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#31 漠然とした、しかし着実に

 修士論文を書いている傍ら、考えている事があります。
その前に、まず修士号を取る事に、どのような意味があるのかという点です。
知る事や、新たな知見を手にする事が好きである事もそうですが、研究の方法を学ぶ事、次のステップに繋げていく事にあります。
それは、ひいては博士後期課程への進学、高等教育機関へのキャリアチェンジというものに繋がっていきます。

 私が現職の公立学校教員となろうとした理由は、とにかくまずは現場の事を理解しようという理由でした。
勿論、学生時代から学習ボランティアや教育実習等で、学校現場という存在を知る機会はありました。この経験もまた現場の事を理解する上で必要不可欠です。
しかし、現職の教員となってからは、更に理解が深まり、現在では疑問に満ちあふれている状態です。
どのような教育実践が、どのような就学制度が、どのような支援が、どのような知識や経験が、将来を変えていくのだろうか、といったものです。
理念だけでなく、実際に働く人、そしてその制度の受益者にとって実際上、実現可能で、より良い形とはどのようなものであるのか。

 話が元に戻ってしまいますが、
では現場経験を少しばかり積んだところで、次は何をすべきかと考えてみたところ、その理解を研究といった形で追究していく事になります。
それはつまり、私にとっての大学院進学というものは人生テーマのスタートラインに立つための準備段階であると言えます。

 30代になってから、準備段階とは?というところですが、
私は人一倍、自身が成長の遅い人間であると認識しています。
私が思っている事は、20代でスタートする人が世の中に大勢いると思います。
これまで、私が受講した研修で講師となった方の中には、私と同年代程度の人もいました。
隣の芝生は青く見える部分もあるかもしれません。
しかし、自身がスタートラインに立てると認識できるのは、早くても40代頃からだと思います。

 急ぐ事が難しい環境でもありますので、着実に積み上げていくというのが現在のスタンスです。
失われた英語力を取り戻すために、地道にリーディングとリスニングの学習に取り組んでいます。
また、博士後期課程に進学すると考えた場合、現在の修士課程で何をやっておくべきかも頭に入れながら取り組んでいます。
無限の体力があれば、この環境下で論文をガンガン書いてみる事もできるのではないかと思ってしまうのですが、先述の通り。

 さて、話が変わりますが、最近子どもに英会話スクールへ体験に行かせてみました。
とても楽しかったという感想で、家に帰ると、アルファベットを見つけたら興味を示し、英語の歌を聞いては自分なりに口ずさみ、新たな事を覚えようと楽しんでいる様子が見られました。
子どもにはこんなにも新たな事を経験したいというバイタリティがあるのかと思うものです。また、次はいつ行くのかと尋ねてくるほどでした。
形は違えど、私にもそういった新たな事を知りたい、新たな考えを見出したいという思いがあります。

 地道に少しずつ積み上げ、自分がやってみたいと思う事を実現させたい。

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