見出し画像

◇特集「今こそ学びたい 江戸時代の生き方」

*火事も喧嘩もコレラも笑いに変えた

 新型コロナウイルスによる新規感染者数が「1,000人」と言われれば多い気もするが、「人口の0.001%」と言われれば大したこともないように感じる。
 過去を遡れば、「人口の1%が死亡した」ウイルスに襲われた時期がある。それは僅か100年余り前の江戸時代だ。当時の人々は、その恐ろしいウイルスとどう対峙したのだろうか。
 コロナ禍の中で発刊された1冊の本(『安政五年、江戸パンデミック。』)の中に、当時の状況が分かりやすく記されていた。今その本を世に出すことで、現代の人に何を伝えたかったのか。著者の立川談慶氏に思いを聞いた。

P39 写真

立川 談慶(たてかわ だんけい)
落語家。1965年、長野県上田市(旧丸子町)生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、株式会社ワコールに入社。3年間のサラリーマン生活を経て、91年、立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。2000年に二つ目昇進を機に、立川談志師匠に「立川談慶」を命名される。05年、真打昇進。慶應義塾大学卒業の初めての真打となる。ウェイトトレーニング歴10年、ベンチプレス120㎏。

~コロナより強烈なパンデミックを乗り切った江戸っ子~
” 火事も喧嘩もコレラウイルスも笑いに変えたしなやかさ ”

「コレラ」を「コロリ」と
呼んだ感性に注目

――どういう経緯で『安政五年、江戸パンデミック。』を書くことになったのでしょうか?

談慶 二月の中旬頃から、仕事がどんどんキャンセルになってしまい、これは一つ、物書きの仕事を増やさなければと思っていました。そんな時に、出版社の担当さんから「コロナに関して、落語家らしい本を書いてみませんか?」との吉報を頂きました。

 このコロナ禍でも、落語家は前向きに生きているだろうと思われたのかもしれません。それは確かにそうなのです。なぜなら落語が生まれた江戸時代は、コロナよりもはるかに高い致死率のコレラに苦しんだ時代でした。調べてみると、コレラの被害は70年ほど続いて、その死者数は諸説ありますが、10万人とも30万人とも言われています。

 一方で、当時の寄席の数を調べると、コレラが日本で発生し始めた文政末期(1830年頃)には125軒でしたが、安政年間(1855年~1860年)には、170軒にまで増加していました。これは、人に近づくと感染の可能性が高まることを承知の上で、寄席という密集空間にあえて落語を聞きにくる人がたくさんいたということです。

 つまり、つらい状況だけれども、江戸っ子特有の「しゃれのめす」精神で、笑っちまおうじゃないかという心意気が見えてくるのです。

 江戸っ子の持っていた柔軟性を再び呼び起こして、この困難をしなやかに受け止める感受性を持って欲しいと思いながら、現代の人達に希望が見出せるようにと願いを籠めて、この本を書きました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【 江戸っ子の人情深さがよく分かる小噺 】
「おい。おっかあ、竹んところに飯持っていけ。いや、今あいつんち寄ったらな、みんなで芋食ってやがるんだ。訳聞くと、銭がねえってやがるんだ。江戸っ子が芋なんか食っちゃいけねえや、持って行きな。どうした? 行ってきたか?」
「行ってきたよ。竹さんに聞いたらさ、ここひと月仕事がなくなって、お米買うオアシもなくて、芋かじってたんだって。おまんま見たら涙流していた。こっちももらい泣きだよ」
「しょうがねえ野郎だな。俺も一回りして腹減っちまった。飯にしてくれ」
「何言ってるんだよ。今、おまんまみんな持って行っちゃったから、うちにはもうないよ」
「そうか、じゃあ、芋でも食うか」

P41 囲みイラスト

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


――江戸っ子は、コレラをどのように「しゃれのめした」のでしょう?

談慶 コレラに感染すると、潜伏期間は数日で、早い時には一気に脱水症状に陥り、発症し重篤になると2、3日で死んでしまいました。そのため、「ころりと死ぬ」という意味合いからか「コロリ」との呼び名で庶民に定着していました。恐ろしい病気に、ころころと転がるようなイメージの名前をあてがった感覚は、とても大切ではないでしょうか。

 そこから派生したのか、「虎狼狸」という架空の妖怪の仕業にしたという言説もありました。目に見えないウイルスを可視化できるようにしようとしたのでしょうけれども、何とも言えないユーモアが感じられませんか? 名前から想像するに、とてもヘンテコな妖怪が悪さをしているのだと思うことで、絶対俺たちはこの病気に勝ってやろうぜ! という気持も湧いてきたと思うのです。

 呼び名というのは大事です。「ガン」と言うから怖いので、私は「ポン」と呼べば良いと思うのです。「あなたのご主人は、ポンです」と言われれば「そうですかポンですか」という具合に受け取れる気がするのは私だけでしょうか。「コロナ」と聞くと、如何にも得体のしれない新参者のような感じがします。

「火事と喧嘩は江戸の華」
から感じる豊かな精神性

――本を書き進める中で、江戸と現代の共通点にいくつも気付いたとのことですが。

談慶 例えば、江戸では当時、物売りが蕎麦や甘酒を売り歩いていたと言われますが、それは今で言えば、ウーバーイーツ(Uber Eats)です。

 また、近頃はお金が必要だけれど、なかなか自分で調達が出来ない人は、クラウドファンディング(=「群衆(クラウド)」と「資金調達(ファンディング)」を組み合わせた造語で、「インターネットを介して不特定多数の人々から少額ずつ資金を調達する」こと)で資金を集める人が多いです。
 
 これに類似するものとして、江戸時代は「講」と言って、当時の人々にとってお伊勢参りに行くことは念願だったわけですが、その旅費がなかなか工面できないため、複数人で共同出資し、皆でお金を頭割りして、順番にお伊勢参りができるような仕組みを作っていました。

 さらに、当時は「玉川上水の水を飲むとコレラが伝染(うつ)る」や「魚や貝で伝染る」などのデマが流れました。その頃に比べて科学的知見が発達した現代においても、「新型コロナウイルスは26度のお湯で死滅する」などのデマが飛び交いました。今も昔も、災害が起こるたびに、デマに踊らされるのは変わりません。

 つまり、今コロナ禍で苦労していることも、日本人はほとんど既に経験して来ているのです。そう思った方が楽でしょう? この辛さをご先祖様達と頭割りして、辛さを分散し、シェアしてしまえば良いのです。

――江戸は平和な印象が強いですが、実際はストレスの多い時代だったということですね?

談慶 「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるくらい、江戸は火事の多発地帯でした。しかも、今と違って水や化学薬品での消火はできませんから、家を壊して類焼を防ぐ消防活動しかできませんでした。

 当時の江戸の人口は100万人だったと言われています。内訳は、おおよそ武士が50万人と町人が50万人でしたが、土地面積は、75%が武家屋敷で、25%が町人の住む場所でした。つまり、町人達は慢性的に過密状態でした。

 距離の近さによるストレスも喧嘩が絶えなかった理由だと思います。この火事と喧嘩は、江戸を代表する面倒なものの二つでしたが、それを「華」だとしゃれのめすことで納得させたところに、豊かな精神性を感じます。

 同時に、過密な居住空間だからこそ、お互いが平和に過ごすための高度な工夫や忖度も生まれました。例えば、蕎麦屋さんに行くと、「つい立て」がありますが、あれ自体に防音効果はありませんが、つい立てがあることによって、隣の客がひそひそ話を始めたら、こちらはあえて違う話をして、わざと聞こえないフリをするというエチケットが備わっていたと思います。

 今の時代は、私は私、あなたはあなたという具合に、分断してしまっています。分断ではなく、苦しさも悲しさも喜びも、みなで分散すべきだと私は思っています。

人は成長しているようで
実際は成長していない

――江戸時代は困難なことだらけだったために、そういった辛さを分散せざるを得なかったのでしょうか?

談慶 それはあるでしょう。明治に入ると、殖産興業で富める時代になり、それぞれの個が頑張れば賄える時代になりました。そこで、むしろ好んで、プライバシーを尊重するようになりましたが、それは昭和までだと思います。

 平成に入ってその価値観に陰りが出て来て、いよいよ駄目だということでシェアハウスやクラウドファンディングなどの頭割り思考が増えてきました。江戸で言えば、富くじの共同購入みたいなものです。皆で分け合ったり、変わりばんこにしたりという日本人の美徳を、再び発揮する時代が来たのではないかと思います。

――江戸から一周廻って今があるという感じでしょうか?

談慶 そうです。人間は進歩しているように見えて、そんなに進歩していないものです。

――師匠の立川談志氏は江戸が大好きだったとのことですね?

談慶 談志は江戸っ子の生き残りみたいな人でしたね。そういう自負がある人でした。普段の弟子に対する小言のトーンも、落語の「てめぇ、この野郎!」のトーンなのです。傍から見るととんでもない人に見えると思います。

 例えば、「このお茶ちょっと薄いから、淹れ直して」と言うところを、「てめぇ、こんな馬の小便みたいな茶が飲めるか!馬鹿野郎!」と怒るわけです。受け取る側にしっかり翻訳できる力があれば我慢できるわけですが、真に受けてしまうとエライ目に遭います。

――談慶さんは、談志師匠のもとで9年半もの下積み生活を送られました。なぜそんなに付いて行けたのですか?

談慶 ある時、談志が「俺に殉じてみろ」と言ってくれました。なかなか言えないセリフです。私は出来の良い弟子ではなかったので、「お前、そこまで不器用だとは思わなかったよ。だったら俺の基準に懸けみろ」というメッセージだったと思います。

 そして、「15年前座をやって、30秒だけ二つ目をして、30秒後に真打ちになっても良いぞ。俺はそれまで待つ」と言ってくれました。時折、そういう殺し文句を吐いてくれるのですよね。

 志の輔、談春、志らくというトップランナーのような弟子もいれば、自分のようなドンくさい弟子も受け入れてくれました。そこには感謝しかありません。

落語を聞くことで
想像力と共感力を養う

――まさしく、江戸っ子の懐の広さ、人情の厚さを感じます。

談慶 ある先輩に、「談志が弟子にめちゃくちゃ怒るのは、あれは守られていたんだよ」と言われたのです。談志があれだけ厳しい躾をしているのだから、俺が何か言うわけにはいかないなと、周りは思うのです。

 そう言われれば、他の一門の人達の会などに行った時に、嫌なことをされたことは一度もありませんでした。まあそもそもウチの師匠よりもめんどくさい人はいなかったですけどね(笑)

――免疫ができてしまったのですね。

談慶 そういう中で見方を変える訓練ができていたかもしれません。だから、江戸から現代の人を見るとおかしいことがたくさん見えてきます。今が苦しい苦しいとあえぐ前に、江戸の側から今を見てみたら楽になるよ、と伝えたいです。

――最後に、落語の魅力を教えて下さい。

談慶 これほど省略化と簡略化された芸能はないです。どんな場所でも、座布団と少しだけ高い台を置けば誰でも楽しむことができます。音響や照明や映像はいりません。落語を聞くということは、日本人の原点に返ることだと思っています。

 まず、人の話を聞くことです。最近は、どうやって自分をアピールするかとか、どうやって発信するかということばかりが注目されます。まず話すよりも、聞く姿勢を持つことで、結局その人自身が楽になるのです。それはみんなが話したがり屋で、書きたがり屋だからです。五感を通した受信機能を高めるためには、落語はうってつけです。想像力、共感力が養われコミュニケーション能力の向上にも繋がります。

 落語の噺の中身は変わりませんが、中身の捉え方は、聞く人が生きる時代によって変わるはずです。何時の時代にも変わることない、人間にとっての普遍的な内容が詰まっています。
                                   (取材・文 立川秀明)

【著書紹介】

P43 著書写真

書名:『安政5年、江戸パンデミック。~江戸っ子流コロナ撃退法~』
発行所:株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント
発行日:2020年8月28日
価格:本体価格1400円(+税)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?