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品品喫茶譚 第69回『京都 百万遍 コレクションII』

コロナウイルスに罹患して数日後、喉が痛すぎて水も飲めなくなってしまった。いつかは必ず喉の痛みがひくということは理屈で分かっても、感情はそうはいかない。食物はもちろん、水分すら取れない苦しみが永遠に続く気がする。そんなとき、かろうじて喉を通ったのは恋人がリンゴジュースで作ってくれた氷だった。寝そべったまま部屋の湿気でもってすぐに溶けてしまうそれを舌先を使ってチロチロ舐める。わずかな水分ではあるが、いまはこれを命綱にするしかない。腫れ上がった喉に冷たさがありがたかった。
一日経つとなんとかゼリー飲料をゆっくり牛歩の歩みで飲み干せるようになった。阿呆のようにじっくり時間をかけ、ゼリー飲料を流し込んでいく。ほっとしたのも束の間、扁桃腺が腫れたのだろう両耳にさすような痛みが出てきた。水分が喉を通り始めたとはいえ、あいかわらず甘い汁などは喉に激痛を与える。少し欲を出して多めに飲んでしまうと地獄だった。喉の一部分が剣山で刺されたような痛みを伴い、またその汁が気管支のほうに入り咽せることで否応なしにでる咳がさらに喉にダメージを与える。耳にキーンと痛みが走る。体力が削られるたびに心はバキバキに折れ、その日一日をなんとかやり過ごすのが精一杯だ。熱がないのが救いだった。
キンキンに冷えたコーラをガブガブ飲みたい。定食屋の中華そばと紅しょうががちんまりのった炒飯のセットが食いたい。食欲はないが、なぜか食べたいものは沢山ある。自由に飯が食えていた日々を夢想しては、現状の途方のなさに慄く。
実は私がよく行っていた定食屋(ずっと閉店していた)が、私がこのウイルスに罹患する前、奇跡的に営業を再開したのである。その後、すぐに体調を崩した私にとって定食屋は近くて遠い。定食屋で飲食することはもはや夢になっていた。

途方もなく先のことのように思えたが、そのときはやってきた。
一日一日と喉が落ち着いていき、ゼリー飲料、氷水(これもかなり飲みやすかった)、そうめん、おじや、そしてラーメンまで食えるようになっていく。固形物が喉を通ったときは、感動的ですらあった。
私はどんどん回復した。
数日後、久しぶりに外に出ると、見紛うことなき夏だった。蝉が鳴いていた。足元がふわふわした。ゴミを捨て、公共料金を払って帰ってくる。ただそれだけだったが、ようやく何かが帰ってきた。
昼は件の定食屋で中華そばと炒飯を食べた。夢は叶う。
次は喫茶店である。
最初に向かったのは百万遍のコレクション。たまたま近くに用事があって、昼飯を取ろうと思った。私はここのスパゲッティが好きなのだ。
この時点でもうあの辛かった喉痛のことは遠い記憶となり、まさに喉元過ぎればなんとやら、というか、もはや想像の範疇外、なんであんなに苦しんだのだろうとすら思っている。幸せなことかもしれないが危うくもある。
バジリコスパゲッティにアイス珈琲をきめる。内田百閒『第三阿房列車』を読む。帰ってきた。
店を出て坂道を上り、善行堂へ。店主とこれからの話をする。そうそう、いつもこんな感じだった。

帰り道、並木通りの喫茶店に入る。アイス珈琲を頼み、内田百閒『第三阿房列車』とみうらじゅん『永いおあずけ』を交互に読む。うおう、これは日常である。
失われた七月半ばの一週間から、ようやく日常に帰ってきた。やることは沢山ある。
暑さでゆらゆら揺れる疏水沿いの道を歩いていると、オレンジ色の夕焼けだ。疏水の隅っこにはすっぽんだ。イヤフォンから流れる先輩の新譜が私をミュージシャンに戻す。

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