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草取りで人生観が変わりそうだ

先日、山梨の母のところへ行った時に、頼まれて庭の草取りをした。

広い庭の雑草は育ちに育っていて、抜いていいものなのか? それとも母が植えた植物なのか? と迷うほど立派だった。花まで咲いているものもある。
母は「全部雑草よー」と言うけれど、存在感があり、もはや雑草という感じではない。

今回母に頼まれたのはココ


6月に梅を採りに行った時にもせっせと草を抜き、すごーくキレイにした。
その後2ヶ月の間に、こんなに生え、伸びるのか。しかも群生する範囲が広がっている。
自然の生命力に感心する。

母は庭と言うが、小さな森だ。

小さめの鎌を手に早速取り掛かるが、根が太く深く張っていて、そう簡単には抜けない。
真夏の雑草って手強い、と思った。

何年か前まで母が本格的に野菜を作っていたその場所は、土がいいのだろうか。草も青々ツヤツヤとして元気。

頑張って抜いて抜いて周りを見回すと、思ったより減っていない。そしてまた抜く。
その繰り返しだ。

実は、私は草取りがかなり好きだと思う。

静かで、自然の音と匂いしかしない、あの場所だからいいのかもしれないなとも思う。

木、草、花、土、虫、風、太陽、空、それらの生命を感じ、自分もその中の一部に溶け、只管草の根元をカツカツ掘る。
私の意識は瞑想をしているみたいになる。
真夏でなかったら、多分一日中できる。

アレを黙々と毎日やっていたら、私は凄く長生きをするのではないだろうか。なんて思う。
それである日、パタリと土にかえる。

私が20代の頃、大阪から遊びに来ていた母方の伯母が、しばらく前に始めたという畑のことに触れ、
「土に触っていると手の先から腕を伝って何かエネルギーが上がってくるのよ」
と言っていた。
若い私は土いじりなどには一切興味はなかったが、その話が印象的でずっと覚えていた。

今年の春に別の叔母から、
「草取りしていると元気になるのよ」と聞き、
この叔母も…と思った。

そして6月に初めて本格的に母のところで草取りをする機会があり、おば達の言っていたことが解った気がした。

ただ黙々と無心に草だけを取り続け、フト気づくと、自然界に溢れる氣のエネルギーの中に自分がいるのを感じられた。
特に土の、大地のエネルギーは命のエネルギーだと感じた。体に力というか氣が満ちる。
おば達の言う通りだった。

作業後は体は疲れているものの気持ちは爽快、スッキリ。

近いうちにまた草取りをさせてもらいに行きたいと思っている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今日も幸せな一日でありますように。


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