最後の晩餐

チョコレートが嫌いだ。六歳の誕生日に母がホールのチョコレートケーキを買ってきた。それを見たタモツが「チョコレートを食べると鼻血が出る」と脅してきた。以来奴とは関わらないようにしてきたので、私はきっかり十五年間チョコレートを口にしていないことになる。鼻血は嫌いだった。タモツの言葉が迷信だと知った今も、チョコレートを見ると鼻の奥がツンとするのは変わらないままだ。

タモツは私の父である。名前で呼ぶことに意味はない。物心ついたときから私は彼を「タモツ」と呼んだし、小学校に上がるまではそのことに疑問を抱くこともなかった。周りの子がいう「お父さん」というのが私にとっての「タモツ」であることは理解していたし、実際外ではみんなに合わせて「お父さん」と呼んでみたりもした。不仲ではない、と思う。私はタモツ以外の人間を父に持ったことがないので断定は出来ない。ただ、私は父を「タモツ」と呼んだし、父はいくつになっても私をちゃん付けで呼んだ。それだけだ。

母は紅茶を飲む人だった。そのため、高校生になって友人に連れられてチェーンのコーヒーショップに入るまではコーヒーは私にとって架空の飲み物だった。あの日、私とコーヒーとのファーストコンタクトの日、友人は慣れた口ぶりで「ぶれんど」を注文した。私もそれに倣った。深いカップになみなみと注がれたそれを見て私は従姉妹の真知子を思い出した。真知子は黒とも茶色ともつかないてらてらとした長いまっすぐな髪の毛をしていた。それ以来コーヒーを見ると真知子の髪を必ず思い出すが、彼女の顔も声も私は覚えていないのだった。肝心のコーヒーはと言えば熱くて苦いばかりだった。その後の高校生活の間、通学路の途中にあった件の店には数え切れないほど出入りしたが、私が飲むのは専ら粉っぽいアイスココアだった。

何もかもが変わってしまっていればよかったのに、と思う。私は大学のそばの少し高い喫茶店で少し高いアイスココアを舐めるように飲みながら、もう間も無く別れるであろう男から譲り受けた女の小さな手には収まりの悪い本の初めの方をぼんやりと眺めていた。ページは捲られないまま二十分ほどが過ぎただろうか。隣のテーブルを拭きに来た女性店員のぴったりとしたエプロンの黒さに不意に激しい居心地の悪さを感じ、ココアを飲み干して店を出た。駅に向かって歩きながら、くだらないことで頭をいっぱいにしようとした。日付が変わる寸前に産まれたという私が今死んだとしたら享年は二十歳なのか二十一歳なのかについて考えた。

夕食の弁当を買いに自宅付近のコンビニに寄った。一昨日と同じ一番小さい弁当を手に取ると、なぜだろうか、これが最後の晩餐になるのではないかという気がした。一度そう感じると妙にしっくりきて、私は弁当をひと回り大きいものに持ち替え、最後ならば豪勢にせねばとスイーツの棚に足を向けた。私は二十年間毎日そうしていたかのような手つきでチョコレートケーキを手にした。

狭い部屋で一人夕食を終え、私はチョコレートケーキと向かい合っていた。相変わらず鼻の奥はツンと痛むが、そんなことはもうどうだってよかった。柔らかいクリームはくしゃり、と音を立ててフォークにまとわりついた。心臓が走った後のように早鐘を打っていた。十五年振りに舌に乗せたそれはココアと同じ味がした。私は目からぼろぼろと涙をこぼしていた。紛れもなく二十一歳になっていた。

気づけば眠っていたようで、カーテンの隙間からもう高くなった日が差し込んでいた。喉の奥の奥に残るチョコレートの香りを感じながら、二十歳最後の晩餐の残骸を片付けた。そのあと昨日の本をまた開いたが、読み進めることはできなかった。二十一歳になっても何も変わらない。きっとタモツはまだ私をちゃん付けで呼ぶだろう。お父さん、と呼んだらどんな顔をするのか見てみたいと思った。ひとりでに笑いがこみ上げてきて、それから、お腹が空いたな、と思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?