを被らないのだが、後日、茨城のつくばに行った際も私はこれと同じミスをした。ちょっとだけ恥ずかしい、というのがこのミスの最大の欠点である。
ここでは紅茶にした。中休みである。

四軒目はクラムボン。昨日訪れたBOOK NERDの近くである。若い女性が二人でやられており、ここの珈琲の味が一番自分の好みだった。

早足になる。五軒目は、ふかくさ。てくりの発行している『盛岡の喫茶店いろいろ』という本を頼りに目星をつけていったのだが、この店の店主の苗字が自分と同じだったので行くことにした。そんなことで決めるなよと言いたくなるかもしれないが、こういう些細な縁にいちいち驚いて、大事にしていきたいという気持ちが自分にはある。川沿いのちんまりとしたいい店だった。
流石に珈琲を飲みすぎて胃が疲れてしまったため帰路につくことにしたが、どうやら盛岡にはもっと他にも喫茶店があるようだ。また必ず来なくてはいけないなと思った。新幹線に乗って、宇都宮へ帰る。ホームで線路の下のスペースをスタッフの方々が歩いている姿に心が動いた。すかさず写真を撮る。自分の写真はただの素人レベルだけれど、自分の心が動いたときをほんの少しでも残しておきたいと思って続けている。まあ、そうしたところで、本当に心が動いたその一瞬は決してフィルムには残らないものなのかもしれないけれど。


 

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