見出し画像

品品喫茶譚 第44回『岩手 盛岡 羅針盤』

仙台の朝は両親とのドトールモーニングで始まった。
考えてみると実家の近くにはコーヒーチェーンが一軒もない。貴重な機会だと思う。ホットサンドにアメリカン。
朝もやのなか、勤め人の方々が白い息を吐きだしながら立体歩道橋を早足で歩いていく。我ら家族はもう一度、ホテルに戻り、しばし休む。両親との旅の朝は珈琲の匂いである。それは私が珈琲を飲めなかったころからずっとそうだった。整頓された荷物、たたまれた布団。いつも両親はホテルの部屋をきれいに使っていた。
昼近くになり、ずっと行きたかった火星の庭と曲線に行く。火星の庭では両親とともにカフェで珈琲をいただき、友部正人さん所有のCDコーナーで三枚、古書にいたっては久しぶりに大量の大人買いをした。曲線では井戸川射子さんの『この世の喜びよ』を。こちらは昨日発表の芥川賞候補になっている。

これから実家に戻る両親と仙台駅前で別れ、私は高速バスで盛岡へ向かう。冬の低い日差しに照らされた街が、東北の街のコントラストが、北関東の私の故郷とすごく似ていて、初めて通る場所にも愛着が湧く。
東北に来るのも久しぶりのことではあったが、昔、従兄家族が仙台に住んでいたこともあり、家族で旅行に行くといえば東北だった。福島には何回行ったか分からない。
盛岡に着くころには夕刻になっていた。初めて訪れる街に対する戸惑いと高揚感を久しぶりに味わう。駅前からバスに乗って紺屋町を目指す。最寄りのバス停よりもやや遠い市役所前で降りて川を渡る。古い建物のよく残るいい地域だ。しばらく歩くと目的のBOOKNERDに着いた。ずっと来たかった店の一つで、私の本も取り扱っていただいている。
ここでは河出文庫のスタッズ・ターケル『死について!上下巻』を購う。
店に入った瞬間、眼鏡がくもる。冬である。  

店主の早坂さんに教えてもらった喫茶店「羅針盤」に行く。店に入った瞬間に眼鏡がくもる。やはり冬である。
ここは元々、六分儀という名店だったが、店の常連だった方が引き継いで今の形になったという。
翌日、もりおか賢治・啄木青春館で購った『てくり 盛岡の喫茶店』には在りし日の六分儀が掲載されており、羅針盤は六分儀を愛し、その店のたたずまいをしっかり継承した店だということがわかった。
くもった眼鏡を外し、眠いときののび太みたいな顔をしてテーブルに着く。お冷ではなく白湯がでた。こういう気遣いも嬉しかった。小さなテーブルが両方の壁に沿って何個か並び、奥の席では本を読んでいる客の姿も見えた。盛岡に住んでいたら絶対に通うだろうと思った。小窓みたいになっている帳場もかわいくて良かった。
店を出ると、街には夜の帳が降りはじめている。
盛岡城跡公園の方を周って宿を目指す。途中いい感じの喫茶店を沢山見つけたが、明日の楽しみにとっておこうと思った。
道すがらキリン書房という古本屋に寄って、色川武大『ばれてもともと』を購う。色川武大が最晩年に住んだのは一関市だったから盛岡市だと若干ずれているかもしれないが、作家のゆかりのある岩手で私は彼の本が買いたかった。

早めに宿に入り、すぐ眠りについた。
日付が変わって午前四時から日本代表対スペイン代表が催されるのだ。
私はスペイン代表が好きなのである。
2002年の日韓ワールドカップでラウール・ゴンサレスを見てからずっとである。いまはイスコという選手が好きだが、代表には入っていない。
今回の試合は非常に複雑な気持ちで観た。日本代表が頑張っているのももちろんうれしいし、ガビやペドリやモラタが活躍する姿もみたい。
ゴールの決まるたびにうおうと声を上げたが、流石に早朝のビジネスホテル内は静まり返っていた。
明日は怒涛の盛岡喫茶店巡りである。外はすでに明るくなりつつある。
西村賢太が普段眠りにつくような時間から、私は少しだけ眠ることにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?