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ありふれた一日

「おやすみなさい。今日も楽しかったねぇ」
布団に入った時に、口について出た。

今日、乳がんが確定した。
10日前、生検をする時に「9割の確率でがんでしょう」と言われていたわけだから、いわば答え合わせをするような受診だったわけだが、一応夫にも同席してもらった。
このあと組織について詳しく調べてもらって結果がわかるのが2週間後、その結果を持って総合病院へ。そこで治療の方針やスケジュールなどが決まるという。

今日が9月5日。
10月、11月、仕事の予定はどんどん入っていくけれど、どうなるんだろうなぁ、まぁ、その時はその時で決めればいいか。
病気のことを隠すつもりもないので、正直に話せば仕方ないこととわかってくれるだろう。クリニックの会計を待つ間にで、この日まで保留してもらっていた11月の講演依頼の断りと、10月の結婚30年目の海外旅行のキャンセルメールをだけする。どちらも「乳がんとわかったので」と正直に書き、それぞれ理解を得る。
こういう時はあいまいにするより正直に言ってしまった方がいいと思った。乳がんは女性の10〜11人に1人くらいが罹患するありふれた病気だという。それなら、みんながありふれた扱いに慣れた方がいい。

さて、診断が終わって10時半には乳腺クリニックを出て、どうしようか。
どうせ仕事はお休みをとっている。
行きたいと思っていてなかなか行けなかった「クリムト展」に行こう!
美術館の無料駐車場は平日だというのに4〜5台入り口に並んでいる。歩いて15分くらいのところにある有料駐車場を見つけて停めて、歩き出す。
気がつくともうすでに11時半。美術館のレストランで食べたいけれど、あの駐車場の混みようではレストランもいっぱいでしょう。さて、どうすると考えていたら、レストランの看板。中に入るとアメリカンな色彩と、ちょっと際どい映像が流れてる。バーとしてはいいと思うけど、ランチとしては、どう?

ところが、美味しかったのよねぇ。肉も魚も絶品だった。カウンターの向こうでシェイカーの音がきこえてきたと思ったら、アイスコーヒーを作ってくれていた。
「アイスコーヒーって作って置いておくと酸味が出るんですよね。だからうちはエスプレッソをシェイカーで素早く冷やしてつくっているんです」とオーナー。
少し泡だったアイスコーヒーは美味しかった。そこからついついオーナーと長話。ちょっと品がない店とか、最初に思っちゃってごめん。
第一印象って重要だっていうけれど、本質とはちょっと違うことも多いよね。特に照れ屋の人はそのまま目立たないようにする人と、あえて派手にして自分の柔らかいところを隠す人がいる。本人がかぶりたいと思っているその仮面にだまされてみてもいいけれど、今日はちょっと一歩踏み込んでみたかった。こういう日はちょっとハイになって、饒舌になる私がいる。

で「クリムト展」。クリムト(1862〜 1918)の展覧会は2回目で、以前の感想は「3メートル離れるとキレイに見える絵」。人の顔や髪などはほんとうに緻密に描きながら、服の柄なんかは適当で大胆に塗っているように見えるのに3メートル離れると鮮やかな美しさ。どうやって描いたんだろう。
今回は点数も多くて同世代の芸術家たちの影響が見える。もうどちらがどちらを真似たとかではなく、時代の流行や、同世代の芸術家たちが影響し合っていることを感じさせられた。ロートレック(1864〜 1901)、ミュシャ(1860〜1939)、ゴッホ(1853〜1890)…。ピカソ(1881〜1973)もモネ(1840〜1926)もほぼ同時代。同じ時代に、天才的な芸術家がこんなに多く出現したのはなぜだろう。
彼らは影響し合い、彼らの「当たり前」を高めていったのではないだろうか。自分一人で努力することも大切だけれど、刺激ある場・時代に仲間と共に生きて、そこに「居続ける」ことで磨かれるなにかがあるよね。

気がつくと、自分の病気のことなんて忘れてて。痛みもないし。いや、忘れていたわけではなく、ずっと心のどこかにそれはあるのだけれど。ありふれた病気なのであれば、私もありふれた一日を過ごしたい。自分のことだけを考えるのではなく、出会った人、見たものに興味を持って心を動かす、そんな自分でいたい。そんな一日を送れたことに感謝しよう。

美術館からの帰り道、行きに歩いた道はずいぶんな遠回りだったことがわかる。
「遠回りしたからあの店に巡り会えてよかったよね。
 神様はなんでもわかってるなぁ」
きっと私の人生も、がんに巡りあったことできっとなにか、あるよね。

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