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品品喫茶譚第35回「姫路 手柄ポートの追憶」

旅の終わり、高知から岡山までは特急南風に乗った。私の乗った南風は車内の至るところにアンパンマンのキャラクターが配されたアンパンマン電車であった。アンパンマン、カレーパンマン、食パンマン。メロンパンナちゃんにバタコさん。あのカバはたしかカバオである。ソーセージみたいなキャラとオクラを被ったような女性キャラは初めて見た(後日調べると、前者は「ソーセージマン」、後者は「おくらちゃん」だった。なんとなく察しはついていた)
南風の車内は空いていて快適だった。山間部を走るのとトンネルが多いこともあって道行きスマホがたびたび圏外になるのが良かった。スマホに煩わされることなく、旅先で購った文庫本をたんまり読み耽ける時間が嬉しかった。時折、車窓に流れる川はひたすらに澄んでいてきれいだったが、それは旅行者の気ままな感傷というフィルターを通すことによって現実よりもさらにきれいに見えたものかもしれない。

岡山からは新快速に乗った。京都までは三時間ほどの旅程になるが、急がない自分にはちょうど良かった。幸い、岡山駅から乗る客は多くなく、車内は空いていた。しかし乗換駅である相生駅の一個か二個手前の駅で、先ほどまでの凪が嘘のように、中学生たちがたんまり乗ってきて、車内は喧騒に包まれた。どうやら下校時間と重なったらしかった。
「ボビー・オロゴンの喋る声を二倍速にするとめっちゃきれいな日本語になるらしいぜ」などと話してはケタケタ笑っていた。私が高校で電車通学していたころは、なぜか無人駅のような小さな駅から乗ってくることの多かったヤンキーたちにおびえ、すみっこのボックスシートに友達と固まって大人しくしていたものである。

相生駅からはいつもの、というか姫路や神戸辺りを訪れる際によく使う新快速野洲行きに乗換え、ここにおいて少しく旅の感じは薄まったものの、それも姫路駅に着こうかというころ、あっという間に感傷に変わる。
右手の方に手柄山の回転展望台が見えたのである。
普段、新快速で姫路駅より先に行くことのめったにない私は、車窓からよもやその建物が見えるとは考えたこともなかった。思い出深い回転喫茶店手柄ポート(二〇一八年に閉店)の姿をふたたび拝むことができるとは思っていなかったので、そのあまりにもな不意うちに、私の中のサンチマンタールが耐えきれなくなってしまったのである。とか言いながら、実は私は写真の一枚も撮らなかった。何故かというと、隣にたまたま乗り合わせたビジネスマン風の青年の目が気になって、スマホが取り出せなかったからであり、また何事も写真に撮って残すよりもいまを網膜に焼き付けろよ、お前は何でも写真か、SNSなのか、といった自問自答に加え、単純に電車のスピードにぐずぐずするなどしたのである。つまるところ、またいつもの自意識との闘い、というわけなのだった。
 
手柄ポートが閉店するという数日前、私は件の店へと続く螺旋階段にできた長蛇の列の中の一人となっていた。このとき私は二回目の来店だったが、その二回目が結局最後となってしまったわけである。一回目には並ぶどころか、非常に空いた店内のその回転する景色を楽しみながらソーダ水をちゅうちゅうすすってニヤついていた。そこからは手柄山公園の夏季には賑わいを見せるであろう大型プール、ひいて姫路市内が見渡せた。
景色が回る。ソーダ水をすする。回る。すする。すする。回る。
かつてこの街にはモノレールが走っていたという。建物の中に駅のあるマンションもあったらしく、それはまさに誰かが夢に描いた未来都市のようだ。姫路大博覧会。それはかの回転展望台のある手柄山で開催されたのである。手柄ポートはそんな未来の希望であった。
二度目には一時間以上並んだだろうか、やはりソーダ水をちゅうちゅうし、店内に設置された何故か昔のドラえもんの映画のおまけが沢山入ったガチャガチャを、いくらその日がここを訪れる最後だとしても、ちょっと異常なくらいの回数、回しては悦に入った。そして、この場所にお別れをした。
手柄ポートのことは「回転展望台」(『喫茶品品』収録)という歌にもしている。なくなったものを思い出し、いまあるものを愛でながら、フォークシンガーは歌を作る。というと、かっこいいけれども、その実は心が動いたとき、歌にせずにはいられない、というだけの話である。
 
姫路駅を過ぎる。高架下で老人が懸命に壁打ちをしていた。その少し先、低い建物の屋上で幼児がくるくるとダンスを踊っていた。車窓は風景をあっという間に追い越していく。雲がすごかった。今日はTシャツでは寒いという予報だったから、旅に半袖しか持ってこなかった私は戦々恐々としながら帰路を進んだけれども、結局、家に帰って来てみれば情けないくらい汗だくだった。
しかし翌日か翌々日、私はリビングに扇風機を残したまま、思わず暖房のスイッチを入れることになる。いくら半袖でごまかしても秋はただ淡々と深まっていくようだ。

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