このどうしようもない世の中でやるせなさに押し潰されてはいけない

子供の頃、凶悪事件や政治家の汚職事件を眺めながら、このとんでもない事件は世界のごく一部で、概ね世の中はうまく回っているのだと信じていた。

けれど最近になってようやくわかってきたことは、このとんでもない事件は氷山の一角に過ぎず、世の中は概ねどうしようもない人たちによって回っているのかもしれないということだ。

私が正しいとか、私はまともであるとかそういう上から目線では決してない。
いや、そうありたいと思っているだけかもしれないが。

厄介なのは、無知でありながら、なにかを知っているかのように、さも当然のように、自分の信ずるとんでも話を強硬に主張する人たちの多さだ。

例えばTwitter上で、より正当な主張、クリティカルな意見、論理的で妥当と思われる意見は、すべて「アンチ」として処理され、押し潰されてるような、そんな風に見受けられる。

悪意の有無は関係がない。彼らはそうすることが正しい振る舞いだと考えているのだ。おそらく。
自分が正しいと思うからこそ、その他の間違いを正さなくてはならないと、主張する。
正しいからこそ、誹謗中傷になりかねない言論も、正当化される。周りがどれだけそれは違うと伝えても「君たちこそ目を覚ませ」としかならない。

彼らと書いたが、「お互いに」そうなのだ。
どちらが本質的に妥当か、正当かはこの際関係ないのだ。

そしてお互いにこう主張するのだ。
「君たちこそ目を覚ませ」

さあ、書いてる私自身がこうなっていないことを切に願うのみだが、
私はあらゆる強硬な主張に対し、こう伝えたいだけだ。

「たしかにそれはある意味で正しいかもしれない。
だが他の人の意見にももう少し耳を傾けてみないか。一歩立ち止まり、自分と相手とそしてこの世界全体を、見直してみないか」

「対話をするのだ。
相手を受け入れ、物事を多角的に検討し、
どうすればお互いに快い世界を作っていけるのか」

「今は殴りあっているだけだ。言葉を使って、お互いに言うことを聞かせたいだけだ。それで言うことを聞かないと、わからずやと、イライラして互いを目を背けてそんな社会だからこの世界は息苦しいのだ」

年をとると偏屈になる。
これは自分に関しても思う。
おおいに気をつけなければいけないと思う。

なにかの主張を繰り返すことは楽なのだ。安心するのだ。それが本当に正しいかはこの際関係なく、自分を正当化し、あらゆる否定を退けていたいのだ。
考えることは面倒くさく、悩み多き人間のままでは周りの信頼も得られない。
なんらかのはっきりとした主張は、どんなものであれ、支持者を得る。
その支持者たちと寄せ集まり、他者に対して石を投げれば、少しは不安も和らぐかもしれない。

気持ちはわかる。私だって、支持を得たい。共感されたい。認められたい。
人はひどく利己的で、自分のために、あるいは自分に共感してくれる人たちのために、いくらでも残酷になれる。排他的になれる。
反対意見なんて聞きたくもない。今さら自分を覆せない。敗北を認めたくない。

くだらない。くだらない。
私たちは子供のまま、成長してないのか?
相手を殴って黙らせてそれで満足なのか?
このくだらない世界のどうしようもない世界の、
厭世感に任せて、なげやりに自分を守ることに躍起になればいいのか?
みんながこぞって石を投げるからと、自分も石を投げて、それで安心か?

私だって様々な事件を前に悲しい思いを抱え、憤りを覚え、石を投げつけたくなることばかりだ。
でも、石を投げるだけではなにも解決しないのだ。

「なぜだ」と問わねばならない。
「どうすれば」と問わねばならない。

正直に言えば、全然わからなくなってしまった。
自分が、それはおかしいんじゃないかと思うことが、あまりにもまかり通る世の中だからだ。

おかしいのは自分なのだろうか?
こんなに悲しい気持ちを抱えて、
こんなしょうもない私が、
偉そうに世の中を憂う必要があるんだろうか?

それとももっと傲慢に、
この世界はバカな愚図ばかりだから全員死んでしまえくらいのことを言って世の中の怒りを買えば、いっそのこと気持ちいいか?

とてもそんな気分にもなれない。

とかなんとか、うだうだ考えてるなかで、
今朝、日本のアートとクラフトを世界に伝えたいとクラウドファンドを募ろうとする方を見かけた。

とてもまっすぐに、世界に働きかけようとしているように見えた。
私もやっぱりくさってる場合ではないのだ。

なんだか救われた心持ちがしたので、
今こうして私のもやもやは無事にもやもやした文章になれた。感謝である。

そして表題に戻るのである。

「このどうしようもない世の中でやるせなさに押し潰されてはいけない」

私も悩み多き人なりに、悩み多き石を投げよう。
誰かに対してではなく、空高く投げて、自分に降り注ぐように。

この文章を読んだ悩み多き誰かが(もし存在すればだが)、共に降り注ぐ石の中を歩んでくれるなら幸いだ。

己を省み、一歩一歩迷いながら歩くのだ。

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