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日記:機動戦士ガンダムSEEDC.E.73STARGAZERを観た

前書き

今年1月末にガンダムSEEDの劇場版が公開されましたね。
リアルタイム世代ではないんだけど、周りにガンダム好きな友達が多かったので確かダブルオーがやってる時期にSEED〜DESTINYまで観たと思います。

SEEDシリーズに関して自分が抱いていたモヤモヤはけっこう後に形成されたものです。
観てたときはモビルスーツのドンパチでストレートに楽しんでいたと思うんですが、その後ネットの書き込み等の評価を見たり、アニメに限らず色々な創作に触れたことで「同じ世界観で100話も使って何も解決していないし何の希望も示せてないじゃん」という思いが強まってきました。
むしろ個々のキャラクターの動きとかにあんまり不満はなかったです。ただなんか優生思想みたいなセンシティブなテーマを扱ってるのに「争いはなくならず人々は分かり合えませんでした」と捉えかねられないような全体を通しての顛末に、あまりにも情けないフィクション(ワード自体の出典:島本和彦先生)を描いてるなという憤りがあったというのが自分の率直な感想でした。

で、実際映画が公開されて半笑いで観に行ったわけですが、あまりに満足してしまった自分がいて驚きました。
結局あの世界の争いごとをいっぺんに解決する手立ては無い、っていうのが結論だったんですけどそれを提示してくれたのもよかったのかな。全体的に漂う同窓会的な雰囲気も、約20年越しの完結編としては最適解だったのだと思います。

C.E.73STARGAZERについて(普通に話の内容に言及する)

警報アナウンスが響き渡り、地球は未曾有の悲劇に見舞われた―
C.E.(コズミックイラ)73。
ザフトによるユニウスセブン落下の衝撃波は、都市を打ち砕き、津波が逃げ惑う人々を呑み込み、地球に深い傷跡を残していった。
恐怖と混乱のさなか、一体のモビルスーツが打上げの時を控え静かに空を見上げていた。
その純白の機体-STARGAZER-と共に星の世界を想うDSSD(深宇宙探査開発機構)MS開発チーム所属、セレーネ・マクグリフ。そしてまた一人、星の見えない黒煙の空を冷たい眼差しで見上げる地球連合軍ファントムペイン所属、ストライクノワールのパイロット、スウェン・カル・バヤン。
重ならない彼らの視線の先に、星はまだ見えない・・・

https://www.gundam-seed.net/

C.E.73STARGAZERはガンダムSEEDの外伝的なアニメ作品で、時系列的にはDESTINY5話のユニウスセブン落下~の話にあたります。
コーディネーター(遺伝子操作を受けて生まれてきた人類。総じて素のスペックが高く主に宇宙で暮らす。)でD.S.S.Dの女性技術者「セレーネ」と、ナチュラル(遺伝子操作を受けずに生まれてきた人類)で地球連合の士官「スウェン」の二人が話の中心です。

 自分はこの作品の存在自体はゲーム等で知っていたものの、視聴するまでは至っていなかったんですね。当時はサブスクとかで気軽に見られなかったし。
 今回劇場版で興奮して、この際だからと観てみたんですけど、すごくいい作品でしたね…。
 当時これにちゃんと触れていたら、まだコズミック・イラというものに対する思い入れが変わったかも。
 本編に対しSTARGAZERは本当に小さな小競り合いの話なんですが、視点がミクロな分本編にて蒸発したり爆散したりしてドカドカ死んでいく兵隊や市井の人々によりスポットが当たり、克明に描写されていることで悲劇の具合がより際立つようになってる。
 元来宇宙(そら)に憧れる普通の少年で、テロによる両親の死によってブルーコスモスに引き取られ兵士として育ったスウェンがセレーネと互いに一個の人間として身を寄せ合いながら言葉を交わすラストシーンにグッと来た。
 宇宙空間を漂流するスターゲイザーのコックピットでふたり仮死状態に入る寸前、スウェンは反コーディネーターの兵士として育て上げられた過酷な半生の中で自分を想ってくれた両親や引き取られた施設の女性、上官や部隊のメンバーのことを走馬灯のように思い出しながら眠りにつくんですよ。
ふたりがどうなったのかこの作品中では曖昧な形で終わるんですが、生きて再び目を覚ますだろうという確信が持てるくらいの希望を以て描かれているアニメだと思う。
 俺がガンダムSEEDの続編で見たかったのって、程度の差はあれ、STARGAZERがこの世界の小さな触れ合いを描写して帰納的に示してくれたようなこういう「そうは言うけど世の中捨てたもんじゃないんだぜ?」って結論付けだったんだと思うんですよね。それをDESTINY本編の最後でやってほしかったんだ。

主題歌の『STARGAZER ~星の扉 -』も名曲なのでぜひ聴いてほしい

最後にまた映画の話に戻る


SEED劇場版は最終的にキラとラクスの二人の個人的な関係にフォーカスすることで、「愛」という「優劣によらない価値基準で行動すること」を作品のテーマとして示してくれたのが大変良かった。ちょっとクサ過ぎるかもしれないけど、100話に渡り地獄の様相を垂れ流し続けたコズミック・イラではこれくらいでちょうどいい。キラもラクスもシンも年齢相応の弱さや健やかさを取り戻して嬉しかった。アスランが宇宙一フリーダムな男だったのも意味わかんなくて面白かったよ。

ありがとう、ガンダムSEED。


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