うちの犬の思い出を振り返る

うちには、かつて一匹のミニチュアダックスがいました。

私が小学生のクリスマス。別にクリスマスプレゼントにねだったという訳ではなく、たまたま親の知り合いに子犬が生まれ引き取る日がクリスマスだったというだけなのだけれども。
その日、私は熱を出して寝込んでいた。ので、実は出会いはそんなに覚えていない。けれど、小さかったのは覚えている。


その子はすごく可愛くて、手のかかる子で、いたづらっこだったように思う。

よく入ってはいけないところに入る子だった。仏壇とかがあったため、和室に入るのは禁止していた。ただ、コタツが好きだったのか、家に帰ってくるとコッソリと空いたふすまから出てくる。
よしんば、出るところを見られずとも、鼻で開けた襖はぽっかり空いていたままで。入ってないよという顔をしてもバレバレなのだ。
それでも、仏壇を荒らしたことは一度もなかった。

足の隙間によく入ってくる子だった。ソファで寝転がると、飛び乗ってきて、足とソファの隙間に潜り込む子だった。そして、一緒に昼寝をするというのが小学生の頃の日課だった。

散歩でよく振り返る子だった。散歩に複数人で行くと、我先にと歩くのだが、ちょこちょこと振り返る。付いてきているのを見て安心したかのようにまた歩み始める。
彼女にしてみたら、先頭でリーダーのように思っていたのかもしれない。ちゃんと付いてきているかなと。

脱走した時もあった。うちの玄関はそこそこ段差があるタイプなのだが、ある時、扉を開けると、飛び降りて走り抜けて行った。私たちは焦ったのだが、母が機転を聞かせご飯と叫ぶことで彼女は踵を返し戻ってきた。

ヒーターが好きな子だった。冬場、寒くて私はヒーターの前で胡座を書くことが多かったのだが、そうすると決まって彼女は膝に乗り、撫でることを所望するのだ。

オクラが嫌いな子だった。他のもの喜んで食べるのだが、オクラだけは口に含んでから即座に吐き出すのだ。納豆は食べていたので、おそらくネバネバではなく毛羽立っているのが苦手なのだろうと思っていた。

癌になった。確か5歳くらいだったか。乳がんになり、当時の私はよくわかっておらず、癌という単語だけで不安になったように思う。結局、乳房を切除をすることで何とかなったのだけれども。彼女のお腹には切開の後が残った。


彼女が10歳位になる頃には、私は大学生で。遠いところに通っていたというのもあり、彼女と触れ合う時間は減っていった。

彼女は徐々に白髪が増えていき、元気がなくなっていった。いつもは出かけようとすると脱走がするかのように元気に玄関に来て飛び降りていたのに、いつからか玄関に来るだけになった。ある時から玄関に来ることすらなくなった。


私が妻と同棲を始めたので家を出てからしばらくした時。我が家の犬が、なくなったと連絡が入った。15歳くらいだったか。
元々、その数ヶ月前にも一度危篤状態になり、その時は回復したのだが、今回はダメだったのかと動揺しながら帰り、そして家で亡くなったのを見て泣いた覚えがある。


一つだけ、家族に言ってないことがある。うちの家族の中で、今の妻を初めて紹介したのは犬だったりする。家族がいない間にコッソリと連れてきて、犬に合わせたことがある。
それ以外で妻をちゃんと家に連れてきた時には、すでに亡くなっていたと思うので、良かったのと思う。


色々と後悔はあって。幸せだったのだろうかとか、もっと可愛がって挙げれば良かったとか。今なら犬は大好きですごく可愛がるのだが、当時は他のことがやりたくて、あんまりかまってあげなくて。
それでも、やっぱり人生の半分は一緒に過ごしてきていて。末っ子であった自分には、一番下で。でも、彼女から見たら一番下は私で。
おそらく、彼女はペットではあったけれども、妹にも近い存在だったのかもしれない。

本当に大切な存在だったんだなと思う。
家族や大切な人に、孝行したいと思った時には亡くなっていて後悔するというのを教えてくれた。
家に帰るのはめんどうに思っていたが、その時から家に帰り親と話すのも悪くはないと思えるようになったものだ。


大切な事を教えてくれて、いたづらを良くして、寂しがりな彼女は、世界一可愛いミニチュアダックスフンドだった。


#我が家のペット自慢

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