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アラサー女オタクが新型コロナウイルスで重症化入院した話

皆さん、お元気ですか? セキと申します。

Twitterの隅っこで、こそこそと二次創作の落書きをしたり小説みたいなものを書くしがないオタクでしたが、このたび新型コロナウイルスで重症化して入院したのでその時のエピソードを纏めることにしました。

ちなみに当初レポ漫画にする予定でしたが、最終的に発症から入院して退院するまで4週間+1日掛かったため、noteでまとめることにしました。凄く長くなってしまいましたが、お付き合いいただけると幸いです。

諸注意

※このnoteはアラサーで両親と共に暮らしていた、女オタクの新型コロナウイルス重症化体験記です。
※医学素人の感想のため、的外れな推測があるかもしれません。あくまで体験記だという点をご理解頂ければ幸いです。
※当時のツイートも載せていますが、普段はオタク的なツイートしかしていないです。もしもこの感想が気になって私の過去ツイートを漁る方がいらっしゃる場合、合間に挟まれる下ネタやらオタク丸出しツイートにご注意下さい。

【追記】
※一番最後に言及していますが、ここ数年で10キロほど太り肥満体型になっていました。運動習慣も少なく、年齢に対して重症化リスクもあった事例になります。

はじまりは突然に

最初に自分に症状が出始めたのは5月17日。37.5ほどの軽い微熱の症状が現れ始めました。
丁度生理が始まったこともあり、高温期なのかもしれないな~などと軽く考えていたこの頃。
一方で、同居していた母も3日ほど熱が続いた状態でした。もしかしたら新型コロナウイルス感染した?そんな考えが脳裏を過ぎり始めた翌日……。

5月18日、この日母がPCR検査を受けることになりました。
そして、当時の自分も熱が38度越え。しかし、まだまだ「これでコロ……だったらめちゃくちゃレポしてやるからな……」などと呟く余裕があります。

5月19日、母が陽性確定となり私と父が濃厚接触者となります。この時点で自分は感染しているだろうなと強く確信することになりました。
この日、私と父はPCR検査を受けることに。この時点で私は熱・咳・頭痛の症状が酷く、検査先で解熱・頭痛に効果があるアセトアミノフェン、風邪の初期症状に効くという麻黄湯、気管支を広げる効果のあるツロブテロール貼付薬を処方してもらいました。

陽性確定

私と父のPCR検査結果は翌日5月20日に知らされ、父は陰性、私は陽性に。共に陽性であれば自宅療養を行う可能性もありましたが、父が陰性ということで私はホテル療養を行うことになりました。

翌5月21日も、午前3時に39.4の熱。熱症状は解熱剤が効いている時以外、常時39度を超えるような状態でした。

ホテル療養開始

一足早くホテル療養へと向かった母に続き、私は21日の夕方からホテル療養をスタートしました。
ホテル療養開始時は解熱剤を利用しており、熱は37度ほど。熱が下がっている間に荷ほどきを行い、療養の準備を進めました。

その日の夜の熱は39.6。解熱剤に頼りすぎるのも良くないと思い、全く食事が喉を通らない中、なんとか持参したゼリー飲料だけは食べて大人しく眠りにつくことに。

ホテル療養開始二日目の5月22日、朝から熱は39.1。とにかく頭痛が酷い。
頭全体を締め付けるような痛みに耐えきれず、看護師さんと相談しながら持参した解熱剤を飲みました。
前日の夜と今朝がたは全く食事が喉を通らなかったものの、解熱剤の効果の甲斐もあってなんとかお昼の弁当は半分食べることができました。熱が下がっている間はホテルのテレビに入っている映画を見たり、持参したパソコンを弄る余裕もあります。
ホテル療養では自分で洗濯を行わなければいけないため、熱が下がっている間に軽く洗濯も行いました。換気が悪いのでほとんど乾かないんですけども……。
この日の時点で解熱剤は残り三回分。解熱剤の効果が切れると、途端に熱は39度近くに上がり、酷い頭痛が襲ってくるのでいつまで症状が続くのか漠然とした恐怖を感じていました。

ホテル療養開始三日目の5月23日。前日の夜に飲んだ解熱剤の効果が切れ、この日は朝から38.9まで熱が上がります。前日に引き続き、やっぱり頭痛が酷い。
ただ、この日はどうしてもオタクとして見逃せない生配信があったので、朝とお昼に解熱剤を服用。どうにかこうにか生配信を視聴したものの、見終わる頃には解熱剤の効果は切れ熱も39.5に。しかし体調はかなり悪いのに、生配信でちょっとだけ体調が改善された気持ちがしてくる辺りがオタクです。この辺りで、持参した解熱剤は残り一つ。いつまでも収まらない高熱に不安を抱く日々でした。

治まらない高熱と頭痛

ホテル療養開始四日目の5月24日。この日は朝から39.2の熱で、酷い頭痛でほとんど眠れず。この辺りから、酸素飽和度が上がり辛くなり看護師さんが一度様子を確認に来てくれました。この頃には何をするにも息切れするようになり、PCR検査時に貰った解熱剤も底を付いたため、寝る時のみホテル側にお薬を申請。
ただし、貰えるお薬は一度の申請で一回分のみ。お薬は高熱と頭痛を抱えたまま自力で取りに行かないといけず、かなり参ったのを覚えています。

そして入院へ……

ホテル療養開始五日目の5月25日。この日は早朝5時から39.6の熱に加え、とうとう酸素飽和度が90%ほどに。ホテルにお薬を申請し解熱剤を利用したものの症状は一向に収まらず、この日の夜20時過ぎ救急車で病院へと運ばれることになりました。
救急車までは重たい酸素ボンベを傍らに車椅子で移動。透明なビニールのようなものに身体丸ごと詰め込まれ、担架によって運ばれます。体調は絶不調ではあるものの、不謹慎ながら人生初の『救急車で運ばれる』というシチュエーションにこの時はまだテンションが上がる程度には余裕がありました。病院に到着して間もなく点滴による治療が開始となりました。これが人生初の点滴となります。

高熱の症状がついに改善

翌日5月26日。ステロイドのお薬も処方され、点滴の甲斐もあってか、長らく続いていた高熱がようやく収まるようになりました。
「救急車で運ばれるなんてとんでもないことになってしまった」とは思いつつ、一向に引かない高熱と頭痛が収まりを見せたことに物凄く安堵したことを覚えています。朝は療養に入ってから久しぶりに出された食事を完食することができました。
酸素を吸っている状態であれば、酸素飽和度も97%と正常な数値。このまま病院で療養を続ければ、おのずと快復するであろう。そう、楽観視していました。

トイレに行く度に酸素飽和度が85%ほどに低下することもあり、この日から尿管に管を通すことになりました。尿管に管を通すとずっと漏らしているような感じがして気持ち悪かったです。時期的に生理は終わったはずでしたが、治療の影響なのか「股を拭くと血が付く」という状況が以降6月4日ぐらいまで続くことにもなります。

肺炎症状が進んでいることが発覚

その日の18時過ぎに撮ったレントゲンにて肺の状態がかなり悪くなっていることが発覚。早期発見できたとはいうものの状態的には重症に匹敵し、この状態が続けば人工呼吸器を使うことになるだろうという説明を受けました。漠然と「人工呼吸器まで使われるのは嫌だなぁ」とは思っていて、「そうならないこともありますよね?」なんてことをお医者さんに訊ねていたのを覚えています。酸素マスクをしている間であれば、呼吸に問題はないように思えたからです。後から思えば、お医者さんとしては「使いますよ」という宣告に近かったと思います。
21時頃、ステロイドの点滴も始まり……これできっと肺炎も治っていくだろう。そう思っていました。

人工呼吸器を装着

深夜、このままでは肺の機能が落ちて肺が縮んでしまうということで、肺の機能が上がるまで睡眠薬によって眠りに付き人工呼吸器を装着することになりました。ちなみに新型コロナウイルス感染で入院した場合、「人工呼吸器を使われる」と重症患者ということになるそうです。というわけで、ここにきて重症患者デビューを果たすことになってしまいました。
家族によると、一番早ければ月曜日(31日)ぐらいには人工呼吸器を外せるだろうと説明を受けたそうな。
肺の前方と背中側に影があり、背中側の方が影が濃かったためうつ伏せでの治療になったとのこと。麻酔薬、筋肉弛緩剤なども使われていたそうです。

ICUで目覚め……

運良くかなり快復が早かったのか、ICUで目を覚ましたのは29日のことでした。
体感的には2時間ぐらい眠っていたような心地なのに、日数的には2日経過していたので物凄く不思議な感覚になりました。
ICUで目覚めた時は、お医者さんから「ここがどこだか分かりますか?」という質問を受けます。当時は、状況は分かっているものの言葉が出てこないような状態。ちゃんと受け答えできていたかどうかは、正直少し曖昧です。
また、これは後に気付くのですが、人工呼吸器を装着していた影響でかなり声が出し辛くなってしまったようでした。酒焼け声といいますかハスキーボイスといいますか。声枯れについては、退院時点でかなり良くなってはいたものの、現在も以前のようには声を出せない状態が続いています。

人工呼吸器は29日には取り外され、そこからは基本的に鼻から酸素を吸うチューブへと変更になりました。
ちなみに人工呼吸器って外す時かなり「うええぇ」となります。ICU内での記憶はかなり朧気なのですが、体中管やらコードだらけでどこに何があるか分からず、看護師さんを呼びたいのにナースコールの場所が分からない…という状態で半泣きになったりもしていました。

ICUから個室の病室へ移動

ICU内で体重を測ったり、レントゲンを撮られたり……いくつかの診察を受けた後、翌日30日にはICUから個室の病棟へ移動することに。新たに運ばれた病室は病院の7階で、美しい空がよく見える眺めの良いお部屋でした。
個室へと運ばれ、ここに来てようやくスマホが手元に戻ってきます。まだ頭はボーッとするけれど、数日連絡を取らなかったのだから心配をかけているかもしれない。とにかく生存確認だけでもしなければ、という一心で家族へのLINEとTwitterにて「生きてる」ということを報告しました。

この頃の症状については看護師さんが適宜確認してくれていたこと、頭がボーッとする状態が続いていたので自身では正直把握しきれていません。家族によると「熱があり、検査したら炎症が確認されたので抗菌薬で治療する」ことになったそうな。
自身はというと「(点滴が切れて)音が鳴ったらナースコールで知らせて下さい」という看護師さんの指示に対し、「点滴が切れて音が鳴ってます」というのを上手く伝えられず「てゅるるが鳴ってます……」と返すような状態でした。個人的に語彙力の低下っぷりに動揺していたのですが、最低限の意思疎通はできるので「意識のはっきりしている人」として扱われることに戸惑いを覚えていました。

身体には常に心電図が装着され、定期的に点滴の切れる音が鳴り、酸素飽和度が下がっても音が鳴り始める。
常時何かしらの音がしている病室は、お世辞にも寝心地が良い部屋とはいえませんでした。この頃はほとんど眠れない日々が続いたように感じます。

尿路感染症に……

個室へと移動してからは尿管に通していた管から細菌が入り、尿路感染症になっていることが発覚。尿管の管が外され、ポータブルトイレに変更となりました。
長らく尿管に管が通っている状態だったため、この頃は自分の尿意をコントロールするのに悪戦苦闘。一度ポータブルトイレの利用を失敗してしまい、看護師さんに余計なお仕事を増やしてしまったのは本当に反省しています……。

転院前日

治療の甲斐もあり少しずつ肺の炎症も落ち着いてきたので、6月2日にはリハビリを行うことができる別の病院へと転院することになりました。
転院前日に軽く身支度を整えることになるのですが、ここにきてICUに入っていた時に輪ゴムで髪の毛を結ばれていたことに気付きます。また、何日も髪を洗っていないので髪のフケも酷い状態に。
流す必要のない泡シャンプーを使ってなんとか身支度を整えたものの、鏡などもないためこの頃の自分がどんな姿だったかは正直分かりません。ただ、体中のすね毛や腋毛もすっかり伸びきっていて、自身が獣になったような気分でした。

そして転院へ……

転院時は再度救急車での移動。最初にホテルから救急車で運ばれた時と同様、透明な袋のようなものに酸素を吸える状態で詰め込まれます。この頃には、鼻から酸素を吸いながらその上から不織布マスクを装着するようになりました。軽症の場合、大体10日経てば感染性は収まるそうですが、重症の場合は長く感染性を有する場合もあるそうで「発症日から 20 日経過するまでは退院後も適切な感染予防策を講じるものとする。」とのこと。病室も原則個室での対応になるそうです。

病室に運ばれる前に、まずはレントゲンを撮影。この頃には大分自分でも身体を動かせるようになっていましたが、服の下に着用しているブラジャーを脱ぐのに四苦八苦する始末。ホテル療養時に着用してきたワンピース姿だったこともあり、余計脱ぎにくく、一度服を脱いでからブラジャーを脱ぐことに。病室に運ばれた時には汗だくになっていました。

新たな病院に辿り着いたのは6月2日。レントゲンを撮り終えた後は再度透明ビニール担架から救急車に乗り、病院の裏口から車椅子によって新たな病室へと運ばれました。この新しい病室がまるでホテルのような場所でした。後になって知るのですが、通常では絶対縁のないであろう、お金持ち向けの病院だったそうです。新型コロナウイルスは指定感染症となっており入院費は公費で落ちるそうなので、正直この点だけは「ラッキー」と思ってしまいました。
人工呼吸器が外れた頃「治ったら綺麗な場所を見に行きたい」ということを家族に話していたら、速攻実現しちゃった美しい景色が病室の窓に広がっていました。

新たな病室で早速点滴が開始。お薬も複数出され、転院後ということでいくつかの書類も書くことになりました。
正直な話、この頃はまだまだ鼻から酸素を吸っている状態で意識もボーッとした感じ。ただ、周囲からは「意識のはっきりしている人」として扱われるため、凄く不安を覚えました。文章を読んでもきちんと理解できていているか自信がなく、この頃の不安感に関してはひたすら「何にも分からん」に集約されていました。

新たな病室で一夜を明かした6月3日。マットレスが固めだったのは少々難点でしたが、常時点滴をしている状態から「寝ている時に点滴をしていない」という状態になっただけで、人は快適に眠ることができることを思い出せました。
この頃もまだ咳が出て声は出し辛いものの、「療養に入ってから一番眠れた」と思えるほどでした。

そしてこの日、久方ぶりにシャワーを浴びることができました。鼻から酸素、左手は点滴のチューブが付いていたためビニール袋でぐるぐる巻きにされた状態ですが、久しぶりのシャワーは人の姿を取り戻すには十分でした。この時ようやく、自分の姿も久しぶりに鏡で見ることができました。
ちなみに、この時点で1週間以上髪を洗えていなかったため、片手で洗うだけでもかなり髪の毛が抜けました。髪の毛が長かったので、風呂が終わる頃には排水溝が詰まる事態に……。排水溝に詰まった髪の毛を掃除しつつ、なんとかシャワーを終えることができました。

パルスオキシメーターとの戦い

この日から、転院先でも常時パルスオキシメーター(酸素飽和度を測る機械)を装着することになりました。これが、「基本的には手の指に付けておかないといけない」というため、結構な厄介度。酸素飽和度が90%の数値を切ると音が鳴り出す始末。パルスオキシメーターは転院前も装着していましたが、寝ている時でも酸素飽和度が下がると鳴り出すために結構な睡眠妨害になっていました。

続く6月4日もパルスオキシメーターの存在に苦戦を強いられつつ、この日は「最後の点滴治療」ということで数時間おきに点滴が投与。22時にようやく全ての点滴が終わり、長きに渡った点滴治療がこの日ついに終焉を迎えることになりました。

また、この日のお昼からは「デカドロン」というステロイドの内服薬も追加となり、以降は内服薬のみで経過を観察するようになっていきます。

ステロイド内服薬での治療へ

6月5日になると鼻から酸素を吸わない状態でもパルスオキシメーターが鳴らなくなっていました。朝方に採血を済ませ、骨粗鬆症のお薬を飲んで30分は横にならずに待機。ちなみに骨粗鬆症のお薬を飲んで30分待機するのはお薬の効き目を高めるためなんだそうな。なお、特に説明などは受けなかったため「どうして骨粗鬆症の薬を飲むんだろう?」なんて思っていましたが、ステロイドのお薬を使っていると骨が脆くなるんだそうです。どうやらその予防薬だった模様。

この頃も喉のイガイガとした感じや咳症状は続いているものの、かなり「生きる」のが楽になってきていました。
点滴治療がなくなったことにより、この日も再度シャワーを浴びることに。3日にシャワーを浴びた時は浴びている途中に浴槽に座り込んだりしてしまったのですが、この頃になると立ったままでシャワーを浴び続けることもそこまできつくはなくなっていました。

常時パルスオキシメーターからの卒業

呼吸が改善してきたこともあり、ついに常時装着していたパルスオキシメーターから解放されることができました。転院してからは短い間でしたが、指に付けっぱなしなのは地味に地味にしんどいので本当に良かったです。最後は電池切れも合わさっていたものの、もう装着しなくて良いと分かった時の安堵感は凄かったです。手を洗った後とか汗かいた後とか、特にしんどかったので……。

6月6日以降は、ようやく「軽症者」になれた感じ。採血やレントゲンを三日おきに挟みながら、ステロイド内服薬での治療が続いていきました。
尿路感染症となっていた尿道も落ち着き、自分で尿意をコントロールできるように。暫くはリハビリパンツを履いていましたが、この頃からは持参したパンツを履くようになりました。
この時期は睡眠導入剤が入っているにも関わず寝つきが悪かったり、食後に頭がボーッとしたり、気分が高揚したり落ち込んだりといった日々が続いていました。知識がなかったので後から知ったのですが、ステロイドは副作用として「ステロイド精神病」だったり「ステロイド糖尿病」だったりもあるとのこと。転院時の血液検査を見るとグルコース(血糖値)の値が正常値よりかなり高くなっていたようでした。転院前は毎食血糖値を測られるようになってたり、転院後は毎食糖尿病食だったのはそういうことだったのか……と、気付いたのは随分後になってからでした。

病院食は糖尿病食だったこともありかなりあっさりしていましたが、暫くご飯を食べきれない日が続いていた分、何を食べても「ご飯が美味い!!」期に突入したりもしていました。これに関してもステロイド治療の影響だったのかもしれないです。ステロイドには食欲の亢進と脂肪の代謝障害の副作用もあるそうな。太りやすくなるそうですが、体重はむしろ減少傾向でした。

ステロイド内服薬からの卒業

ステロイド内服薬での治療を続け、6月11日。当日の採血の結果を見て、ついにこの日のお昼からステロイド内服薬が終了になりました。
レントゲンの結果で肺もかなり良くなったということで、以降は薬なしで様子を見て問題なければ退院だと告げられました。先の見えない入院生活でしたが、退院の日が近いことを知ってとても嬉しかったです。

ステロイドのお薬を止めた翌6月12日、この日はほぼ一日中身体の怠さが続きました。少し寝つきが悪かったのでそのせいかとも思いましたが、どちらかというとステロイドの副作用である副腎不全というステロイド離脱症候群なのかもしれないと自己判断。夜には怠さも大分収まり、翌日にはかなり体調も改善。少し頭痛はするものの、明日の採血に備えることに……。

最後の採血とレントゲン

そして、来たる6月14日。朝の採血の結果を受け、翌日には退院しても良いだろうということになりました。
最初に病院に運ばれてから約3週間入院生活が、ここでようやく終了します。退院が決まり、この日は病室で暫く泣き続けてしまいました。

翌日、無事に出荷……もとい、退院することができました!本当に「まさかこんなことになるとは」という気持ちが今でも残っていますが、無事退院できてホッとしています。
現在は声枯れが残り、若干不眠症気味。それ以外は特に後遺症と呼べるような症状は出ていません。退院したばかりなので、もしかすると今後出てくる可能性もありますが……。

重症化した原因

元々特別な病気や通院歴はありませんでしたが、ここ数年は在宅で仕事をしていたこともあり、運動不足に拍車がかかり10キロぐらい太ってかなり肥満体型になっていました。入院してから知ったのですが、BMI30を超える肥満の場合重症化リスクが上がってしまうそうです。当時、私のBMIは31。知識を得て対策をしていなかったことを、今となっては大いに反省するばかりです。快気祝いにリングフィットアドベンチャーをお迎えしたので、今後のことも考えてせめて標準体重ぐらいまでは頑張って痩せようと思います。

これを読んでいて、私と同じように運動不足で肥満気味の方々は本当に感染に気を付けて下さい。「自分はインドアだから感染しないだろう」なんて油断してると、もし感染した時に本当に大変なことになるので……。入院自体は3週間でしたが、発症から退院までの日数はおおよそ4週間でした。約全治一ヶ月の大怪我を負いたくない方は、感染予防は勿論のこと、健康にも気を配っておくと良いかもしれません。

今は少しずつワクチン接種も進んでいます。まだまだ全ての人がワクチンを打つことは出来ませんし、副反応が怖いという気持ちも分かります。
でも、重症化すると本当に……凄く……大変なので……。どうぞ皆さん、今回の私の体験記録を是非参考にして頂けると幸いです。

最後に

入院中は沢山の医療従事者の方にお世話になったのですが、お一人お一人にちゃんとお礼を言えずにいたのが凄く心残りでした。重症患者を診て看護するをすることは非常にリスクを伴う行為です。そんな中、命を救って頂いて本当にありがとうございました。今後は医療従事者の方々にご迷惑を掛けないよう、健康促進に努めていこうと思います。

新型コロナウイルスは「ただの風邪」という言葉を目にすることがあります。実際、私より先んじて発症した母は高血圧・糖尿病・肥満といった疾患を抱えつつも、軽症で済んでいます。「ただの風邪」で済む方も多いのでしょう。
ですが、重症化すると本当に本当にほんとーーーーーうに大変です。肺炎が運よく治ったとしても声は枯れたままだし、頭はぼーっとするし、言葉は出てこないし、集中力はなくなるし、体力も筋力も落ちるし、後遺症は怖いし、以前のような生活には戻りたくても戻れないところが沢山出てきます。

私の場合は肥満という原因がありましたが、基礎疾患のない20代の方が重症になった事例もあります。皆さん感染には十分お気を付けください。
体験記録は以上です。読んで下さってありがとうございました。

初稿:2021年6月16日

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