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父が亡くなってから「完璧な幸せ」を忘れた


父が亡くなって、一ヶ月と少し経つ。

昨日は誕生日で、旦那が予約してくれたお店でディナーをした。本屋さんで、大好きな作家さんの本を買ってもらった。幸せだと思った。

今日は、夕飯が美味しかった。さっきも、昨日買ってもらった本を読んでいた。続きが気になって寝たくないくらいには、夢中になっている。明日の仕事も、別に嫌ではない。幸せだと思った。

それでも、どこか、何かが少し、欠けていると感じる。手放しで幸せとは言えない、空洞が今の自分にはある。こんなに幸せなのに、ほとんど幸せなのに、幸せになりきれない。

「幸せでたまらない」って、完璧な幸せを感じるって、もう一生、ないのかもしれない。こんなに幸せでも、嬉しくても、楽しくても、少しの空洞を心に抱えるのかもしれない。

そもそも、父が元気な頃に、完璧な幸せを感じていたかもわからない。もともとあった感情が、なくなってしまったように感じるけど、幻想なのかもしれない。

でもたしかに、完璧な幸せだった気がする。うまく言えないけど、満たされていて、寂しくなくて。そんなに恵まれた環境で生きてたなんて、知らなかった。親が元気で、家族が元気で、何にも心配しなくて済む環境で、自分の喜怒哀楽をちゃんと握りしめられて。いろんな気持ちの日があったけど、なにか嬉しいことがあったときは、本当に、百パーセント幸せを噛み締められてた気がする。凄まじい幸せ。うっとりするくらい、強烈な幸せ。

父が亡くなって、それがなくなった。嬉しいときも、楽しいときも、心に少しだけ空洞があって、そこには切なさが散らばってる。幸せ〜って思う瞬間も、なんだか寂しい。

だけど、この空洞を持つことが、大人になることなのかもしれない。大人は、みんな少しの痛みを持っているのかもしれない。

間違いなく、今までの私より人の空洞を理解できる私になった。百パーセントの楽しさや嬉しさを追い求めなくなった。押し付けなくなった。こうやって、大人になるのかもしれないね。

毎日とっても楽しいです。なんだか寂しいけどね。


おやすみなさい。

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