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打ち壊せ!陽気な男

おはようございます!6:02。未だリハビリ中。なかなか身の回りのものを素直に書くことができない、書こうと思えない。あるいは少し違った書き方へ向かう最中にいるのかもしれない。とにかく目を閉じていた方が楽な気がするし、Twitterを眺めていたほうが満たされそうな気もするのだが、どちらもそうではなかった。少しずつ試してみたが、今僕のなかに溜まり込んでいるなにかしたいという欲望のねるねるねるねに、どの粉を入れても望みの色は出なかった。何を望んでいたのか覚えていないが、これが望んでいない色であることは分かった。電車は幕張本郷に向かう。幕張本郷について、素直に思いついたことを全て書けと言われて、書きたくないこともいくつかある。そういうのも全部書かなきゃ、と思うときもあるが、今はそうではない。徹底した平和主義者。というかただ、なんでお前だけが良ければそれでいいんだ、と思うのが嫌いで、しかしよく思う。みんなそうであってほしい、そうでなきゃおかしいとさえ思う。だが他人のことをどうにかしようとすると、僕は怒りと触れ合うことになってしまう。それは嫌である。もっと嫌かどうかはさておき嫌である。なんとなく、今日は小説を書いているようで、詩を書いている感じがする。文字を打ってがゆっくり動くからだ。ひとつひとつじんわり打つか打たないかシュミレーションするのだが、出るときはぽんと出る。アイディアが、というよりは適切な音を見つけるといったほうが良さそうだ。こういうときはいくら推敲をしないと言っても誤字脱字がなかったりするのかな。ゆっくり打ってるから。でも、少なくとも読み返して誤字がひとつもなかったことは一度もない。たぶん。素早く書くときは、なんというかある海流にすかさず飛び乗って、そこに食らいつくことが最優先であり、表現の奇抜さも、深みへの探究心も、二の次というかほとんど考慮しないといっていい。今はどうだ。ゆっくり書いている。だからといって、一生懸命あれがいいかな、これがいいかな、と適切な意味を探しているわけではない。いま、意味はどうでもいい。それは僕がそういうことを、これを200年後の人に伝えられたらきっと何人かは希望を繋ぐことができる、とか、僕は今どうしても僕の背中をさすって、手首を軽く握って、遠くへいっても大丈夫だよ、死なないよ、と言ってあげなくてはならない、とかそういうことを書きたいときに使うものである。意味とは使うものだ。ただの道具とはいわないが、それを背骨がわりにして生きてなんかいたら、背中が凝って仕方がない。ほんのり曲がっているからちょうどいいこともある。

眠い。昨日の夜は父とスーパーマリオワンダーを進めた。マグマでそこかしこが浸ったような、DSソフトであれば間違いなく最後のステージ。父は必要以上にじたばたして、それはさっき試したじゃん、ということも平気で繰り返すから、酔っている父、素面の僕の関係性からするとどうしても物申したくなる。しかしティアキンで磨き上げられたはずの、謎を解くための誘導をみつけていく勘のようなものが、ここではうまく働かない、僕の頭の中では働いているようにみえるし、それをペラペラと父に言うことも出来るのだが、案外そのとおりにいかないことがたくさんあった。父はじたばたして、諸々の手順を踏んでようやく辿り着くであろう隠しブロックを叩いたり、慎重にひとつひとつ、敵をかわしながら飛び移っていったほうがよさそうな場面で、どうみても勢いまかせでまあ死んだらしゃーないから、みたいな動かし方にしか見えないのだが、マリオメーカーの、難しそうに見えて実は全速力で駆け抜けるだけ(その操作が難しかったりするが)のステージみたいにそこが作られていたんだと僕に気づかせるような、達人と紙一重の、しかし下手だと分かる操作をする。僕はそれが意図してやったものでないと思い込んでいるし、そう思わないとどこかやっていられない気持ちがあるから、それを下手だと呼んでいるのだろう。父はちゃんとかわしてんだよこれで、と言っているが、まったく参考にはしていない。そうでないとやっていられない、という考え方は非常に、いや咳がうるさい。2メートルちょっと離れたところで、おっさんが咳を繰り返している。咳をなぜ煙たく思うのか、ひとつにはマスクを作る会社のCMで、さくらでんぶみたいな色に染められた水の飛沫(ひまつとしぶきって同じように書くんだ)を見続けて、そういうもんだと思ったからで、もう一つはすげえうるさいからだと思う。そして清潔感に欠ける。後者とおまけのひとつで、ひとの咳がなぜ嫌なのか、綺麗に理屈の詰まったひとつの缶詰ということにしたいのだが、まあ飛沫やらウイルスやら細菌やら雑菌やら、そんなどこまで避けなくても死なないのか教えてくれればそれでいいのにな、ということの過剰な刷り込みと、清潔感という言葉の意味には重なり合うところがあるから、まあガバガバである。いいとこトマト缶くらいの詰まり方。あれはあれでパンパンなのか。しかしまあ、一瞬でも僕がイメージした間取りの中で、飛沫のとんだ合間をぬうように僕が清潔感というものの定義を張り巡らせて考えていたのだとしたら、それもまた立派な論理の缶詰である。のかもしれない。

おつかれさんです昼休憩。いつものように飯を済ませてから外に出てきて、たまにある即昼寝ルートを決行しました。非常に眠い、今日は。昨日は少しだけ寝るのが遅くなった。ただ父とゲームし終わったころにはもう22時を回っていたし、するとリズムが後ろにそのままスライドするのを感じる。不思議なのは、22時半とか23時すぎごろにやむを得ない用事を終えた場合は、すぐ寝る体制に入るように体が動く。毎日寝る時間の大体のめやすを22時半ということにしているので、そりゃ22痔に布団に入ろうがすぐには寝なくていいや、となるのは当たり前なのだが、それにしても、下手すると23時に布団に入ったときより眠りにつくのが遅くなることもある。なにかひとつに夢中になって、それを仕上げるのがその時間までかかった、とかでもない。ただ、今日は寝室に帰ってくるのが少し遅くなったけど、いつもは30分くらい前にはここにこれているから、でもまあ、本は読みたいしLINEで誰かにちょっかいはかけたいし、シフト希望はあれでいいのか確かめたいし、あとなんかやることあったかな、やりたいことないかな、まだこれからできること、という気のはやりが少なからず生まれる。何かをできる余地があるから、何かやりたいと思い始めてしまうと、これから寝たい時間までに残されているのが1時間だろうが30分だろうが、なんでもできそうな気がしてしまう。なんでもできそうなのに体は重いから、仕方なく眠りにつく。というか目を、目は閉じる。極端に体が疲れて眠くて仕方がないときを除いて、ああ今日は頑張ったな、今日はまったりしてたな、の具合と寝つきの良さはあまり関係がない気がする。まあ、どうしようもないくらい眠いときくらいなのかもしれない、寝ておかないと次の日倒れてしまうくらいの状態だといえるのは。あまり根拠だてて自分を納得させることもなく、大丈夫、まあ少しくらい寝れなくても目は閉じてるから。1時間寝れなかったところで6時間は寝れるし、てかもう寝てるし、目ではないどこかがたまたま覚めちゃってるだけだから体はバッチリ回復してるし、次の日が4時半起きだとしたらすぐ眠りに落ちないと6時間は切ってしまいそうだけど、そういう日って早く終わるから。16時上がりだから。もう朝眠いなー眠いなー、あー昼休憩か助かった、さみーな、上着着込んで外に出て、手袋も忘れずに、今つけてないからつけた、穴あき手袋は彼女からもらった、これでいつでもたくさん書けます、んで5分後には戻ってトイレいって、その一連の動作が深呼吸だといえそうな一人になれるトイレ休憩をはさんで、あとはもう忙しさに喘いでいれば、あるいは朝あれだけ眠かったからだんだん調子があがってきた、帰りは寄り道しちゃおっかなーなんて思えてくるくらい体は軽くて、でも電車で一度座っちゃうとあー頑張った、図書館で借りた本、表紙を向側に向けなきゃ電車で読んでも恥ずかしくないか、てか誰も他人の読んでる本なんて気にしないか、俺は気にするけど、俺は気にするから全員気にしてると思えてしゃーないし、ましてやいま持ってる本なんてめちゃくちゃ焼けちゃってまっ茶色だし、さすがにきにしろや、みたいな感じで生きてりゃ大丈夫だし、思わず寝ちゃうとき以外はまあ、大丈夫なんだろうやっぱり。

お疲れさんです。眠い。というか熱い。外がどれだけ寒かろうが、光が強ければ強いほど影が黒を重ねるように、JRは暖房を強める。みんなどうしてんだろうと見回してみると案外みんな厚着である。まあいちいち電車内での脱ぎ着まで考慮しないのかもしれない。僕はたまたま、電車で暑いような格好しかできない服装の組み合わせでいると、バイトの最中体力の削られ方が1.3倍くらい違ってくるので、一挙に対策できているのか。まあそうだよな、遊びに行くだけなら行き帰りの電車は消化試合、多少の息苦しさには目を瞑ろうという無意識の、服装を指していうだけではないドレスコードがここにはあるように見える。しかし、なんでもかんでも躁鬱人だからと話を広げすぎな気がするが、まあ一旦つなげられるところはつなげて考えてみるとして、僕たちは息苦しさがめっぽう苦手である。これと根性がどうという問題は比例しないのだと思う。ソースは、俺が俺のことをめちゃくちゃ根性があると思っていること。そんなやつ多くはいなさそうだし、多分根性あるんだろう、めちゃくちゃ。そしてこのドレスコードを打ち破った先のさらなる快適を、皆忘れてしまっている。こんな小さな綻びから、僕は革命の萌芽をみる。電車では脱ぎ着しないと。僕が慢性的な鼻炎持ちだから、中学生の頃バスケを始めたてで、鼻もまだやわらかいくらいの年のときに顔面にボールを食らって、少し鼻が曲がってしまったから、僕の鼻の穴は右側が7割型封鎖されている。あんまりいきおいよく鼻をかむと目頭から鼻水が出ることがある、とか、それだけが息苦しさに敏感な理由ではない気がするのだ。これは誰かが気づかないといけないことで、僕はここでの苦しさをいちはやく見つけやすい身体に生まれ、二次的な出来事でさえそう働いた。というか、それが起きたことによって、僕の感性がそちらへ、苦しさから脱する方向へ、走り始めたのではないか。レヴィ=ストロースの悲しき熱帯、結局トータルで3ページほどしか読まないまま明後日には図書館に帰そうと思っているが、坂口さんの言っていた一節は見つけることができたし、僕にとって印象的な、この本を象徴すると勝手に受け取ったフレーズも、しかとこの胸に受け止めた。そしてないといえばない、あるといえばある、そんな使命を引き受けて、また生き続ける。器用であることは知的な面で気前がいいことである。個人的威信と人に信頼を抱かせる資質。首長はいつでも、群れの人々の気晴らしになり、日々の生活の単調さを打ち壊せることができるように、上手に歌ったり踊ったりできる陽気な男でなければならない。そうか。わかった。やっぱりね、頑張るよ。俺にしかできないことではないんだろうけど、やったほうがいいからそうするよ。日々の生活の単調さを打ち壊せ!陽気な男。

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