翡翠とか

北大路堀川に僕がよく行く翡翠という喫茶店がある。

京都には好きな喫茶店がたくさんあるが、とりわけここは僕のお気に入り。

異常なほど落ち着くのだ。

僕は大体、窓際の奥のほう、ちょっと薄暗い席に座る。

ここなら店員さんは滅多に来ないし、存在を消せるのだ。

窓からは大通りが見える。

ボーっとしながら考え事をするのにとてもいい。

珈琲も美味しいし、何より定食類が豊富で普通にお腹が空いたときにも対応できるのが嬉しい。

なんでこんなに落ち着くのだろうか?

落ち着ける喫茶店なら他にもたくさんある。

しかし翡翠のそれは異常なほど。

何度通っても恐ろしく居心地がよく、思考が停止し、理由を考えるまで頭が回らなかった。

しかしこの間ようやく、その謎が解けた。

ソファーだった。

ソファーが実家の僕がよく使っていた部屋に置いてあるものとほとんど同じだったのだ。

柄、座り心地、すべてが懐かしい。

全然、関係ないのに、翡翠のソファーを見ているとなんだか泣けてきた。

実家のソファー部屋での思い出が溢れてきた。

小さい頃の従兄弟との楽しい時間。

高校の頃、皆でこそこそお酒を飲んだのもその部屋だった。

大晦日、友達と初めて徹夜で遊んだのも。

大好きだった女の子と二人で座ったのも。

夏には窓を開け放ち、ソファーでよく昼寝をした。

あの頃のさわやかな風の感じさえも蘇ってきた。

実家を遠く離れてなお、この懐かしさを味わえるとは!

あああああ。

愛すべき翡翠。


僕が東京で住んでいたH荘というアパート。

僕はその部屋に5年以上住んでいた。

東京には10年くらい住んでいたので、半分以上をそのアパートで過ごしたことになる。

そこも異常に落ち着く場所だった。

そう、ドアの磨り硝子と実家の風呂の磨り硝子のデザインが一緒だったのである。

こういうことはしばしば起こり得る。

ものに限ったことではなく、人間でも。

去年、ライブをさせてもらった三重のめがね書房の店主は、ライブ以前にも何度かお会いしていたが、お会いする度に、僕の地元の友達に顔も声も生き写しのように似ているなあと思っていた。

元来、結構な人見知りでマンツーマンで人と喋るのが苦手な僕が、店主の前ではわりとすらすら喋れる。

ライブも伸び伸びとやることができた。

なんならその友達と間違えて、彼に喋るように減らず口まで叩きそうになったくらいだ。(こらえた)

もし逆に店主が僕の苦手な人や嫌いな人に似ていたとしたらやりづらくなった可能性もあるわけだが、そこはちゃんとできている。


そういえば、僕に似ている人間も、かなり頻繁に目撃されている。

京都では左京区、東京では下北沢・高円寺・吉祥寺などなど。

いずれも話しかけそうになって、慌てて気づく場合が多いらしい。

見かけた人がいちいち僕に教えてくれるわけで、その都度、本当に申し訳ないと思うが、僕にはどうしようもない。

前記のめがね書房・店主のようにやすらぎを与えてくれることもあれば、僕のようにその人の心をざわつかせてしまう場合もある。

皆さんもよくよく注意されたし。(何を)

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