書ける時間に書きたかったら書く

おはようございます!9:59。やや頭が痛い。横になっているといくらか楽なので、今朝は目を閉じながらそうしている時間が長い。でも寝ているわけではない、ただ目を閉じている。テレビを流すと途端に日曜日の朝っぽくなるのでそうしている。いや、今朝テレビを付けたのは僕ではなかった。彼女が洗い物をしてくれている。僕は寝っ転がっている。朝飯を準備しているときに昨日のぶんのたまった洗い物を7割くらい片付けたからギリギリ許されている気がする。とはいえここも多分手伝うとなおいいのだろうが、今は体が動かないのでとりあえずこれを書きはじめた。彼女と丸一日過ごす日は二度連続で日記を書き忘れているが、今日はどうだろうか、というまでもなく書き忘れてはいない。書きはじめたということは、案外今日も書き切れてしまうのだろうか、あまりイメージは湧いてこないが。なんだか体が動きそうなので、一旦立ち上がってみよう。

12:39、越谷レイクタウンにきた。昼ごはんは鎌倉パスタへ行く予定。最近行っていないので念願の、という感じだが、レイクタウンにある鎌倉パスタはなぜかGoogleマップで同じ箇所に2件ヒットし、一方の評価が4.4、もう一方が2.7だった。そこそこの規模をもつチェーン店としてはどちらも怖い。店の前の雰囲気を見て慎重に判断を下そうと思うが、まあ多分入るだろう。

15:11。鎌倉パスタへ向かう途中で、もうひとつパン食べ放題の洋食屋さんを見つけたので今回はそちらにした。どちらにせよ同じくらい並びそうだったので、ならば初めて見た方にしよう、鎌倉パスタは黙っていてもまた行くから

15:52。刻みながら文を前に進めている。文というか文量か、まあ文か。もうすぐ武蔵浦和につくので乗り換える。駅ナカにあるクリスピークリームドーナツで米粉のメニューがあるらしいからそれをテイクアウトする。

こんばんは!夕飯も食い終えて風呂も先に入ってたので、もうあとは洗い物もしましたし歯磨いて寝るくらいのもんです。20:10。阪神打線が爆発してます6点目、これは決まったか!?今シーズンの宮城とて打たれるときは打たれるんだなあ、それだけ短期決戦の中3日?で投げることの難しさ、というかこれまで経験がないほどの長丁場に流れる唯一無二のピリついた空気が、彼を平常でなどいられなくしてしまったのかもしれません。WBCもあれはあれでというか、比べるまでもなく半端ない重圧だったでしょうけど。ここでCMです、ピッチャー交代なのかな。この阪神と奇跡的に勝ち上がってきた千葉ロッテが当たったらどんな感じだったんだろう。どうしてもこのカードだとあの伝説の33-4を想起せずにはいられないでしょうが、今季のタイガースは持ち前の攻撃力に加えてスーパーな先発が気づいたら青柳だけではなくなっておりました。さっきのはスリーアウトチェンジだったのか、てかそりゃそうか。6点か、まだ5回裏だしなんとかなるのかな、2戦目とかオリックスも8点取ってたり、直前の6戦目だって6-1とかでしたよね、ただこのカードでまだ乱打戦というのはありません。不思議なくらいワンサイドゲームの応酬、ブリーチ読んでんのかと思うくらいのターン制バトルです。僕のブリーチの読み方は特殊極まりなくて、ハリポタ観てない人あるある、賢者の石だけ断片的にめっちゃ観たことあるシーンあるみたいな要領でチャドが登場するくらいまでの話は無料公開期間とかで何度も読んだことがあって、肝心のソウルソサエティに入るタイミングあたりなのか、まあルキアが拐われた記憶ないんで多分もうちょっと前だと思うんですが、いつも決まったところでフェードアウトしてしまいます。そして読むのを再開したのは、というか当時はそれが初めて連続してブリーチを読んだ体験でしたが、藍染惣右介にあの、雛森が、いや刺したのは日番谷だったんですが幻術みたいなやつ喰らって、その辺から読みはじめました。だからアランカル編っていうのかな、いやクボタイトは篇って方の字を使うんですが、そういうことばっかり覚えてて、というかブリーチの凄さってそういう方向性にあるものだとろくに読まずに思ってもいるんですが、わかりやすいところで言うとコミックスに毎度ついているポエムもそうですし、ひっさびさにジャンプ本誌に掲載された1話限りの特別読み切りの最後のコマ知ってます?〇〇(すっげえ難しい漢字)篇ってベタの上に白字でドンですよ。1話限りだといつから錯覚していたのか心配になりましたもん、それでいうと僕藍染惣右介と誕生日同じですし。あと美空ひばり。こんなにスケールの大きい2人いないんじゃないですかね、スケールとはなんぞや。なんやかんや月島さんならぬ藍染さんのおかげで今日も2000字付近まで到達できております。もう決めたんですが寝るまでギリギリ粘って達した文量で今日は提出します。余裕もって4000字をクリアできるってことはないでしょうからね、彼女ももう髪を乾かしているところです。ここから先は書くことに専念できる時間はそうそうできません。まあ書ける時間に書きたかったら書こう。休みの日とはそういうものだ。土日だから休むのではない、友人と、彼女といるけど書かなきゃいけないわけでもないし、書かない方が充実しているというわけでもない。ただ書きたいときに書く、という表現ではまぎらわしい初動を使って書き始めることも多いからそこにだけ注意したほうがいい。書きたいわけでもないけど暇だから書いてなんだかすげえものが書けるときもあるし、描きたくて書きたくて朝から仕方がないことの存在に顔を洗っている段階で気がついても、うまくそのことに触れられないまま文の最終盤に達したりもする。日によって変わるとそれを概して言いたくても、日によって、というには周期が大きすぎたり小さすぎたりもする。とにかく楽にやるのがいいが、体が楽というのはそのまんま全ての条件をキープしているつもりでも退屈へと変貌するものだ。その過程では惰性とどう付き合うかが非常に重要になるが、惰性も惰性でそれひとつとって良いものとも悪いものとも言えるものではない。かといって僕がいいたいことはすべては相対的である、とかいう何も言っていないのと同じようなことではない。あるいは僕はトートロジーの範疇に収まったまま生きることに怯えているだけなのかもしれない。それは今わからない。ただ僕が今絶対視しているものの見方は、フラットだ。フラットな存在。ただ存在している、といってもいい。ただそこにあるだけだからこそ、なにをどうしたらどうなるのか、いちいち考えなくてはならない。いちいち考えていたらキリがないから雑にやるのではなく、それを肩の力を抜くと表現するのではなく、僕がそう呼びたいのは凝縮された思考、直感、まぐれ、むしろそちらだ。それを身につけることが肩の力を抜く唯一の方法のはずだ。ざっくりいえば、クソほど悩んでいちいちクソほど考えて、それでも死ぬまで悩みは尽きない。そしてそれは良いものでもなんでもないが、正しい方向に進んでいる証ではあるのだ、たぶん。山下澄人さんは俺に聞くの?という人生相談をまとめた本で、安心してください死ぬまで悩みは増える一方です、と書いていたのをみてふっと心が軽くなったと以前ここに書いたが、もう少しなぜあのとき心が軽くなったのかが見えるようになってきた気がする。正しさは存在する、まずその絶対的な存在を感じ取ることができてあのときはとにかく安心していた。正解はない、絶対的な正義なんてないとかいう割には悪の存在を確固たるものとして捉えている。

22:38、マイエレメントを観た。かつて父がその親と成せなかった別れの儀式を、最後に主人公ときっちりやり遂げて別れることができた場面はグッときたし、スッキリして読後の感触が爽快だった。今日はこの辺にしとこうかな、また明日!

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