アンチ・ムキになる

なにも書くことが見当たらないうちに書き始めておきたい。

昨日書きあぐねている人のための小説入門をひさしぶりに読んでめちゃくちゃ小説を書く気になって、朝起きてもギリギリそうで、電車の冷房が効いてなかったので気分が他へ転がった。で、今もなにかを書けそうだったのでまた書く気になったのだが、忘れてしまった。でも小説は今日は無理だな、というようなことを書こうとしていた。

公開しながら10枚書くペースを落としてみようか。たとえば、公開、秘密、公開、秘密、みたいな感じで。東海オンエアも週4投稿になったことだし。しかし3日間のうち1日はメンバーそれぞれのチャンネルでの動画投稿、もう1日はショート動画、そしてもう1日はあげたりあげなかったりになるということらしい。ペース上がってね?と思ったが上がってるわけないか。月曜は従来東海オンエアのサブチャンネルの投稿があり、それ以外は休まず投稿していた。なんか参考になりそうだ、これを参考にしてみたら面白いことになりそうな気がする。

もともと、何曜日はなになにをする、みたいなのが好きなのだ。由来はなんだろう、昔から家で、お風呂掃除当番、みたいなのがなかったからそこへの憧れかもしれない。あの、手で回す、まるーく切った画用紙の真ん中につまようじのようなものが刺さっていて、均等に、4分割ほどで色分けされた当番表が僕の家にはなかった。バイト先のクニちゃんは、この火曜日を掃除の日と決めているらしい。呆れたしっかりさだ。変な言葉だが出てきてしまった。呆れたしっかりさ。

それから、その日のうちに書きたいことは全部詰め込む意識はしてみようと思う。「小説入門」で小説を書く気には最終的にならなかったが、以前も読んだであろう文庫版のためのあとがきで、これを読んだら1000人のうち3.4人は小説家になれるといったが、その言葉はこの本がン万部売れた今も訂正するつもりはなく、強いていえば、必ずしも小説家に限らないとだけ補足させてほしい、というのを読んで、1000人のうち4人の小説家だったらなれる気がしないけど、小説家じゃなくでいいんだったらやりようがあるな、とやる気が湧いた。小説を書こうとして読んでみるとひたすら叱られている気分で、とくにさっきの冷房の効ききらない電車のなかなんかではもう息苦しくて仕方がなく、このまま今日は悩むのに使って、明日からまた書いてくことになるのかな、小説を書くって大変なことだから、と思ったものだが、どっかの拍子にその強迫観念が和らいだようだ。


開いてみる。書ける状態にしてみて、思いついた言葉を放り投げてみる。反響がなければ少しぼーっとしてみたり、ちょうど今なにか、音ではないが、目に見えるものでもない何か、運命のようなものが目の前にあるので、そのまま書いてみる。
生きのびるための事務が平置きになっていなかったので、この前勝手に完全犯罪だといって、2冊平置きされていた女子のエッセイと入れ替えてみた。数日経ってみにいくと、そのままになっていた。バレないもんだな、と他にもなにかできそうな気がした。俺がダメだと決めつけているだけだ。それからさらによくみてみると、一冊減ってるかも、まさかと思い側面から裏側へ、指先をのばしてみると、一冊しかない。売れてるやん。やっぱりこの本は平置きにして、表紙をみせれば売れるんだよ。すげーっとこっそり興奮して、このまま本が売れ続けて、もっと大々的に生きのびるための事務がこの本屋で扱われているのを想像した。いままた同じ場所を通ったら、表紙が見えなかった。さすがに手直しを食らったかなと現実をみるつもりで本棚を見渡してみると、背表紙が見当たらない気がする…、まさかと思いTSUTAYAの公式アプリで在庫を調べてみる、このへんでもう、何をやってるんだおれは、と呆れていたが、手を止めるわけにもいかないのでここまできて、「販売在庫」のページに飛んでみる。在庫がない。もう一冊売れとるやん。ここまでくると、貢献してるやん。店の売上に、という意味でそう思った。ここで売れなくてもAmazonやどこかでいくらでも売れるだろうから。しかし、一応店員さんがおすすめしていた本を押しのけて俺の好きな本をそこに置いてしまったものだから、売れてくれてよかった。つぎ、流石にもう一度入荷するだろうが、はじめから平置きになってるのだろうか。面白い、どちらでも面白いのでこれもまた事務だ。平置きになってなければ、けしからん、とは言わないけれども、また直してみよう。もっとも、一度うまくいったからといってもっかいふざけてみたところで誰か、先生みたいなひとにバレて、怒られるのもよくあるパターンだから、しばらく泳がせておこう。しかし断っておくが、僕が平置きにしてからまだ3週間もおそらく経っていないが、僕があの本を発売日に買ってから、残りの2冊は1ヶ月以上売れずにいたのだ。置き方で変わるもんだなあ、本によるんだろうけど。これは絶対売れるだろ、みんなに読んでもらったほうがいいだろ、と思える本は、勝手に平置きにしてしまっていいのかもしれない。売れるから。ここの完全犯罪体験、兼あんまし通がかよわなそうな本屋でのフィールドワークは今後も続けていきたい。

昼休憩が終わる。戻ろう。

その日の原稿に全部、書きたいこと書いてみるというのは意識的にやったことがなかったから、今日からそれでやってみようと思う。4000字でスッパリ切るのを保坂イズムだと思っていたが、それは書けるだけ書いて、オーバーしようができることを詰め込んで、で、これじゃオーバーしてますから使いません、と言われたときに、はいじゃあここまででいいですと、書きたくてオーバーしたところをあっさり諦められるその非情さ?その慣れ方、にイズムの真髄があるような気がする。そんな気がしてきた!


変な線路があり、ではどこが変だと感じているのか、色と模様のリズムをみたりして、言葉にしてみようとする。言語化という言葉に僕はずっとしっくりきていない。が、千葉雅也さんをみているとあの人は言語化をしている、今目の前で、とはっきり思うから、それがまやかしだってわけではないみたい。ということは僕がそれを避けて通っている。めんどくさいから、本質のほうからわざと遠ざかっていることになる。それを無自覚におこなっているから、まだ言語化のことを悪く言える、のかもしれない。
引っかかりもある。そうではないと叫ぶのが聞こえる。やっぱりそうなんだ、と安心してしまって、そういう聞き方に終始してしまうので、また言語化のなにが嫌かはわからないまま。どうやら俺がわざと、俺の無知から目を逸らすために、その言葉を深く掘り下げて考えようとしていないのだということと、でもそれだけではなく、言語化という言葉遣いがそもそもおかしいのだ、なんとなくそんな気がする、多分そうなんだろう、言いようがあるというだけかもしれないけど、とそこで終わってしまっている。言いようがあるだけだとしても調べてみたほうがよさそうなんだけど。
俺はあまり言葉の語源とかを調べない。知らない言葉はよく調べる。ネット上の文字を長押しして、青い編みかけとまちばり2つ使って狙いを定めると、すぐに辞書が引ける。便利な時代だな、とそのこと自体を楽しんでいるのが8、いや7割くらいかもしれない。毎度、友達といるときにそういうタイミングが訪れると、俺こういうのすぐ調べちゃうから、と自分に言い聞かせるようにして、その場でも頑張って調べたいと思うから、100%体の自然な流れとしてではなく、言葉の意味を調べる。そろそろ、こいつはこういうのすぐ調べちゃうやつだよな、とどこか、俺の分析をしてもらうことがあれば言われるころだと思う。こう思ってほしいと思ってそれをして、そう言われるときになったとき、残念に思う。偉そうだけど、やはり嬉しくはない。こう思ってほしいと思ってそれをして、そう思っていることを飲み込んだ上で、別のことをいってほしい。例えば、千葉さんがいつだかのインタビュー記事への感想を受けて、服のことを褒めるととくだん喜びます、というようなことを言っていたが、人を褒める極意が詰まった喜び方だったと思う。本当に嬉しそうだった。俺もそんなとこ褒められたら嬉しいだろうなと思って、安直だが、服装のことも気にするようにし始めた。お金はいまいちないので、数ヶ月してようやく実践していけそうだ。


カップルが目の前にきて、男のほうが座って、女のほうがその前に立った。僕は男の隣に座っていて、斜め前に空いている優先席がみえる。僕があそこに移ればみんな座れる。でも優先席だ、しかしこういうときに僕は人に席を譲ってみたいと思っていたのだし、よし移ってみようかな、と思ったら東京に着いていた。思い立てただけマシ、今までで一番、人に席を譲れたかもしれない。次は誰がみても実践している、というところまでいけそうだ。いけるだろうだと強すぎるのでこれ。


今日はキムラくんに誘われて、ふたつギャラリーを回ってきました。まずはありがとうございます。とりあえずまだ体力があってお金がない、避けがたい若者期を生きる僕という人間にはどうやら入場無料のギャラリーを渡り歩くという趣味がガッチャンコしそうだとわかった。これがありがたい。あとはもう、わからん正直。ひとつめもふたつめも、背景も歴史もなにも知らんから、喜び損ねた感じがある。けど、特にgggでやってたとこなんかは、作者の期待通りの振る舞いを結果的にすることになって、それにほんとにあとから気がつくというのがどう振り返っても奇跡すぎたので、もう胸にしまおうが言葉にしようがどっちでもいいということで、じゃあめんどくさいので今日はいいかということに。アンチメッセージ性の話は、ちょっとキーワードの言葉選びからしてもう少し頭の冷えた状態で語りたい内容ではあったので、いままでのなかでは一番キムラに対してムキにならずに、お前を倒そうとしても仕方がないのだから、そして俺は現状誰を倒そうとしても仕方がない、敵を探すのでもない、ので、やはりこれを再度扱うことにもムキにならずに、書き続けていればそのうち思い出すのかなと思う。じゃ、おつかれさまでした。ユリイカありがとうございました。


追伸、アンチメッセージ性だなんだと言っている時は、喋りながら、ほんまにそうか?言葉遣いあってるか?と思いながらも、まあ今はこうとしか言えない、ほら会話の次のラリーに間に合わない、という感じでそういうことを言っていたが、ふと、キムラの使った言葉をきっかけに俺がいった
「俺はダイナミズムにしか興味がない」
というのは真だと思う。それは心が動いた、とも言い換えられるし、俺のことを言っていると思った、とも言えると思う。
全体としてのフローをみる、構造をみるともちょっと違った趣味だと思う。
そういえば大学の友達のヒナタに、お前はおれの文章に対して真正面からものを言ったことがないよな、ということを言われたことがあって、大学生のときは逆張りをある程度自覚しつつ、根付いた気質でもあるのだと思って、「そういう風に振る舞ったからそういう印象を与えた」としか思わなかったのだが、今日の気づきを踏まえると、そもそもそういう見方が好き。逆とか斜めとかなんとかどうでもよくて、それと、俺の心がどう、いつ、繋がって、どうその上で血液が流れるのか、流れたから俺が震えたのか、が一番俺にとって面白いのだと端的に(多くの他のものを含みながら)伝える俺からのメッセージのようなものだったのかもしれない。俺はアンチメッセージに、そしてアンチ他者に(強いていえばこちらだったのだ)、こだわりすぎるがあまり、ヒナタの言葉も、俺からのメッセージも画一的にしか解釈できていなかったのだ。そちらの考え方のほうが偉いと、そう信じたかった時期だったんだろう。まあ長くなりすぎたし、飯の途中だし疲れたのでこのへんにする。やはり書きたいことは全部書いたほうがいい。それから、自分をレベルアップさせるつもりで、その原稿の中でレベルアップしないのならば書く意味はないという気持ちで書くことが大事なんだな。

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