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品品喫茶譚 第62回『大阪 淀屋橋 カレン』

ライブなどで東京に行くタイミングに合わせて美術館に行ったり、イベントを観に行けたら良いなといつも思う。しかし、ことコロナ禍に入ってからは以前のような長期滞在が少なくなったこともあって、色々ままならないことが多い。
東京ステーションギャラリーで開催されていた佐伯祐三展もそのひとつであった。氏の自画像は音楽好きからするとイースタンユースの『旅路ニ季節ガ燃エ落チル』のジャケットで見たことのある人も多いだろう。私はかのアルバムは好きでよく聴いていたのだが、いつだったか愛知かどこかの美術館で見た、それはパリか何処かの郊外だったか、街中だったか(えらい違いである)の、その瀟酒でありながらどこか一抹の寂しさを感じるような絵にひどくグッとくるものを感じてハッとしておったのだが、それがあのイースタンユースのアルバムジャケットの人だとは結びつかなかった。
私は知人からかの画家のポストカードをもらったこともあるのである。それは確かパリのどこかの商店を描いたものだったが、やはり瀟酒(二回目)で淋しく(違う漢字のほうにしてみた)頗る私好みの絵だった。わずか三十歳でパリにて客死した薄幸の画家にいつのまにか魅了されていたのである。

色々タイミングを逸し、東京ステーションギャラリーの展示を観逃した惨めな男を神はそれでも見放さなかった。当展覧会は列島を遊覧し、私の住む京都の街からも電車で一本、大阪は淀屋橋にある中之島美術館にやってきたのである。
私は重い腰を上げ、すぐに向かった。淀屋橋の駅を出てビジネス街を横目にリバーサイドを歩いていく。半袖の人もいるくらい暖かい、というか暑いくらいの陽気である。その日、私はいかしたコートを着ていた。暑かった。しかしとてもかっこ良かったのである。
美術館のエントランスに入り、当日券を購う。会場は五階だ。ずいぶん上にあるなあ。
入ると最初に自画像の数々、若かりしころの絵画には自意識が透けてみえて荒々しく、少し恥ずかしい。アトリエがあったという東京は下落合の風景、帆船、知人や家族のポートレート、パリの風景。色分けされた壁にその短い生涯で描くに描きまくった絵画がこれでもかと飾られていた。堪能した。寂しかった。しかしこの寂しさは必要なものである。とくに理由もなく何だか寂しいものは私の創作の底流にあるものであり、常に目指したい創作の理想形のひとつである。

美術館を出て、喫茶店を探す。近くに「カレン」という店を見つけた。W形にうねったカウンターにお客が結構入っている。オムライス、カレー、オムライス。ここはオムライスがメインぽかった。
いかたらこピラフを注文する。最初から少しトリッキーなものを頼んでしまったが、私は一見さんだ。昼時だったからか、サラダとアイス珈琲もついていた。珈琲はちんまりしたコップに入っていた。
私が知らないだけでいい店が沢山ある。淀屋橋は乗り換えによく使う駅だが、街を歩くのは初めてだった。ちろりん村、一番、ジョリー・コアン。周辺には何軒か喫茶店があった。ビジネス街をかなり暑そうに見え、その実、本当にめっちゃ暑いコートを羽織り、歩いていく。クールである。
陽の落ちる前に京都についた。自転車のギアを変えるとギイギイいった。ギイギイいいながら帳が降りて薄暗い部屋へ帰る。少し寂しかったけれど、それでこそ私である。

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