途中バイトはさんで苦戦する日

おはようございます!雨音がパチパチする感じの雨ですね。2日連続でアルバイトがあめにバッティングしたのは相当久しぶりです。立ち仕事なのもあるんでしょうか、雨に濡れることを想定してもそこまで仕事が憂鬱だということはないんですが、シンプルに雨風に当てられて歩く道のりがそこそこハードなんですよね。なんだかんだで自宅から最寄り駅、到着駅からアルバイト先を合わせると25分くらいは歩くことになりますから。うーん、しかも今日はすでに靴が湿った状態からスタートだしなあ。バイト用の靴は基本ひとつしか使ってないんですが解禁すべきでしょうか。僕はこういう時、全ての業を一つの靴に集約したくなっちゃうタイプなんですよね。半端に濡れた靴が何足もあるくらいだったら、ビチャビチャを超えた存在を、もう苦しみながら一歩一歩足をすすめるしかない僕にとってはさながらジャンヌダルクのようですが、そういった象徴的な何かに励まされながら吹っ切れて突き進んでいく方が性に合っているようです。言っても今日は黒い靴の代替品が見つかったら即座に履き替えると思いますが。ただ話を広げたかっただけなのかもしれません。しかし書き起こすまでは本当に、靴を履き替える選択肢なんて持ち合わせていませんでしたから助かりました。危うく一切赴く必要のないハンディマッチで予定通り爆散するところでした。足をすくわれた思いです。おっ
すみません、うなじカッティングしていたら戻ってくるのが遅れてしまいました。くるりのばらの花を流してみたら、同時に頸が痒くなってきて、たまらずうなじで前奏の(東進ハイスクールのCMのBGMはこれリスペクトと言われている)チリチリチリチリ♪と並走しているギターのチャッチャッチャッチャッのリズムを刻むことを余儀なくされました。小学校で習ったスタッカート(そのおとをみじかくきってえんそうするきごう、という文言をいつまで経っても覚えている。まどみちおの『あいうえおのうた』、誰かの『アレクサンダとぜんまいねずみ』くらい覚えている)(調べたらレオ・レオニさんって方でした。名前が一人歩きしてクソガキに消費されてもおかしくなさそうに見えますが、その記憶は全くありません)(なんなら訳が谷川俊太郎さんでした)(ありがとう)みたいに一定のリズムを刻むことをカッティングっていうのか相当怪しいですが、うなじかき出しの僕にはそれがどうもカチッとはまったネーミングに感じたので、勝手に、否カッティにカッティングをお尻にいただいて、うなじカッティング©️と名付けました。勝手に、否カッティ(以下勝手)に誰かが使ったら僕に不労所得が入る仕組みです。いや商標登録云々って裁判沙汰にしないといけないのか?場合によっては可愛いから付けただけだということにしようと思います。否©️ようと思います。イェイっ
おいおい嘘だろ。まだ3枚ってマジなのか?一応あと20分で家を出る支度をせねばなりません。まあハナから書き上げられるとまでは思ってませんでしたが、3枚?完全にカッティングが実際どんなもんか調べていたことが影響しています。『【エレキギター博士】カッティングの練習フレーズを弾いてみよう!』め。

あ、でも今なんてサイトだったっけって検索かけなおしたら


カッティングはブラッシングや休符でアクセントをつけて歯切れよく音を短く切る演奏方法のことです。 手首を柔らかく使いストロークしファンキーなサウンドになるのが特徴、和音コードを使用し、リズム感覚が重要になる奏法で、様々なスタイルの音楽で用いられます。

『【エレキギター博士】カッティングの練習フレーズを以下略』より

って書いてありました!小学校の音楽の時間に習ったスタッカートの延長線上ってコト!?やったやつだ!!進研ゼミでやったやつだ!!(しまじろうで勇退)
こういうことされると、またひとつ自分のセンスを過信してしまいそうです。常に過信に追いつけ追い越せ(過信とは)で生きてるもんですから。ギター、初めていいのか?とりあえず、そのうちギターに造詣が深そうな人にこの文章を読ませてやろうと思います。その時はめちゃくちゃ下手に出ると思います。よろしくお願いします。へたでもしたてでも構わないし、絶妙にダブルミーニングってことにできないような読み方を与えないでほしいです。ふざけないでください。てことでなんとか折り返し弱まできたので休憩!っていうかバイト行って参ります!スピッツの『運命の人』が流れてきて気分も上がってきたぞ!走るか?走るのか?はーーしィ
お疲れ様です。バイトから帰って参りました。謙譲語って難しくないですか?ちょくちょく。敬語の用法としては適切な場面であっても、響きがちょっと当たり強めに聞こえる時あるような気がします。例えば「〜差し上げます」とか。お電話差し上げますので〜とかそういうタイプのそれです。自身が店員サイドの場合はそれほど違和感がないのですが、目上の人に対してだと差し上げづらくないですか?そんなんだからさせていただきますがなくならないんですよ!もう!あれはもう交互だと違和感全くないというか、それでないとむしろ違和感が生じる場面さえありますからね。一応、普段ここで取り上げる悩み、というか引っ掛かりというレベルですが、あまりに流通性の高いものといいますか、極めてあるあるみたいなものは避けるように体ができてるみたいなんですが(じゃあなんで〜ですよね?どうなんですか?という口調になることが多いのか、謎は深まるばかりである)、今回の謙譲語トークは相当やっちゃってそうです。調べたら爆速でこういう時はこう!〇〇人に聞いてみました!を見つかりそうです。ちょっとなんて書いてあるか予想してみますか。まず結論。結論から書いて余裕を見せてきますそういう記事は。結論からいいうと、正確には謙譲語を使うのが正しいです。って書いてあります。しかし、しかしってなんだ。じゃあなんだったんだ今の。結論じゃないな。たたき台からいうとって言え。そんなん気にせず俺がお前をぶっ叩いてやる。そんなことするんじゃない。おう、飯と睡眠な。あとはなんとかなるから、あーい。なんとか和解してきました。ということでこれ以上の詮索は野暮ですし、飽きたのでやめようと思います。どうあれせっかく最初に結論を出してくれてるので、そこで読むのをやめるのが一番いいのかもしれません。
ぬぬ。今日はなかなか文が走っていきません。とりわけバイト後、書くのを再開してからです。一度中断すると当然一気に書く時のように勢いに乗って、今日で言えば中盤から終盤は全く苦にならない状態を自然には呼び起こせません。どうしたらいいのだろうか。とはいえ一旦家事を済ませてとなると夕飯も、風呂も済ませて書くということになりそうだし、あまり書くのを遅い時間に回すのは体に良くなさそうだと数日前の日記で観測できたしなあ。やっぱり後には回したくない。今15:54ですが、17:00までには書き上げたいですね。途中途中もっとやりたいことがあるのではないかと、今読んでいる1Q84を開いてみたり、いつもBGMはシャッフルミュージックなのですが、スタート地点を流れの象徴ボブディランにちょこちょこ変えたりとかしてみたんですが、どうも書きたいには書きたいみたいなんです。「はよ終えたい」、「書いていたらノってきて、生活の中でこれ使いたいなー、掘り下げたいなあと思っていたマテリアル全部のせできた時の興奮を味わいたいなー」が混在している感じですかね。夕方だとこれが厄介だなと少し思いましたが、朝イチで書くにしても前者は少なからず存在しています。これはこれでモチベーションになっているということだからなあ。坂口恭平さんがこの前、Twitterで打倒AIの爆速相談室をやっていたんですが、そこで「焦らないと何も始められないから、焦りはいい兆候だよー」というようなことを言っていました。質問の内容は「何かと焦っても仕方がないと頭ではわかっているつもりなのですが」というニュアンスの質問だったと記憶しています。こういった個人の悩みに対してニュアンスで捉えてざっくり書き起こすのは紳士とは言えないかもしれませんが、一旦書き進めること優先で失礼します。後で改めて一字一句見直してみます。ほんで話を戻しますと、坂口さんが上のように答えたんですね。僕は「とにかく手を動かして、まず慣れること」とか「焦りの原因は事前の準備不足だから、できるなら誰よりも早く赴く」とか、実務的なことを返すのかなーと思いながら読んでいたので意外でした。しかし書いていて思ったのは、どうやら僕が質問をニュアンスでの引用(パターン化とも言えるでしょうか)を不安視していたところがまさに影響している気がしてきました。とりあえず元ツイート見てきます。
結構違いました。焦りは失敗の元だと思っていて、てところはあっているのですが、そう考えたら何も新しい行動を起こせなくなってしまったって後半部分が見えてなかった。そりゃ行動の起こし方に焦点当てて答えるか。行動起こせなくなった人に事前の準備云々なんて言ったら逆効果か。それに対しての返答は、焦らない人は何もできないから焦ってるのはいい兆候だよー、と。語尾まで完コピできている。明らかに意識がこっちに向きまくっているのが伺えて面白い。「焦らないと」と「焦らない人は」って条件設定だと何か違いが生まれるかな?さすがにここの違いはあまり影響ないか。前者は前に(人は)が隠れているようなもんだし。でもだとすると一般論を語っているみたいになって個人が個人の相談に乗るって目的から微妙に外れることになるのかな。別のところに問題がありそうです。今の齟齬から僕が感じたのは、読みたいこと、ほしい言葉がまずあって正確に文脈を組めてないない時は、ほしい言葉の周囲が全然思い出せないという兆候がありそうなことがまず一つ。あとは、これは仮に自分が個人の相談を受ける立場になったとして、ほしい言葉を探り当てるという感覚よりは、やっぱり何をするにあたって困っているのかに応じてアクションを提案すべきだろうな、ということです。今回で言えば、さらに行動を起こせない状態を助長することにつながったかもしれないし、要注意だな。字面の隙間にあるコンテクストを読み取ることが、僕の場合真っ先に来てしまっているのかもしれない。どんな文章であれ、ベースはまず文字だ。そこから汲み取りきれないものを、自分の経験を交えて推測、そしてようやく提案するのがいいのかもしれない。僕はよく会話が成立しない、自己完結が多くて口語の対話だと本当に飛石みたいにしゃべってしまう自覚はあるから(そっちの方が爽快だから故意にそれを選んでいる場合もかなり多いが)、しかしそこはまず相手を観察することを優先しよう。ただ如何せん、「笑わそう」「楽しい空間にしよう」という気持ちがまたはやって、相手なんかお構いなしのお笑いを甘えてやってしまいそうな予感が強烈にある。なんかあんまり文面で突き詰めようとしてもしゃーないに違いない。ミスりながら擦り合わせてやっていくんだな。トータルの収支が快であればいいみたいなところが笑いにはあるけど、強いて言えば「相手を見ること」に僕の莫大な伸び代が潜んでいそうな気がする。うおおお!!面白くあれ!!面白く死ね!!ありがとうございました。

2023年5月8日 バイトの行きだけ豪雨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?