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バックステップ、吹っ切れる←今ココ

おはようございます!あんまり眠くない、始発が異様に混んでいた。昨日たくさん書きすぎて起きたときから若干疲れている感じもあるけど、ひとまず書き出しだけやっておく。家から駅までの道のりはバカがつくほど寒くて、少し小走りになりながらわざと息を切らすと、少しだけ体が暖まる。内側からの熱だから鼻とか足首とかは依然として冷たいけど、だから一度に限らず二度三度駆けてみる。一月の寒さなんてスカスカのチノパンに多めの朝飯、残りの水に熱湯注いだだけの白湯に小走りがあわさればどうってこたーないんだよ、と啖呵を切れるくらいに体が暖まる前に駅に着く。ホームはやっぱり寒い。電車は異様に混んでいた。千葉駅に着くまでは寒さのことなんか忘れていて、起きたときからちょっと鼻が詰まり気味で、電車に乗ったあたりから喉に痰がからんで痒いような痛いような嫌な感じがするほうに気を取られていた。千葉駅に着いて、総武線各駅停車のホームに向かう。階段を降りてからようやく寒がっていたのを思い出した。やっぱり電車に乗っていないと寒い、とそこまで通ってきたすべての道は寒い場所だったように思えた。

保坂和志、なぜか保坂和志と呼んでしまうがすげえこと書いてる。

文学が「現実からの逃避」と言われがちなのは、ストーリーが最初にあった気持ちを忘れさせる機能を持っているからだ。(A)〜(D)の話だって、うまく書けていればどれも面白いけれど、「自分に別の人生があったんじゃないか」と不意にリアルに感じた瞬間は、もっとずっと面白い。その瞬間の気持ちは不安定でどこにも着地しようがない感じがする。日常生活で何にも回収されようがない感じがする。その感じこそが何よりも面白い。そして、それを感じられる人だけが、小説を書くことができる。

この引用のあとに言葉をつづるのはなんとなく気が引ける。何を書いても、というのは言い過ぎだが頭の中の奥の奥、生暖かくて暗いところでうち響いて散った火花やそれを見た喜びを僕がそのまんま引きずり出してこれない限りは、何を言っても浅はかに響くイメージしか湧いてこない。けれど俺にとって浅はかとはなんなのか、他人の言葉をまるっきり借りて借りてないように書くこと、知らん顔して書いてやろうと思って書くことなんだとすれば、今僕が何を書こうと、それが浅はかだなんてことがあるのか。浅はかなもので繋いで、深いところから自分の本質を取り出すようなイメージでものを書いて、ものを考えてきたが、深いも浅いも僕を通して、僕が思ったことを書くつもりで書くのであれば区別すべきではないのかもしれない。

昼休憩だが今日は極端にそれが朝に寄った時程。10時ちょっと前から入ったから、あと15分もしたら戻らなくてはならない。戻ってもまだ11時だ。そこから16時まで働く。あがる時間は早くても、さすがに15時台なんかはフラフラである。さみい。家を出た時の寒さに今日も特別なものを感じたからかなりビビりながら外に出てきたが、風もゆるやかだし太陽も真正面からこちらを照らしてくれているので、なんとか最後まで外で過ごせそうだと思った。あまり眠くはない。そういえばさっきまでなんであんなに寒かったんだろう、気づいたら座っている場所が日陰になっていたからか、今度は前のベンチが日向になっている、とここへ移動してきたが、コートの襟を立てて首を囲うのも忘れていた。今は暖かい。この状態であと10分くらい座っていたいが、少し時間が足りない。あと5分もしないうちにお店に戻らなくてはならないのだ、その前にトイレにもいきたいし、今日は11時から仕事を任されていて、そのために早く休憩にいれてもらったところもあるのでごまかしがききづらい。あと1分、ここで休んでそれから向かおう。

はいおつ。音楽に助けを求めつつ書く。帰りの電車に乗りたてのころはノリノリで、あれ読んでこれ読んで、あわよくば後押し受けて書いたろうという腹づもりで先輩の書いたものやらTwitterやらを読んだり友人たちのいるチャットに控えめの怪文を送りつけたりしてたんだけど、だけどというかそうしたらなんか吐きそうになってきて書けなくて、ぐわっとかき乱してもらったみぞおちの奥にあるエネルギーのタンクをただ見つめていたら酔ってしまったのかもしれない。うまくタイミングをつかめなかった、書き残すべき衝動をしかるべきタイミングで吐き出さないから体内の器官が、というか胃しかないのかな、消化不良を起こしているみたいにも感じたし、この不快が豊かさに繋がっているのだからこれでいいとも思えるし、こうなったらちょっと身体の外側からアプローチをかけてみる、まずはコートのボタンを開けるぜ、というのが最重要である気もしてきたのでまずはそうした。これで和らげてから考える。河田兄は桜木花道の驚異的な身体能力にどう対処したか。まずは跳ばせないことが第一で、ボールはあとで拾えばいい。バスケットボールで言えばまああのボールを拾わにゃ話にならんのであれだが、今僕はこの心象風景を書き止めるべきか、体調を慮ってやめるべきか、いっときの衝動に食いついたってろくなことはないと一旦ステイを定式化してみるのか、を考えなくてはならない、わけでもない。つまり、これらをバスケットボールに当てはめて遊んでいる場合ではないのだ本来。でも遊んでもいい、言うこと聞かずに。今日はちょっと、朝読んだもののせいもあって一文一文これどうだ、物語をおしすすめるための都合で書いてないか?を意識して書いている。そういうふうに体を動かさないとガッと腕から指先が硬直して、書きたくなくなる。いかんこのやり方じゃとても最後まで保たんぞとは思うが、今家に向かって歩きながら書いていて足は動いている、音楽も耳元で流れ続けている、おかげでそれ以外のすべてが硬直していてもなんとかなると信じて書くことができる。ながら書き、それも歩きながら書きの効用である。僕は車が飛び出して来うる場所では立ち止まるどころから一歩二歩バックステップを踏んでまで身の安全を確認するので、ながらスマホをしても良いのである。そしてバックステップ、この言葉が久しぶりに出てきた。僕にとってはけっこう思い入れのある言葉。元はといえばバルセロナのペドリという選手が上手なスキルで、俺もあんなふうに軽やかなステップワークで生活を送りたいな、もっといえばサッカーができたらいいのに、と思っていて、はじめはバックステップに注視していなかった。少なくとも言葉としてのバックステップには。で、今日またその言葉に惹きつけられた。惹きつけられたことはある、さっき書いた「きっかけ」の時点ではそうでなかっただけで、だからそのときのことはここに書かれていない。そのときのことを書くことにはあまり惹かれなかった。今日はなるべく、物語化のために都合のいいことを書かないようにしている。だから、これは文章と呼べるのかもわからない。言葉の連なり、文字群、このあたりはそういうものを表現するのに使ったことがあるものたちだが、今これを指して呼ぶ名としてはふさわしくない、これはなんだ、便宜上なんだと聞かれたら言語と応えたい。質問に対するひとつのアンサーというよりは、なんか声かけてくれてるから聞こえてるよー、と伝えるためのアクションとして。リですらない。アクション。家に着いた。

続・はいおつ。ここでケリをつけるぜ、決着と書いてな。なぜならもう20:42だからだぜ。あとはもう知らん、よくここまで書いたということで、はないが適当に書く。楽しくなくてもいい。もう深呼吸のように、ストレッチのように、昨日飲んだカフェインレスのコーヒーなんかも思い浮かべながら書く。今日は白湯だけで十分。白湯生活四日目くらいか、こういうのは案外三日坊主で終わらないが、1週間とちょっと過ぎたあたりで急にあっさり忘れる。カレンダーで1週間の経過を確認して、ひとつどこかを走破したような気分になる。今はベッドの上、枕の横にノートパソコンを置いてうつ伏せで書いている。肘を立てて、というより肘で上体を立てている。肩甲骨付近の筋肉がぎゅっと絞られて、これをもう少し意識的に、ここをほぐしてやろうというつもりでやったら背中に良さそうだ。まずい今手を止めて表現を考えて書き直してしまった、とさっきまでそう書いていたから不安になったが、今は大丈夫。でも不安は残る。不安に対処するというのは、たとえばATフィールドを中和したり五条悟のまとう無限をなんやかんやして突破するような動きのことをいうのではないと思う。不安だったことが心を入れ替えて、これからは唯一無二の味方として僕のパーティに加入するのではない。不安にも表情があり、気分があるということで、僕はそれを僕の色眼鏡を通して見る以上、僕の気分をもとに見分けるしかない、今日はこれで行こうかな、でもたまたま選んだ黄色いレンズであの不安もあの日の不安も見るしかない。結局いまも鼻頭をおさえるか頬と反対側の口角とを手で覆うかしながら、考えて、迷いながら書いている。今日はこういう日だと、このくらいの時間になればもう言っても支障はないか。うんうんと頭を抱えながらなんとか書き切った、というのも違うが決してスムーズにはかけなかった、まるでスムーズに書くことを一旦やめてみよう、というテーマを他人から押し付けらたみたいに不自由で、そして吹っ切れた感じのする時間だった。「吹っ切れた」はある瞬間天啓のごとく訪れるのではない。「吹っ切れた」は体調のサイクルでいうここ、を示す座標の名前で、いまの気分を表すコマンドのひとつだ。これでもいいのか?これでいいみたいだけど。これでいいんだやっぱり←今ココ、これもいいのか?俺はこの人じゃない、俺はいいのか?だめくさい、もうだめぽです。無理ぽなのか?無理ぽじゃないかもしれないのか?お前は俺じゃない、お前はいいんだろうけどさ。俺もいいのか?これで。これでいいなら、やれるかもしれない。

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