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ツイートのタネ in確変タイムの自転車で

JKが、駅での人の波をマジの波とか暴風のように味わって楽しんでるのをみた。

僕の評価がどうとか人の気分を害するとか以外の理由で、遅刻がダメなことだと思ったことはないかもしれない。と思ったが、それ以外で遅刻をダメだと言ってる人なんていないか、だとすればダメなことになりすぎだろ、しかし俺も何食わぬ顔で遅れてこられたら引っかかるどころじゃないなと思った。

俺、一皮剥けてきたな、みたいなことを思うと必ず落ち込む出来事がすぐ起こるのだが、自信がどうとかそういう説明はできても、原理の根っこの部分はよくわからないままで、結局死ぬまで偏った偶然に、災難が重なるようにして落ち込まされるのだ、とそれで納得できる。

良い雲を見つけたから自転車に乗ったまますぐ撮りたかったが女の子が前にいて、悪いから追い越してからスマホを横向きでシャッターを切った。一気に、ふたりにとって爽やかな景色になった感じがした。

千葉さんは、これしか書けないんだったらいっそ書かない、のではなく、言いたいことに直接関係のある言葉だったら書く、だが核心はそこではないしツイートは140字までなので、驚くほど平気でざっくりとした言い回しを使う。

ここ深くつっこまれても答えられること、(つまり見えるものしか書かないとはそういうことなのか、)だからこそそういう書き方ができるのだと思う。僕からするととてつもなく勇気の要るにみえるのだが。勇気を勇気だと思わないくらいの積み重ねのもと書いている。その積み重ねの結晶を胆力と呼ぶのかな。

気づいたが、千葉さんのことを書くときは千葉さんと呼んだ方が書きたいことをスイスイ書ける。僕が千葉雅也、と書くのはカッコつけて批評っぽく書きたいからか、その方が千葉さんのエゴサーチに引っかかりそうだから、のふたつからしかあり得ない。その場合これを後ろめたく感じながら書くことになる。

帰り道ですごい量のツイートを思いついた。今回はこれをツイートするのではなく、小説とかの種にもなるし、ここにとどめておく。
たくさん思いついたのもあって涼しい日の自転車(の帰路)気持ちよすぎだろ!と思った。自転車で帰るのが大好きだったことも思い出した。帰り道をただ修行のようにするよりずっといい

最後のは字数を「ずっといい」の分オーバーしているのだが、前半と後半で分けていたら言いたいことを忘れてしまいそうだからそのままにして、コピペまでやることにした。そのついでに、下書きは字数オーバーでも保存できることを知った。これ役に立ちそう。


帰り道ですごい量のツイートを思いついた。今回はこれをツイートするのではなく、小説とかの種にもなるし、ここにとどめておく。
たくさん思いついたのもあって涼しい日の自転車(の帰路)気持ちよすぎだろ!と思った。自転車で帰るのが大好きだったことも思い出した。帰り道をただ修行のようにするよりずっといい

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