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ゆとリーマン営業の社会人生活

こんばんは、ゆとリーマンです。
またまた更新をサボってしまいました😓
久しぶりの更新です。

今日のテーマは、新卒〜現在までの自身の社会人生活を振り返ります。
クソ長いのでご了承くださいww

①なめ腐って年間契約0→退職勧奨の新卒時代

新卒では「中小のハウスメーカー」に営業職として入社しました。
関東だけでなく、東北、中部、九州にもそれぞれ支店を展開している会社でした。私は神奈川の支店に配属でした。同期は全体で20人くらいいたと思います。

まず、4/1から2週間は太田市のビジネスホテルで寝泊まりし、当時太田市にもモデルハウスがありそこの従業員の控室的なところを借りて研修をしてました。

初めにやらされたのが「暗記トーク」というもので、会社説明を15こくらい小分けしたもので、これを丸暗記して研修担当の人の前で読み上げてテストしてもらい2週間で15こ全部終わらないと帰れない というものでした。

こんなん意味あるか?と思いながら、逆らったところでなくなるわけでもないので最終日になんとか気合いで終わらせました。
終わらなかった同期は数日残ってから配属された店舗行く形でした。

そして、なめ腐りーマンができたのはここから。

新卒なので所詮営業テクニックがあるわけでも家などの知識もあるわけでもなく、来場があっても何もできないのでまた「飛び込みして見込みを拾ってこい! 販促チラシをポスティングしてこい!」というのがお決まりでした。

初めの1ヶ月くらいはマジメにやってましたが、割と同期も意識低めだし成果も出ないし(当たり前だが)、だんだん緩み始め同期の車1台でその日回るエリアまで車で行った後、駐車場についたら「なんかだるくね?」「こんなんやったってしょうがなくね?」みたいな雰囲気になりそこの渦に飲み込まれました。笑

同期の家でサボってたのを上司にバレて1時間直立不動で説教されたりもしましたね。懐かしい。。

ただ、そこからも心を入れ替えたかというとそうではありませんでした。

適当に選んだ会社だったし、営業どころかアポすら取れなくて何しに会社来てるのかも分からないし、怒られた時も「そりゃあ上司だって見つけたら怒らないとダメな立場だし」ぐらいの気持ちで聞いてて本当に「なんとなく毎日過ごして成長しない」みたいな感じでした。

そして会社の業績も悪化はしていて何個か支店も畳むだったり人件費も削る的な話が浮上し、一定期間で契約取れてない奴は基本給を下げる みたいな話も上がりました。

当然新卒もその対象になり、私は結局成果が出せず給与下がりました。

人事からも「どうするの?」と電話きて一応建前で「ガンバリタイッス!」って返事はしましたが「お前が給与減って飯食えなくなって痩せこけてくのはみたくないよ」と心配してるように見せかけた「さっさと辞めてくれ」というのがビンビンに伝わったので、辞めるか!って感じで退職しました。
その後、約1ヶ月ほどの転職活動期間を経て次の会社が決まりました。

②ブラックだったが営業の基礎を叩き込めた
 しかし最後は色々投げやりになった2社目。

2社目は社員数100人、派遣スタッフ数は忘れましたがIT系と事務派遣の2軸で事業展開してる人材派遣会社へ入社しました。
本当は人材紹介やりたかったけど面接が受からなすぎて人材派遣からスタートする選択を取りました。

私はここでIT系の部署で営業先がSIerや SES会社としている部署に配属になりました。
これがSES営業としての第一歩です。

スタートはとにかくテレアポ。
リストはチームの人が予め作ってくれていてそれを上から下まで片っ端からかけるところからスタートしました。
新規もあれば過去にやり取りがあり疎遠なところの掘り起こしがメインでした。

初めはやっぱりto Bのテレアポスキル0だったこともありめちゃくちゃ断られてました。笑
ただ、ハウスメーカーのto Cで1年間成果0だったこともあったし同じ断られるでもto Cよりはto Bの方が気持ちも軽かったのは今でも覚えています。

当時、トークの研究や両隣に座ってた先輩と上司にトーク聞いてて気になることあったらすぐ言ってください!ってお願いして、頭が空っぽだったところに正しいアドバイスが入り吸収はなぜか早かったです。

そして、アポを取ってチームの先輩や上司に1ヶ月くらいは一緒について回って商談スキルを学んでいきました。

ラッキーだったのがそこそこ大手の会社にもしつこくテレアポしてたらアポが取れたのもあり、そこには絶対にチームのマネージャーか主任クラスの先輩社員についてきてもらい、たまたま成約しやすい案件をもらえて成約まで繋がりました。
ここまで入社して丸1ヶ月くらいでした。笑

ただ、やっぱり社会人歴も浅く一人称では動けないことの方が多く死ぬほど失敗もして割りとしっかり誰かしらから怒られてた記憶があります。
営業成果も達成→未達→達成 みたいなのを繰り返してました。

なので、会議の吊し上げもショートの時のゴリ詰めもパワハラサビ残も死なない程度には経験したと思います。(サビ残もゆーて1ヶ月80時間くらい)

対人能力はまだまだ低かったりKPIに縛られる恐怖を間に受けてアポだけ入れまくりゴミみたいな商談を繰り広げた(当時の顧客の皆さん申し訳ございませんでした・・)時期もありました。
派遣スタッフとの関係性の作り方やトラブル対応も未熟だった記憶が山ほどあります。

ただ、営業としての基本は学ばせてもらったし今でも当時の教えは実践していることも多いです。
あと多少の残業で一切根を上げなくなりました。笑

そして3年目の時、一回もう辞めよ〜ってなった時期がありましたが期の変わり目で同期と同じチームで仕事できることを知りもうちょっと頑張ってみよっかな ってなって続けましたが1ヶ月でチームを変えられそこのマネージャーと合わなかったり、ワイなんかしたか?ってくらい当時の部長から雑に扱われてやる気がなくなりだんだん適当に仕事をするようになり退職する形になりましたとさ。

ただ、プレーヤー時代に面倒は見ていただいてた方で割りかし仲良くしていただいてたので、辞めることが決まってからはチームメンバーの人選は死ぬ気でやり辞める月に3件くらい成約アシストしチームで送別会もやってもらって円満に辞めました。

③味わった明らかな挫折、営業としての覚醒するきっかけを過ごした人材紹介会社時代

3社目は、某大手人材紹介会社で主に2つのパターンで求職者対応をしてました。

初めは自社で持ってる転職サイトの登録者に求人ごとに条件設定して、スカウトを送りまくって応募者を獲得しそこから内定までサポートするという仕事。

後半はジュニア層に特化して営業や事務への転職支援するいわゆるCAと呼ばれる業務をやりました。

ここに関しては、とにかくみんな優秀。
自分よりバカなやつなんていないんじゃないか?ってくらいレベル高かったです。

とにかくキツかったのは一次面接(二次面接)を通過し最終選考案内をもらってからの求職者対応。

ルールとして上記の該当者については決められたシートを元に成約までのロードマップみたいなのを共有して逐一報告しないといけませんでした。

これに関しては現状、打ち手、クロージングストーリーや本人側のパーソナルな情報まで隅々聞かれて不足してるととにかく突っ込まれるわ、提示したストーリーなどが弱いとダメ出しが容赦なくきました。

はじめの頃は本当に言葉の通り言われるがままに進めてノウハウを吸収していた感じでしたがだんだん自分でも考えて上司からOKをもらえるようになり成果に繋がることで自信をつけて行っていたのを覚えてます。人として大切なこともたくさん学ばせてもらいここでの経験も今とても糧になっています。

しかし、ここでもなかなか再現性を持たせる成果が生み出せなかったのでまだまだ能力不足だったのは否めません。

そして結果的にコロナがスタートし軒並み採用ストップする企業が増え、人材紹介の業績が悪くなり部署縮小のタイミングで退職することになりました。

④SES営業に復帰!
 爆発的な成果は出すもワンマンシャッチョの餌食に

コロナをきっかけに(お前の能力不足だろ というのはなしで)、転職活動する羽目になり人材紹介は見てましたがなかなか上手くいかず保険で受けたSES営業だけ内定が出てしゃーなしに入社しました。

自社社員のみの営業でまだBPはやらずで200以上は稼働がありました。

ここは5ヶ月しかいませんでしたが、なかなか色々とありました。
何箇所か支店がある中の一つに配属されました。
そこにいる人が1人辞めるということでその人の企業を引き継ぎつつ大手の開拓と掘り起こしをやりました。

成果としてはビギナーズラックで、まさかの入社初月で某大手通信キャリアを開拓。
入社3ヶ月目でまさかの契約数1位タイ(営業15人くらい)獲得。
チーム化できる案件も取れてました。
と、今までではあり得ない成果が上がりました。

しかし、落とし穴にすぐ嵌りました。

あるエンジニアが直属の上司などをすっ飛ばし、社長に退職届を出してしまいました。

交代が出せるレベルならまだしも、当時は数少ないNWエンジニアだし出張が直近であったんですがそれに行かねーと喚き出しそれを聞いた客はガチギレ

シャッチョはお前だけでなんとかしろ、営業責任者や技術部門の上司は頼るな と訳の分からん指令を出され当然入社3〜4ヶ月のやつの言うことを10歳以上歳上のエンジニアは聞くはずもなく というのが続き、もうお前はここから外れろ 減給だ グループにある4000万くらい赤字ある会社行って反省してこい の3連コンボを食らいました。
いまだにこれは納得できません。笑

ちなみにその社長は後から聞きましたが雇われ社長で追い出され、問題起こしたエンジニアは懲戒も受け退職しました。笑

で、左遷先で1ヶ月くらい毎日定時で帰って転職活動して2社から内定もらったうちの1つを選び退職しました。笑

まぁ期間は短かったけど成果はちゃんと出たし後輩社員のメンターも入社3ヶ月で2人受け持ったし、営業戦略会議みたいなのも参加できたし履歴書に書けることはたくさんありましたのでまぁそこはよかったでしょう。笑

⑤成果は出すもゴミみたいな賞与に絶望して退職

この会社でもSES営業をやりました。
前の会社がクソみたいな状況だったのでスタートの給与は多少妥協して入りました。

成果は割とここでもすぐ出ましたしクォーター、半期では入社〜退職までの間は未達は1回もありませんでした。(2年もいませんでしたがwww)

登録型の会社だったので、決まったら自社の契約社員or個人事業主になってもらうみたいな形でした。

ここは緩く資本金1000万さえ超えてればなんでもありだったし創業10年ちょっとの会社でしたがSES事業は3年目くらいだったので新規開拓はし放題は環境でした。(もともとは受託で細々やってた)

なので、SIerからSESまで広く開拓しまくり配信で引き合い取るところと個社対応するところを線引きしてやってましたね。
とにかく数に物を言わせてました。笑

ここでも入社4ヶ月目で新しい後輩が来てそこの教育任されたり割りかし退屈しない毎日は過ごしてました。営業の同僚とは仲良かったですし。

そして、事件が起きます。

⬛︎達成したのに賞与が1ヶ月を切る

上半期を120%くらいで売上も粗利も達成していました。なのに賞与が1ヶ月未満です。

そして何よりムカついたのは当時の事業部長(何もしないただの置物)が無条件で100万もらってること。

それに関しては夏のボーナスの時に知ってましたが、あらためて上期120%やってそれはねぇだろって気持ちになったのと管理部門の平社員の中途と同じくらいの給与だったことを知り社会人生活TOP3に入るくらい憤慨しました。笑

あとは営業が稼いだ粗利をバカ人事が全部採用媒体やエージェントに使ってたことかな? 
未経験をエージェント経由で採用するという、いかにもいいカモみたいな扱いをされてた事実を知ったのもありますね。
そのくせ営業にでかい顔してきて社内のゴミに足引っ張られるのがとにかく腹たったって感じでしたね。笑

⑥現職 ホワイトな環境と引き換えに
 社会の底辺層を目の当たりにする

そして今の会社に辿り着きました。
ここでは社員とBP営業をしてますが、BP営業の方が比率としては高い感じです。

そしてここで、Xにて投稿してるような事例に毎日のように当たっているというわけです。

現職ではハイブリッド勤務できるし残業も少ないし年収も一気に同年代の中央値まで引き上がりました。
前職から少なくとも100万は上がりました。笑

ある程度基盤ができてるので安定した働き方はできてますが、たまに物足りなさは感じてますが特に大きな不満もなくやってる感じですね。

今までの経験は割とフル活用はできてる印象です。笑

そんなこんなで雑にですが私のこれまでの社会人人生を振り返りました。

意外と社会人の前半はクソ営業クソ社会人でした。

だんだんブラックな環境から抜け出し、ノウハウを蓄積しアウトプットとして出せるようになり、結果今ゆとリーマンらしい働き方ができてます。

正しい努力をすれば、時間がかかっても望む働き方や年収は手にできると思ってます。
上には上がいますけどね。笑

また違うネタを考えます。
長駄文でしたがありがとうございました。

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