続きはまた明日

こんばんは!ちょっとだけ書いとく。今日は全然書けなそうだからもうお休みにしちゃおうかとも思ったけど、あんまり今は情報を取り入れたくないなと思ってここにきた。書きたいというよりは、まあ書きたいことはさっきシャワーを浴びていて幾つか思いついたんだけど。ひとつは今年の抱負の裏テーマ。元旦の日記でぼくは2024年の抱負を「売る」にしたんだけど、同時に「切り返す」というのも据えておきたい。矛盾をはらんでいけという意味で今は考えているけど、この言葉を意識しながら生きているうちにどんどん俺流切り返すが開拓されていくんだろうと思う。律する、はぼちぼちだが、去年のやり切るはほんと肌身離さず持っていたおかげで、言葉にできるかは別としてどんどんぼくの中に新たな意味の芽が芽吹いてくるのが分かった。僕が標語と付き合っていくんだとすればその付き合い方がいいのかもしれない。誰がいった言葉だろうと、まず引っかかったのなら胸に留めておいて、このとき文字通り、ただの字面として覚えておくというのも重要なのだろう、引っかかった後の意味探し、これを自分の頭でしっかり考えること。どれだけ尊敬のできる誰かの言葉であっても、彼の示唆したものを超えて滲み出てくるものはかならずある。感嘆するだけではダメだ。意図探しは勝手にやってしまうものだしそれをやらないようにするというのもエネルギーの無駄遣いという感じがするから、意図探しはそこそこに、一見意味のなさそうな見解や字面の面白さ、音の小気味よさなんかにも耳をすませてみる。うーん、それだけだといつも使っている言葉だけで説明しようとしているな。説明しようとしない。歌うように書いてみる。ポエミーになってよい。

滞ったので見た目から変えてみる。改行してさらに一行分スペースを空ける。この作業を僕は「段落を変える」と呼んでみている。一度楽しいことに話を戻す。今年の裏テーマとして切り返す、矛盾をはらむことを厭わない、積極的に引き受けていくくらいの気概をもって、そんな感じで言葉を選ぶ。それは今のこの標語選びだけではなく、毎日。気概というのも好きな言葉で、さっきシャワーを浴びながら改めて思い浮かんだ。人と違うことを言おうとすること、逆張りという揶揄を自分を弱くみせるために使うことがある。千葉雅也さんは逆張りという言葉を考えるにあたって、まずこれを使う際、これはこうあるべきだというメインストリームがあって、それに従わなくてはならないということが前提となっている、というようなことを言っていた。正しく引用してみるか。せっかくさっき字面通り覚えておくのも大切だな、という話をしたところだし。ちなみに書きあぐねている人のための小説入門という保坂和志さんの本の一節を参考にした。人の台詞の意味を矮小化することを、当然のものとしない。とは言っていなかったから僕自身にあてたアンチテーゼみたいになってしまったが、僕だけに向いていると感じるのもまた、というのは一旦置いておこう。

「逆張りという言葉は、物事には主流派的な考え方があり、まずそれを採るのが原則だ、と思われていることを指し示している。」とツイートしてました。勝手に引用失礼します。まずそれを採るのが原則だ、って言ってたのか。なるほど。覚えとけないからここに書き残しておいたらどこかで助かるかもしれない。というか千葉さんのID+逆張りでツイートの検索をかけたら、想像していたよりたくさんこの言葉を使って、そして多くの場合この言葉について、考えて喋っていたのを見つけることができて嬉しかった。5つくらい目を通して、これは今回お目当てのツイートが上から6番目あたりにあったからというだけではあるが、お気に入りだったのはこれ。調子に乗ってまたコピペしてみる。

「僕に逆張りとか言う人は、僕がいかに周りのノリに合わせるのが嫌か、その嫌さの深さを全然わかってない。ものすごく深い。幼稚園からの深淵がある。」
いいね、逆張りという言葉を投げるだけで批判になってると思ってることがまず間違いだよな。偉そうだな俺。まあいいとして、ああこんなとこで切りたくはないが今日はここまでみたいだ。続きはまた明日、おつかれさんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?