葬式と結婚と人生と
ずいぶんと更新ができていませんでした。
簡潔に言うと、母が亡くなりました。
こんなことをこんなとこで書くことが適当であるかどうか、
よくわからないのですが、
書かないと先に進めないような気がして、
でも書こうとしても書ききれないだろうし、
ずっともやもやしています。
何度か書こうとして、うまくかけず、みたいなのもやってます。
このアカウントも別に隠してないので、友達も見るし、家族も見る。
そういう状況で、自分の内面の深いところを書くというのは勇気がいることです。
いらぬ心配をかけてしまうかもしれないし、センシティブな話題をこうしておおっぴらにすること自体を嫌う人もいるかもしれません。
それでも、書くことを生業にしようという人間が、
避けては通れないところではあるのかなと言う気持ちもあります。
なにより私自身、書かずにはいられないと思ってしまっているのです。
それが、自分なりの供養だと、思うようにしています。
書き出せば長くなるし、何をどう伝えることが、誰にとって、どんな意味のあることなのか。
それを考えると少し怖いですが、
なにより自分のために、書き残していきたいと考えています。
母は数年前から癌を患い、闘病の末、亡くなりました。
そんなさなか、
ちょうど一年ほど前に、かねてよりお付き合いをさせていただいた女性と結婚しようとなって、
今年の6月に結婚式をあげようとなって、
それを励みにがんばってもらえたらなと思っていたので、
それが正直なところ、一番苦しいところです。
同時に、救いでもありました。
結婚のためにあれやこれや準備をしなくてはいけない、であったり、
仕事が忙しい、であったり、
眼の前のことに追われているうちは、考えずに済むのです。
でもこうして、
ふと一人でいるときに、
ふと眠れぬ夜に、
考えてしまうのです。
「考えてしまう」ではないですね。
なんでしょう。
様々なことが胸をよぎり、「考えさせられて」しまうのです。
日々を生きていく中で、ふとした会話が、ふとした光景が、
「母の死」というフィルターを通して、
なにかを訴えかけてくる。
お前の人生はそれでよかったのか?
このままでいいのか?
いいに決まっている。
いいに決まっている。
好きな人と結婚して、
やりたいことを仕事にして、
趣味だって充実してて、
どこを見渡しても、いい人たちしかいない。
恵まれた人生。幸せな人生を生きている。
大学から数えて10年近い日々。
今ようやく、実を結んで来ているじゃないか。
それは絶対的にそうで、普段の私はそんなこと疑問にさえ思いません。
けど、どうしても、首をもたげてきてしまう。
虚無。虚脱。後悔。喪失と忘却。
「もっといい人生があったんじゃないか?」
そんなこと考えたってしょうがない。
自分なりにベストを尽くしてきた結果だ。
結論はわかりきっていても、納得はできない。
さまざまな自分の不甲斐なさが、
どうしようもない自分の未熟さが、
自分の嫌なところばかりをとらえてしまう。
母の人生を思うと同時に、自分の人生を思わされる。
69で亡くなった母を思えば、
私もあと39年で死ぬ。
いや、実際のところいつ死ぬかなんてわからないのだ。
その時までに何を残せる。
何を思って死ぬ?
今目の前にいる人はどうだ?
会社にいる同僚は?
みんな何を思って生きて、
何を思って死ぬ?
考えてしまう。
その事自体が、足をもつれさせ、
歩みを遅らせることになるとしても、
どうにも、思わずにはいられない。
明日は早く起きなきゃいけない、
そんな日に限って、眠ることさえ許されない。
かっこつけて書いてみたって、これは結局の所、弱音でしかないのだけど。
「充実した、いい人生でした」「これでおしまい」
声すらでなくなった母が、絞り出した言葉。
母について、これからまた色々と書き残して行けたらいいと思うが、
これはおそらく何度でも語ることになるだろう。
私も、そう言って死ねる人生を送りたい。
まとまりのない文章だけど、今日のところは、ここまで。
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