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品品喫茶譚 第51回『大阪 心斎橋 香豆 ジャンセン アメリカン 伊藤ゲン個展を観に行き、久しぶりに道頓堀辺りを歩くのこと』

夕暮れの京阪電車。車窓から見える夕日は新鮮な卵の黄身のようにプリっと張りのあるオレンジ色をしていた。
大阪、心斎橋OPAに行く。
エスカレーターに揺られながら、服屋、本屋、レストラン、ぽっかりできたデッドスペース。デパートのデッドスペースを見るとなんだかやりきれない気持ちになる。だらだらと広がった空間にベンチだけがあり、青年が二人だらだらと座っている。ほけーっとリラックスして楽しそうだ。それならここも案外悪くないのかもしれない。
目当ての階より二つ分上に来てしまったので、すぐにまた下行きのエスカレーターに乗る。
古着屋のフロアの奥のギャラリーで、伊藤ゲン個展を観る。
題材がアパートのトイレや風呂だったり、コンビニの惣菜だったり、味があって面白い。
同行者に教えてもらった画家だったが、一発で好きになった。

OPAを出て、近くの香豆という喫茶店に入る。繁華街のなかである。着飾った女性や細いジャージに黒いダウンジャケットを羽織った男性とかが窓越しに行き交っている。
この辺りに来るのは久しぶりである。
初めて来たのは高校の修学旅行のときだった。
とにかく太いジーパンを買いたいという友人二人と別に太いジーパンなど欲しくもない私ともう一人の全部で四人のグループで、アメリカ村に来たのだ。何軒か、店を回り、たしかどこかで一人が太いジーパンを買い、この辺りを駅を探して歩いた。私たちはとにかく白くて窓ガラスがスモークぽい車には怖い人たちが乗っているから絶対に見つめてはいけないとお互いに注意しあい、たまに車が通った際には、ことさら下を向いたり、明後日の方向を見るなどしながら、おっかなびっくりこの辺りを歩いた。
喫茶店の窓の外を行き交う人たちを見ながらそんなことを思い出した。
私はいまだに繁華街がおっかない。
店を出ると鬼とすれ違った。
鬼は痩せ身の眼鏡のおっさんだった。真っ赤な全身タイツにはシックスパックが描かれていて、それがより一層、彼の痩せた体を強調していた。
鬼は二、三度軽く咳込みながら、路地に消えていった。なんだかとても寂しかった。
節分の夜である。
鬼の来た道の先で誰かが豆を投げ、無言で恵方巻きにかじりついていたのだろう。私は今年は結局節分をやらなかった。

二軒目はジャンセン。
香豆からほど近い店である。店内は沢山のお客。繁華街にある店らしく、なんと朝の4時まで営業しているらしかった。
腹が減ってきたので、私はカキフライ定食、同行者はオムライスを頼む。
店主曰く、いまの時間は忙しいからオムライスは無理。とのことで、オムライス頼めず。じゃ、珈琲だけにします。ということで、香豆に続き、二杯目の珈琲をいただき会計をすると、店主曰く、この感じだったらオムライスいけたわ、とのことだった。何より営業時間の長い店である。色々ペース配分が大変なのだろう。次回また店を訪ねる理由ができたので良かったと思う。

道頓堀は人の坩堝だった。グリコのランナーもひときわギラついている。
数年ぶりにアメリカンに行く。
通りの混雑とは裏腹に中は空いている。時間帯も良かったのかもしれない。ソーダ水をちゅうちゅうし、法善寺横丁を歩く。
どこかから猫の声がするが姿が見えない。
ここは織田作ゆかりの地。前日はそんな織田作を敬愛していたフォークシンガー・加地等さんの命日でもあった。
一時期、毎年加地さんの命日にゆかりのミュージシャンが集まってライブをしていた。
私も歌わせてもらっていた。
今年は家で彼の歌を何曲か軽く歌ってみただけで特に何もしなかったが、家の小さなギターで適当にふんふん歌っていると何だかいまのほうが昔より素直にメロディが入ってきて、加地さんの節回しやメロディに思っている以上に影響を受けている自分に気づいた。
加地さんが亡くなってもう十二年。
私が東京を離れてもう十年になる。

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