【鎌倉殿の13人・第34回】義時は北条の世を作りたかったのか

第31回で泰時に「そんなに北条の世を作りたいのですか?」と問われた義時は「当たり前だ」と怒鳴り返しました。「坂東武者の国を作り、そのトップに北条が立つ」というのは義時の亡き兄・宗時の悲願でしたので、義時の目標であってもおかしくはないのですが、一方で頼朝が存命の頃は源氏を懸命に支えていましたし、比企と北条との対立でも比企族滅を決めるまでは中立で北条に特に肩入れするそぶりを見せません。
この記事では義時の行動を振り返りながら、義時は北条の世を作ろうとしているのかを考察します。

頼朝の後継者争いでの義時

頼朝の死後、比企は万寿を、時政は千幡を後継者に推していましたが、義時と政子は頼朝の意志を尊重し万寿の指示に回りました。
時政が千幡を推したのは娘の実衣が乳母となっており、新政権に対して北条の影響を強められるからでした。義時が北条のことを第一に考えているのであれば千幡を推しているべきですし、万寿に後継者が決まった後も乳母夫の立場を利用して勢力を拡大する比企氏に対してもっと早く手を打っているべきでしょう。
実際には義時は万寿(頼家)を若いが才能を信じて支えることを表明しており、この時点では北条よりも源氏を重視しているように見えます。

頼家の危篤、比企の滅亡、千幡の擁立

頼朝の後を継いだ頼家は頼朝と同じような病に倒れ、危篤となってしまいます。頼家の死を誰もが悟り、頼家の後継者争いについて義時は北条家の推す千幡にするか、比企・頼家の推す一幡にするか決断を迫られます。
結果としては頼家の意志に逆らって千幡を擁立するのですが、これは源氏よりも北条を取ったと言ってもよいのでしょうか?
頼家は政治の才覚に恵まれていたものの、鎌倉殿になったときは10代後半であまりにも経験が不足していました。
この辺りは前回の記事にも書かせていただきましたので参照ください。

千幡は第34回時点で12歳、一幡はさらに幼く政治の実務能力としては皆無に等しく、実質的には北条と比企のどちらの政権が好ましいかという選択でした。比企は主に政略結婚や接待などによって勢力を伸ばして腐敗の温床となっており、鎌倉殿を蔑ろにすることは目に見えておりました。
一方、時政は家族と所領を大切にしており、自らの孫でもある千幡をある程度尊重することが期待できました。
つまり、このときの義時は比企と北条のどちらの味方に付くのかというよりもどちらが源氏を尊重するかを考えて行動をしていたと思われます。このことは義時がりくに「時政に本当に為政者が務まると思っているのか」と問うなど北条による政権運営に否定的なことからも伺えます。

そんな中、関係者の誰もが予想していなかった事態が起こります。頼家の回復です。頼家は当然北条を憎み滅ぼそうとしますが、比企を滅ぼした今北条まで倒れれば幕府運営は立ち行かなくなりますし、頼家派と実朝派に分かれて大規模な抗争となるでしょう。義時は頼朝から託された存在でもある頼家を誅殺せざるを得なくなってしまいました。

父・時政の比企化

しかし、さらに義時にとっての誤算は続きます。実朝政権下で執権となり政治のトップとなった時政は賄賂を受け取り、露骨な身内贔屓を始めます。さらに自らが滅ぼした比企の治めていた武蔵を自ら統治しようとするなど政治の私物化をするようになりました。
義時は時政の賄賂を窘めて武蔵の件では不快感を示しており、北条が一方的に得をすることを良しとしていません。頼家を殺した後も義時は北条家の利害よりも鎌倉全体のことを考える姿勢を崩していないと言えます。
第33回で運慶が義時のことを「迷っている」と評していましたが、北条の利益と鎌倉の繁栄とバランスともはやそれら2つが不可分なことに迷いながらも鎌倉のことを第一に考えているのではないでしょうか?

義時のこれから

三浦・畠山からの苦情など反時政の声は義時に集約されてつつあり、時政と義時の対立は今後激化していくことが予想されます。
最初に書いた通り、泰時に「そんなに北条の世を作りたいのですか?」と問われた義時は「当たり前だ」と答えましたが、このときの心情は感情にそのまま言っている可能性もありますが、北条と鎌倉の間で迷っており北条の世を積極的に支持しているわけではないからこそ声を荒げてそう言ったという解釈もできます。
義時がどちらの気持ちなのかは今後の放送を楽しみにしたいと思いますが、私は「北条あっての鎌倉」の時政と「鎌倉あっての北条」という義時の対立は最後まで変わらないと予想しています。

終わりに

最後に宣伝になりますが毎週土曜日の再放送の時間に大河の同時視聴のスペースをやっています。よろしければTwitterのフォローと視聴いただけますと幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?