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年末調整還付?/生の論理

おはようございます。サッカー観てました。電車で30分も40分も動画をみてたのははじめてです。僕は小さい頃からそういうデータ通信のプランのなかでは育ってきていないからです。ガビガビながら背番号と顔を判別するにはまあ十分くらいの画質で、後半をほとんど丸々電車でみました。いやー後半で決められないか、厳しいかもしれませんね、明らかに今日はヤマルの日なんだから、最後のボールもヤマルに預けて欲しかったですね。今日はここからしか得点の気配がない。なんつーかちょっといつもと違う試合のみかたができたような感じがして、楽しかった。流れとかここ決めそうだな、みたいなのがはっきりみえたのと、選手の配置については僕語れないので、局面局面の判断についてここは体いれて刺しにいくべきだなとか、前半のアラウホは、というか昨シーズンからずっとそうですがペドリがスルスル降りてくるとバカ正直に、しかも即断即決みたいな速さではなくそこにボールを入れてしまうので、ファールをもらえればまだいいのですがだいたいもらえなくてピンチになってます。あとひっくり返されたときのフレンキーの横から足出して一発で取ろうとしちゃうところと、まああれは上手くいけばクソカッコよくてハイライトにも残るからフレンキーは守備においてもバルサに安定をもたらす絶対的な存在(間違ってはないが間違っている)という葉はあるが根はないような噂があちこちで見られて、まるで根をはってるかのような当情報への信頼感を得てしまう人が多いのかな。ちょっと延長始まってそう。

ねみー。昼休憩はあと20分を切ったところ、昨日と同じようなタイミングから書き始めていることになる、意外。朝の電車でほとんど書けなかったから、その割には遅いよねという意識が働いているのかもしれない。あと今日はぼーっとしていたい。体調があまりよくない、昨日飲みすぎた。量でいえばたいして飲んでいないのだが、最後のハイボールが余計だったか。この前親世代から行きつけの焼き鳥屋でお土産用にと、手厚いサービスの締めくくりに角ハイボールの缶、160ミリリットルくらいの小さいやつ。飲食店様用、とたしかそう書いてあった。レアものだ、とちょっと嬉しくなり、手厚いサービスの最後にとんでもないものをもらってはいかに経済力の割にドカ食いさせてもらったとはいえ、申し訳ない気持ちとか、どこかしらひっかかるところ、後ろ髪を引かれるような思いで店を出ることになっていたかもしれなかったから、そういう意味でもありがたい贈り物だった。あれが、翌日に8時出勤のバイトを控えるなか、前日にもビール一本だがお酒を飲んでいて、僕はしばらく家での飲酒を控えていたもんだから寝る前のお酒が順当にスムーズに僕を眠気の方へ誘ってくれるわけでもなく、ただ鼻周りの血管が膨張して鼻が詰まり、寝つきづらくなってしまったというのもあって、まあせっかく父と飲める機会だ、宇宙兄弟のアニメ化についても話したいし、と晩酌をはじめ、いくらか芋焼酎のお湯割りを飲んでからそのハイボールに手をつけたのだった。これ以上はやめといたほうがよいな、と思いつつもまだおつまみがあるしな、ということでのおかわりだったわけで、僕も余計な飲酒だという認識があって次のお酒をチョイスすることになって、そういえばとりわけ小さいのがあるじゃないかとそれを選んだ。飲み終わる直前に気がついたが、これはジョッキに氷を満ぱんに入れてから注ぐことによっていつものハイボールが完成するよ、という趣旨のものだったらしく、つまり濃く作られている。結局丸々いっぱい、350ミリ飲んだのと大差なくなってしまった。最後のが余計だった、というのも多少はあるけど、というかモロに影響を受けてはいるけど、もう半分くらいは単に寝る前のおつまみの食い過ぎだろうなと思った。

年末調整還付!?!なんだそれは。今日給料日だった。てっきり、うっかりか、今月たくさん働いたからうわー楽しみだなーとか思っちゃってたけど、それ今月分じゃなかった。体調をおもくそ崩してガッポリ勤務時間が削られた年末のことなんてもうはるか昔のように感じられた。嘘ではない。どう見ても、今見ても鮮烈な記憶ではある、キチイし、レミちゃんに伝えるのが遅れて、というか濃厚接触とやらも関わってくるしいちはやく伝えて当然なのだがうまく頭も回っていないから、ああこれ言っちゃうと直前の泊まりがけ、クリスマスはだいぶ無理してたんかなと思わせてしまうだろうしな、とか悩んでいたら僕のほぼかかりつけの病院では彼女と仲のいい子の母が働いているのでコロナインフルのお笑いコンボを喰らったのもあって別ルートで先に伝わってしまって、なお複雑な心象を引き起こしてしまった、たぶん。あとはその病院での思わぬ出費、いや当然かかるんだがそれも、なんで俺は体がしんどくなったらある程度療法なんてわかり切ってるのに病院にかからなくてはならないと思い込んでんだ、身体への刷り込みをなぜ疑わなかったんだ、と5500円を払う直前あたりに強く思い、まあそれも収入を2万も3万も削られてからのそれだから、もっともっと、俺がなにしてんのか分かりながら生きなきゃいけないなと改めて気を引き締めた、と同時にどこかをゆるめた。なぜかここはこうしなきゃいけないとなってる、ガチガチに絞められたネジを、もう緩みかけてるのはちょっと知ってはいたけど、はじめて自分で手をかけて緩め直した。しんどかったなああれは、でもそのあと得意の収支計算、圧倒的に足りるとわかっていてする方の収支計算ではないので趣味ではないが気の赴くままに、目の前の不安に対処すべく行ったあの収支計算をして、これでも足りちゃうんだとある種拍子抜けした。こっからどうすればお金にこまんだよ、と強めの言葉をあえて使っているのは今の自分である。これはどっちかというと、言ってみている。そう考えてみる前に、書いてみて、手触りを確かめている、まだその段階には進んでいないが。ただ書いただけだ。質感を確かめるのには、確かめられて何かしらの評価を下せるようになるしは時間がかかる。まだやらなくていい。やらなくてもいいのでやってもいい。

で、給料日だったから、思ってたより少ないのは嫌だなと思って、先月ここで書いたものを見返して低めの見積もりを前もって頭に展開しておこうとしたのだが、見つからなかった。年末に倒れてからは文量を戻したり、またバイトに戻る体力を戻していったり、なによりしばらく続くことが経験則からわかっていた状態で、まず体調を気分の面からも上向きにもっていかなくてはならなかったなかで、どのくらい収入が減って、という話をここで書くのは優先事項とはいえなかったようだ。ざっと頭で概算した記憶はある、複数回、10万5000円ちょっと、11万はいかないだろう、いやいくか?やっぱりいかなかった、くらいの往復を経た記憶もあったから、わざわざ見返さずとも見積もりを再度立てることはできた。だからもう、見た。いつもよりロードが長かった。職場で指定されている人事労務のアプリでは、下に帯状に4つほど並んでいる項目のうち給与明細、というところを押すと駆け引きなんか知らない人が作ったんだかこの場には必要ないんだと勘違いして断じたんだか分からないが、一目で直近数ヶ月の給与が縦に羅列されてしまう。いちばん上、まず目につくところにいるのがまさに今心待ちにしながらももうしばらく見たくはない、今月分の明細である。10万5000、10万5000、いや、10万は切らんでくれ!頼む!10万見えろ!具体的な希望が二転三転したあたりで11,2994が見える。11?さすがに多いからあんまりに低く見積もり過ぎたかなと高速で疑ってみるが、たいして働いた記憶もない。3日まるまる休んだら想像以上に勤務時間というものは減るのだなという新鮮な驚きだけがなおも脳の上でこだましていた。年末調整還付、という見慣れない名義が、にっくき社会保険料の欄にひっついていた。−の記号が見える。増えてるのか減ってるのか、さらにその増える減るは俺にとってどうなのか、妥当な結論に落とし込むのに10秒少々を要した。しかしそのくらいしか思い当たらない、思ったより先月の給料が多い理由なんて。数字としても辻褄が合う。5000円を引けばちょうど、どこかで聞いた10万7000円に到達する。10万5000とさっきはいったが、前もって予想したものを下回られるのがあまりに嫌なので、ずるずるキリのいいところまで数字が下がる、予算の見込みであれば上がる、僕の収支計算におけるあるあるだ。まあ、こんなに周りくどいことをまっとうに考えていたわけでもない、11万!?→いや多いってさすがに→勤務時間、残業時間はツール上で計測されたものを何度も確認しているから膨らみようがないし、いやでもそれしか考えられない→マイナス?→年末調整、還付?→なにやらある程度まとまったなくここで稼ごうとしてる人は、あるいは学生でも出す人は出すのかもしれないけど、書類を出したり出さなかったりさせられたな、文面を読み進めたり空欄を埋めたりしているうちに、これ俺にもかえってくるものがあるのか?と浮き足だったこともあったけど、結局俺には何も該当しないと気づいて、いやたいして調べたわけでもないけど、というかほとんど調べてないけど、それも言わば望みの薄い、ないと思えば初めからなかったのと同じ希望はなるべく切り捨てておく、他人に期待しない、みたいな言い方は捻くれてて意地が悪そうであまり好きじゃないけど、ま、なんでもいいか、どっちでもいいか、しばらく覚えてはいるんだろうけど意識してそれを見ることはやめよう、とスッと視線をよそへやったときのあいつかは知らないが、とにかく似たような名前の奴に5210円もらった。アツいやろ。言っても。

とはいえ今月残り数日、財布のひもをちょっとゆるめていいかと言うとそうとも限らない。半にあった旅行では磨き上げられてきた収支のバランス感覚によって一見厳しそうな25000円で済ますという目標をほぼ達成できたとはいえ、2000円ちょっとはオーバーしてしまったし、先週末の焼き鳥屋では久しぶりにもらった手厚いサービスに気を良くして予算をオーバーしてしまった。でもあれはそうか、レミちゃんがその日すげえカバーしてくれて助かったんだった。あれはありがたかった。5000円に予算を設定していたところ8600円もかかって、お昼にパン屋で2000円を出してくれていたのにも関わらず、また2000円を出してくれた。こんなことを言うとまた嫌な顔をされると思うが、俺はこのありがたさを素肌で感じとりたいし結局死ぬまで1000円、2000円の勝負をやめる気はない。ここでルーズになっていいことは、僕にとってはない。ひとつもないといっていい。こんな流れは片手間に追いやるためにも徹底的に計算するのだ、まあ家計簿とかはつけないけど、神経を痛めつけるような真似はせずに、物語を書くように計算すると結構楽しいし一発で終わる。そんなこんなで、今週末の出費を見届けるまでは油断できない、なんか毎月毎月窮屈になってないかこれじゃ、と不思議なことに月末に全く金を使えない状況のせいで鬱になったことはないのだけど試しに考えてみたが、減量期みたいで楽しいのかもしれない、わけえんだから細々としたたかに、見向きもされない残飯を食い繋いで生をそこに感じ続けるようにしていることに、言葉にしたことはないが僕はずっとワクワクしていたのだと思う。工夫も、鍛錬も、考えることもしなくていいなんてつまらない。つまらなければ死ぬしかない。面白くありたい、面白いことが続くのならまあ、死ななくてもいい。面白くなるためには生き続けるしかない。この論理は一本道ではない。かといってリゾーム状なのか疑わしい。3すくみならぬ10すくみ、100すくみ、あやとりにも見える、生の論理。


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