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Fictional World, Functional life _1

「人はなぜ自殺するんだろうか」


ぼくは独り言のようにつぶやいた。
空気に溶け込んでしまう薄い紫煙ような小さなつぶやき。水に落とした一滴の朱のように、じわり、と滲んでいく。ただ惜しむらくはここには空気も水もないということ。

すべて仮初。

では何に溶け込み滲んでいくかというと、おそらくは、吐き出したぼく自身、そして向かいに座っている彼女自身にだろう。

「嫌なことでもあったんですか?」

一人遊びをする子供を見つめるような優しさで微笑みながら彼女は問いかけてくる。ちらと少しだけ彼女の方を見るが、何かを思い出したかのようにすぐに目を逸らしてしまう。視界の辺縁に映る彼女はしばらくこちらを楽し気に見つめている様子だったが、少し強くなった風を気にしてか、ゆらゆらと棚引く髪を手で押さえ、微笑みをそのままに風の吹く方に注意を向けた。彼女の視線につられて風上に目を向けてみる。

灰白色の太陽、薄灰色の海。
灰色のサンセットビーチ。
何も ―寸分のずれもない日常。
ただただその言葉の意味のまま、いつも通り。

「いや、ね。いつもの気まぐれ、発作だよ。」

思い出したかのように彼女の問いに答える。

「そうでしょうね。」

彼女もまた思い出したかのように楽し気に微笑む。少し頭を横に傾けながらこちらを見てくる彼女から今度は目を逸らさなかった。彼女の微笑むときのその仕草は、いたずらを思いついた子供のようでもあり、幼子をいつくしむ母のようでもあった。

ぼくはそれが嫌いではなかったように思う。

「ところで、嫌なことがあるから自殺すると君は考えている、ということでいいかい?」

彼女は微笑みを少しだけ緩めて、また、少しだけあきれたように口を薄く開いて言う。

「そんなこと言いましたっけ?」

「いや。でもぼくの発作に対して、嫌なことがあったのかって聞いただろ?」

あぁ、と緩めた微笑みをもとに戻しながら小さく相槌を打つ。どうやら彼女自身の問いかけの意図はさておき、ぼくの言った意味には得心が言ったらしい。
彼女はもう一度相槌のように、あぁと漏らした。

「確かに言いましたね。でも先生のその発作が出るときって決まってくたびれた様子じゃないかしら?」

「決まってたら発作ではないよ。別にハッピーな時だって突拍子もない問いかけは出てくるよ。」

「先生のハッピーな様子って想像できませんね。」

「だいたい一人の時だからね。どうやらぼくのハッピーは人に分け与えらる形をとっていないらしい。」

自分に対する皮肉と言えるような形容に満足していると、さざ波のような笑いがこみあげてくる。そんな様子を見てか彼女も笑みを深めていた。
存外自分の想定よりもぼくのハッピーは人に伝わる力を失ってはいないらしい。

あるいは彼女だからか。

刹那に顕在化した思い付きをゆっくり溶かすように、薄く息を吐いた。

「とはいえ、嫌なことがあるから自殺するということを君自身はどう思う?」

話を転換しようと口から出たが、どの言葉からの”とはいえ”なのだろうと、自身の発言ながら自問してしまう。おおよそ意味のない問いに目を逸らしているうちに彼女は答えた。

「そのように意図したわけではないですが。でもそうなんじゃないですか?」

彼女はあっけらかんと言う。

「自死を選ぶほどのこと、というのが具体的には思いつきませんが、嫌なことには違いないんじゃないですか?」

「嫌なことねぇ。」

灰色の中空を見るともなしに見つめながら繰り返す。わかったかわからないようなぼくの様子を鑑みてか、彼女は言葉を継ぎ足す。

「切実でうんと嫌なことですよ、きっと。」

「そう。」

継ぎ足した彼女の言葉をぼんやりと頭で反芻しながら、ふと、声になったかわからないような相槌がこぼれた。中空をとらえていた視線は、黒から白へと移り変わるグラデーションの先を追って、やがて太陽へとたどり着いていた。

一寸の静寂。波の音はぼくの意識を色づけるにはまだ少しばかり足りないようだ。沈みかけていた意識がじんわり浮遊して、やがて口を開いた。

「つまり、人の意識がそもそもの発端で原因だってことなのかな。」


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