時間,and じわっとした喜び is similar to

おはようございます!5:52ですよ!窓を開けてみましょう!パッとみて雨とわかる空模様だったのでこういう時って窓開けていいのか?少なくとも家族はいい顔しないだろうなと思いつつ、この時間だと誰も見張る人はいないので開けてやりました。気持ちいいです。どちらかというとシンプルに風が気持ちいいです。両親を出し抜けて気持ちいいの方は一応自宅から徒歩5分の小学校に置いてきたつもりです。でもその気持ちよさを感じることってほんと重要だと思います。子育てカウンセラーみたいな人がTwitterで「子どもは褒めるより驚いた方が嬉しい」みたいなことを言っていたのですが、これは僕調べによると信頼に足る情報です。ソースは俺ってやつです。というのも、腹の底からの賞賛はいつも驚くべき体験から生まれるっていうのが僕の持論です。大急ぎで組み立てました。だからこの場合「褒めるor驚く」でも、「驚くis better than 褒める」でもなく、「驚く,and you should 褒める」なわけです。するはずだの方ですね。中学英語しか使えないのが奏功して、案外わかりやすくて良さそうです。だから、メカニズムとしては自然なもので、子どもに真摯に向き合い続ければそのうち言葉にできずとも掴んでいける感覚なんでしょうが、あえてマニュアル化するなら「先に驚くことを意識しな!」って話なんでしょう。とはいえ目から鱗はしっかり落ちましたけども。あの、クソお世話になりました!!!(風邪引くなよ)
にしても今日はね、起きていきなり体調がすぐれない感じがしたんですよ。もう空気がどんよりし放題だったんで、正直天気が悪いんだか体調が悪いんだかわからなかったんですが、とりあえず体調の方に照準を合わせてみると、昨日の夜から続く頭の鈍痛と、今朝からの腹痛(はらいた)ですね。症状だけ見て処方箋を出すなら、前者はとりあえず起きて手足動かしてる間に収まるので活動すればよし、後者は多分腹減ってるだけということになります。加えてこの低気圧と湿気(湿気って低気圧に含意される?)からくる空気の体感的な重さ、パッと窓から空を見上げた時の暗いイメージ、これらが協力して、彼らなりの革命軍を結成して僕を寝かせようとしているんじゃないか、という最終結論に至りました。となるとこっちも世界政府を背負ってますから、相手が孫だろうと死刑執行の邪魔はしちゃいけないし、サカズキの頭蓋も安易に砕いてはならないですよね。ってなわけで僕は僕の正義、「うるせえ、早朝から動く!!ドン」を胸に、全面戦争することにしました。戦争、全部この規模にしませんか?譲れないものがあれば全然やりがいにはこと欠かないですよ。○ーチン。プー○ンプ○チン。てなわけですぐ出来ることを探しました。顔を洗う、髭を剃る、朝飯を(控えめに)食う、コーヒーを淹れる(村上春樹先生、コーヒーを「温める」って表現しか使ってるの見たことないのですが、ペットボトルのものとかを温めてるんですかね?あるいは適当な例が思い浮かびませんが)(イヤホンをつけていた俺は、背後から近づく神経質な父に気づかなかった)(間違いなく雨空を前に窓を開けていることを指摘されると、体が緊張するのを感じた)(特に何も言われなかったので申し訳程度に窓を数センチ下げるのだった)(でコーヒーの話なんですが、歴史的仮名遣い的な、「お湯を沸かしてコーヒーを淹れて」という一連の流れを温めると包括して表現しているパターンもありうる)(となるとコーヒーを「温める」という表現こそがムラカミストの証であり、同時に踏み絵にもなっているということなのか?)(どうなんだ?)(どうなんだよ!)(そのうち調べます)(あわよくば誰か検証お願いします)(報告はしなくてもいいです)(どのみちこの表現が僕とあなたを繋いでくれるからです)(次会うときは村上の高みだ)(村神ってこと?)、パソコンを立ち上げて今日も文章を書くことあたりを試すことにしました。あ、あと窓開けることね。ほんだら体の調子、問題なくなりましたよ。経過観察的には徐々に良くなっていったと思うので、何か一つが激烈に効いたということはなさそうです。強いていえば、腹痛(胃がキリキリする感じ)に対処するためには少量の食事がマストな気はしてます(ソースは俺)。うん、窓を開けたのもかなり効果があったみたいです。この時期は部屋の中より外の方が暮らしやすい気候なんて場合も結構ありますんで、言っても朝散歩するエネルギーは今朝湧いてこなかったとなると窓を開けるのが最善ですかね。どんより感も和らぎますし、何より涼しい朝の風が気持ちいいです。体調悪くなくてもおすすめです。天気悪くても、神経質な同居人がいたら目を盗んで開けましょう。以上、曇天薬局でした。とりあえずここで折り返しですね、6:45。休憩!
なんとなく挟んだ休憩のタイミングが、国王杯決勝(スペインサッカーの伝統的なカップ戦)、レアル・マドリードVSオサスナの終盤10分とカチ合ってくれたのはまさに僥倖でした。ほんとあの、狭いスペースで簡単そうに、即興の中に「いつものやつ」を感じさせる固有のリズムはどこにいったってそう見れません。スカッドの見栄えと世界の注目度でいったら圧倒的なマンチェスターシティでさえ、いい悪いという話でもないですがこのリズム感は生み出せません。シティはもっとオートマティックというか、機械的にできるところはそうしようぜっていう現代的な組織なんですよね。そして時代の最前線には必ずペップグアルディオラがいると。ヨハンクライフからの系譜を継ぐ、常にメインストリームであり続ける存在。これに対応していく形でフットボールが流れ続けていることに疑いはないと思うのですが、それでも世界最高峰のクラブを決める戦いといえば真っ先に思い浮かぶUEFAチャンピオンズリーグにおいて勝者であり続けるのはレアル・マドリードであるという事実。異質ですよね。本当に、言語化では及ばない最適化といったところでしょうか、彼らの試合を観ていると、戦術は勝利のために必要だがそれだけでは十分でないと思わされるし、実際ゲームの中でそれを見せられます。わけがわかりません。それでいて僕の最も愛するクラブはバルセロナなんですからぐちゃぐちゃです。でも本当に、近頃は喜びでしかない(負けるたびにむかっ腹は立ちますから「でしかない」は語弊がありますが)です。そんなチームとの試合が一年に2度以上保証されているのですから。しかもレアル・マドリードにとってのバルセロナもまた「バグ」なわけです。言語化の先にある最適化、それでも説明がつかないのが因縁というもの、目の前にいる相手を絶対にぶっ倒さなければならない使命感なのかもしれません。あーだこーだ言ってますが、試合を見るのが一番早いですね。傍観者が90分+αの外で何を言ってもどうにもならないのがフットボール(サッカーという言葉の使い分けは、意味合いとか気にせずその時の語感の良さに委ねています)だと思っています。僕は中学校、高校と続けてきたのはバスケでしたし、大学からサッカーを観始めたきっかけはW杯とウイイレという、典型的な「にわか」出身です。しかし2018年から今に至るまでの積み重ねは伊達ではありません。字づらから考えても、現にメッシに魅了されてバルセロナを追い始め、ゲームから離れていたところでウイイレの面白さに肌が合い、机上で戦術やスカッドを夢想し、初めはチャンピオンズリーグだけでしたが、スペイン以外のリーグ戦もつまんで見てみたり、プレミアなんかリヴァプールにハマっていた頃はよくフルで観ちゃったり、最近はその派生でバルセロナ+シーズンで勢いを感じるチームを見るサイクルになってきていたり、それでナポリを追う過程でミランがナポリにめっぽう強いことを知ったり、泥臭く、エンブレムのために走り続ける彼らはもしかしたら最高峰の準決勝を制したものを食ってしまうかもな、それはそれで最高だな、そんな筋書きが実現してしまうのがサッカーだよなと、思いに耽り、ノートに筆ペンで来季のバルサ構想を勝手に練って横文字でそれらしく書いてみたり、ウイイレはゲームセンスのなさから10万(4分の1はカカの250連)課金したしアホほどレート戦に時間かけたけど引退したり、どんだけ生産性が無かろうが「時間」が在るわけです。それこそが他の誰でもなく、自分だけのものであり、きっとその中で勝手に自分だけのマテリアルを獲得している。目を向けきれていないだけで。例えば僕と同じ24歳ながら、すでに世間的にも頭角を表している天才漫画家がいるとして、同じだけの時間を、死なずに生き残っているわけだから何か持っているに違いない。少なくとも時間はあった。あとはそれを勝手に恥じるか、未来への投資だと思って使い潰してやるかだけなのかもしれません。こう考えるとシンプルですよね。文字にここまで書き起こしたのは今が初めてですが、こういうことに少しずつ気づき始めているのをジンジン感じます。日向翔陽が初めて影山のトスを打った時みたいに。この手の喜びというのは、鈍いというよりはムズ痒い感覚に近いから、照れ臭がっていると錯覚してしまうのかもしれませんね。ギャグ漫画を描くにあたって、尊敬する藤岡拓太郎さんは「とにかく照れてはいけない」と、まあこれは引用としては孫引き以上にあたるかもしれませんが、そう僕と同い年くらいに書き溜めたブログに記しています。しかしこれを僕なりに拡大解釈すれば(比較的刑法に興味を持っていた元法学徒としてあるまじき行為かもしれませんが)、照れという感覚が、じわっとした喜びに似た感覚なんだ。というよりは、継続的に使った時間がもたらす、じわっとした喜びがまずベースにあって、そこから自然発生するエネルギーをどう使うかが問題なのだと、最近はそう思うのです。冒頭の表現を借りれば、
じわっとした喜び,and there should be some energy, but you should be careful, it's similar to 照れ臭さ.
といったところでしょうか。shouldの使い分けがオサレ度高くないですか?言い忘れてましたがずっと久保帯人先生に向けて書いてます。そしてもっともらしい口調でやってきてなんですがあまり英語には自信がありません。伝わりましたか?どうなんだ?おい
いけないいけない、今日こそ11枚に達する前に自分の手で区切りをつけねばなりません。なりませんというか、僕の体のためにそうすべきって話ですね。shouldです。ではこんなもんで失礼いたす!また明日!

2023年5月7日 超越できるタイプの曇天

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