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も、か、って。

おはようございます!眠い。今日はちょっと頭が重い、まぶたも重い。千葉駅に着いたが、座席に着いたらまず目を閉じたい。どうしよう、そういいながらも迷っている。書いといたほうがいいことは知っているが毎日忘れる。忘れたがっているように見える、僕は。寝たいから。昨日はこうだったけど今日は違うかもしれない、となんとか理由をつけて寝ようとする。本を読もうかな。今座ったところ。ほんとは千葉に至るまでの電車で書き始めたかったが、さすが8時台、まえもって腕をぐっと胸の高さまであげておかないと、スマホすら見ることができない。スマホを見れない状態であたりを見回すと、どいつもこいつもスマホばっかりみやがってという気になってくる。こいつらやっぱいイカれてやがるぜと。僕もその一人であるというのもこれが社会の大多数だというのも今はどうでもよくて、まあ千葉駅についたあと、乗り換えるために上るエスカレーターにむかうあまりにも歪な行列、まっすぐ歩いてんのに人の波に押し流されてなぜか一番左の列に追いやられる、割り込みというかもうなだれこみ、あれもなんとなくなだれ込まざるをえないということはないはずだが、まあ急いでなければ後ろまで回ってもいいんだがその場で3分くらい立っとかない限りは馬鹿らしくなるくらいの人の数だし、みんな仕事のために一本前の電車に乗るなんてことはしたくはないのだろう、たぶんだけど。8時台の電車に乗るとき、10時からシフトに入っているときは、千葉駅に着いてから各駅停車が発車するまでがスピーディーだ。座って、いちど書くか寝るか迷ってたらもう発車してしまう。ここで書き始めておくかどうかはぶっちゃけ書き切る時間とたいして関係がない。のってるときは降りる15分前くらいから書き始めてもいい量書けたりする。眠い。とりあえず書くということにとりかかれたので、とくにご褒美とかそういう名義はつけずに寝る。普通に眠いから仮眠する。目を閉じる。

坂口さんが復活しとる。2日前くらいからTwitterに。めちゃくちゃ久しぶりだ、2ヶ月くらいは、いや本人曰く3ヶ月は鬱の中にいたらしい。直前のアクティブさ尋常じゃなかったもんな。あ、そっか、幸福人フーが出たのが9月の頭とかで、その発売記念イベントというか講演会みたいなものの予定が連発してる時に、体調崩しちゃったんだったよな。おつかれさまです。なにやら鬱を抜けるきっかけとなった曲のひとつに、昨日僕が聴いた舐達麻の曲があるみたい。やっぱりあれいいよな、特別だよな、とまた聴こうとして、正確にはそのあとだか前だか、いやその2って言ってたからあとか、紹介してた曲を聴こうとイヤホンを探していつもあるはずの手提げの小さなポケットをまさぐったら、なかった。ほんで仕方ないからまた書き始めた。ベストがデニムのポケットに入れちゃったか、家に置いてきたか。いまモゾモゾするのもあれだし、おとなしく書くこととする。なんか勝手に1300字ちょっとくらい書いてて、すこし書き足せば行きの電車で2000字は書いたことになる、とかなんなら2500字まで書いて折り返し地点、ってサラッと新ノルマの定着を匂わせるイメージもできていたのだが、800字くらいしか書いてなかった。ずいぶん早めに眠くなったもんだ、とはじめに考えるが、最初から寝てやってもいいんだぜってくらいの眠さのなかでなんとか書き進めておいた感じだった気もしてきたので、ナイス。とまでは言わないが、まあ書くか。肩が凝っていたが、電車に乗る前の方が凝っていた。出勤時間までやや余裕があるからか、息苦しさはない。かなりしっかり電車の中で寝たので眠気もとんでいる。階段をおりる。足の疲労もそこまでない。しかしいまだに鬱に舞い戻りそうになるというか、部分的に落ち込んでいく瞬間がけっこうある。これまでに見たことのないパターンで戸惑ったけど、そういうもんだと落ち着くことができるようになってきた。めんどくさいなバイト。表に出ちゃえばたいしたことはないし、昼休憩まででしんどいことはほとんどない、だいたいはこれ今日、疲労度的にはノーカンなんじゃないの!?実質ここからの3.4時間弱しかこの体には刻み込まれないんじゃないの!?とすら思うが、1日の最後、勤務の終わりにはかならず全て重くのしかかる。ある程度間隔を麻痺をさせて切り抜けているところがあるのだろう、いざ体を楽にしようとすると、かえって疲労が浮き彫りになってくる、体が重くなってくるというのはちょっと前に本で読んだな。足をしっかり温めたり、半身浴したりして、疲労をかき出してあげるイメージ。筋肉のほう、体の表層に凝りが出てきているだけまだ対処しやすい段階に持って来れている、とも見れるのかも。なるほど、ありがとう、新宿ベルクの店長。今度行ってみたいんだよね。あの土地にありながらすっごく安くコーヒーを出しているらしい。最近僕の働いているカフェをみていて、僕はあまり入らないのだが主に締め作業をする人が毎日レジ精算がうまくあわないとグループチャットで嘆いている、というかただの業務連絡でもあるのだろうが言っていて、いや、そりゃあれだけの人数さばかされたらミスるよなと思った。最近思ってきた。クーポンがどうとかポイントがどうとかけっこうめんどくさい。結局そこで売んのかよ、と思わなくもないが、まあ両方必要なんだろう、美味いドリンクだけじゃ、スタバに対抗しようとしたら経営規模でもそれなりに大きなところまで持っていきたいだろうし。だから現代の薄利多売には限界があるんじゃないか、と押し広げすぎじゃないか?こじつけじゃないか?というところまで広げて考えてみる。人の手で、ある程度個々との会話も重んじようとすればそりゃミスは起こる。その辺のオペレーションをシステマティックにしすぎるとつまらなくなる。それが一番避けるべきところだと僕は思うが、どうなるだろうか。視察ではないが、単に興味がある、これだけ長い時間安く物をたくさん売るという、それもコーヒーでそれをやっているお店にはどんな空気が流れているのだろう、どんな音楽が流れているのだろうと。行ってみます。チャンスを捻り出して。

おむかれさんです!おむかれさんといえばね、僕はオムライスが相当好きですけども、オムライスが好きというとけっこうな割合で喜んでもらえるのでおすすめです。なんでかはわからないですが、ハンバーグとかカレーとかそれこそ肉!みたいなあざとさからは少し離れたところで、しかし若干こどもの舌も失ってはいないんだよ、という可愛げを演出することができるからでしょうか。なんにせよ、焼肉!とかいうよりはおすすめです。いや焼肉はいいか。焼肉って言われたら話が盛り上がる傾向にある気がする。なんというか、カレーって言われて俺もカレー好きなんですよ、とはならんが、焼肉俺もマジで好きっす、とはなる。僕はそこまで思っていないないが、とりあえず言うと思う。いいっすねー、焼肉!カレーは言わない。ハンバーグも言わない。肉!はもう、言うな。そんなんだったら。と、小学校だかで年度の始まりに書くような、後ろの壁に貼ってある自己紹介シートを見ながらきっと僕は思っていた。数日前、中学時代に2年間トイレを掃除し続けた盟友たちと飲みに行ってきた。ラインのグループ名はもちろん、永遠のトイレ掃除。オグニは乃木坂のいくちゃんが世間的に話題にあがるより前に、まあ何度目の青空かでセンターを飾っていたころだから、変なことではないのだがすでに彼女への愛をあらわにしていた。という話もこの前して、ちょうど今、ディズニーの最新作の日本語吹替版で、いくちゃんはヒロインの声を演じている。ところで、リョートはその飲み会で当時の僕の、あるコメントに感銘を受けたんだという話をしてくれた。合唱コンクールだか体育祭だかの前に、クラス全員分の手形をでっかい模造紙にはりつけて、それぞれの下に手書きで一言添えるという場でのものだったらしい。僕はあまり小中学生の時みずからボケにいくタイプではなかったと記憶しているから、そして振り返るたびにその見方を強めているために記憶が全く残っていなかったというよりはそういうところにおもしれえこと書こうとしてたんだというのが信じられなくて、嬉しかった。きれいな手でしょ、と書いたらしい。きれいな字で書いていたらしい。そんなん手形に絡めずに、みんなで頑張ろう!とか⚪︎組最高!とか言っときゃ損はない局面で、僕は目立ちにいったのだ。しかもなかなかどうして、まあ当然かもしれないが僕は嫌いではない。というかよくやった!とさえいいたい。体も人一倍大きくて、小学校のときからそんなんだから年季のはいったデカい奴ボケを嗜むリョートは、僕からすると俺にできないことができないやつで、旅先で具体的にそう強く思ったエピソードなんかも持っていったのだが、まさかのカウンターとして昔の僕が掘り返されてラッキーだった。なるほど、きれいな手でしょ、ね。あらがってんね。人と同じことなんて書いてたまるかって気概を、ここまで失わずにきたわけだ。偉い。それだけで偉い。それだけで偉いが、偉くなりたいわけではないというのがまた厄介だ。僕は面白くなりたい、凄くなりたい、ヤバくなりたいのである。そのためには面白いことが言えて、ヤバいものを作れて、凄みが滲み出てくる必要がある。気概だけではダメだが、これがすべての基盤であり、僕にとっての最大の資本だ。気概、魂ともいえるそれ、自分だけの、なんてことはどうでもいいのだが、面白いってやっぱり見たことないものじゃないとね、とは思うから、よほど二番煎じとして秀逸なものをみるとすげえ笑ってしまうけど、僕にそれは作れないだろうなと思う。ウォッチャーとしての技術も身につける必要があるからだ、ときかとできそうな気もしてくるけど、なんというかそれって、めっちゃ見てるついでに作ってる。作るためにみる方が僕は面白いと感じるから、そうする。そこはどうでもよくない。ひとと同じもんなんて作ってたまるか、聴いたことのある言葉なんて言ってたまるか、だけではものは作れないことが最近わかってきた。歴史があるからだ。僕はその中に身を置くことを避けられないというか、それが歴史だからだ。だから、人と被らないと思えるようにするため、それだけだったらいちいち研究しなくてもいいのかもね。でも、それじゃ面白くないって思うように生まれてきて育ってきちゃったから。それにしてもこの話長いな。恥ずかしくなってきちゃったよ。残りは200字くらい、なんだかんだで4500は楽勝ですな、4000が確定クリアできるようになってれば。では5000に引き上げるとしよう、満を持して。満を持してというのは、来るべきとかを待つというのは、座してやるべきことではないのだろう。これも最近感じていることだ。歩かなければ近づかないのはまずそうで、その上で、歩いてんのに着かねえじゃん!とかいちいち悪態つかないこと、つかないで済むことしかやらないこと。ガッカリしないこと、してもいいけど、したら苦しいから。苦しいのは嫌だけど、全部は避けて通れないし、そこから逃げ続けるのもまあ、好みによるんだろう。逃げ足のはやさ、意図してではないだろうが僕はこれを大学時代の友人から褒められたことがある。ほんとに、名前に駿という字がついているからというだけだと思う。それぞれの名前の由来を紐解きながら、褒めていく、それを10人分やる、みたいな文脈もあった。それにしても心に残った。言われたことのない褒め言葉は嬉しいんだ。お世辞とか考える余地もないから、いう方もそんなこと考えてる余裕はないだろう。お世辞っていうか、フィクションではあるから、みたいな。嘘じゃないんだけどね、ちょっとひねったろかなおもて、みたいな。その姿勢が、も、か、嬉しいのだ。も、か、って。タイトル決定。変だからだ。変なものはタイトルにした方がいい。ヤバく見えるからだ。ヤバく見えるだけではダメだが、すっと出てきたヤバさを使う分にはヤバく見えるだけにはたぶんならない。なんでかこれは、よくわからない。欲がない。そうするための欲がないのは重要なファクターなんだろうと思う。

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