凍土の将軍

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中将 大木繁 (8)

モスクワブトイルカ 日本語で検索したら、厚生労働省のエクセル資料に「モスクワブトイルカ」を見つけた。 https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/miteikyou/html/xls/ya.xls 「モスクワブトイルカは、モスクワ市にある病院」との記述である。 ロシア語で検索したら「ブトイルカ監獄」でヒットした。 Butyrka Prison ブトイルカ監獄は、帝政ロシア時代 1879年に建てられた悪名高き監

    • 中将 大木繁 (7)

      御祭神調査 靖国神社社務所に問い合わせたところ、以下の回答がありました。 御祭神 大木繁 命 階級 陸軍中将 所属部隊 関東州憲兵隊司令部 死亡年月日 昭和22年4月9日 死亡場所 ソ連モスクワ市モスクワブトイルカ ・「日本陸海軍総合辞典」によれば、大木中将は「シベリア抑留中に戦病死」となっている。 ・「日本憲兵正史」では、「大木中将がシベリアへ強制連行され、後に抑留中に戦病死した」との記述がある。 ・このことから、大木中将は極東シベリアからモスクワまで移送され、戦病

      • 中将 大木繁 (6)

        生い立ち 大木繁(22) 福井 明治21/11/29—昭和22/4/9 陸軍少佐・宮川源七の男 (次男) 後に大木家へ養子 (大木家は、宮川源七の妻サダの実家) 長男の大木天材は陸軍技大尉 明治43年5月 陸士卒 (陸軍士官学校) 明治43年12月 少尉、歩兵36連隊付 大正2年12月 中尉 大正6年6月 憲兵中尉、熊本憲兵隊分隊長 大正7年6月 憲兵練習所卒、朝鮮憲兵隊分隊長 大正9年8月 大尉 大正14年8月 京城憲兵分隊長 (現: 韓国ソウル) 大正15年8月 広島憲

        • 中将 大木繁 (5)

          経歴 昭和12年12月1日: 北京憲兵隊長 昭和13年12月1日: 大阪憲兵隊長 昭和15年3月9日: 少将 昭和16年3月1日: 中支派遣憲兵隊司令官 昭和18年8月2日: 中将 昭和18年 8月26日: 憲兵司令官 昭和19年10月14日: 関東憲兵隊 司令官 昭和22年4月9日: 死去 (シベリア) 出典: 日本陸軍将官総覧(別冊歴史読本) ・憲兵司令官の最高位は「中将」

        中将 大木繁 (8)

          中将 大木繁(4)

          家系図

          中将 大木繁(4)

          中将 大木繁 (3)

          中将 大木繁 (3)

          中将 大木繁 (2)

          中将 大木繁の経歴について 昭和12年12月1日: 北京憲兵隊長 昭和13年12月1日: 大阪兵隊長 昭和15年3月9日: 少将 昭和16年3月1日: 中支派遣憲兵隊 司令官 昭和18年8月2日: 中将 昭和18年 8月26日: 憲兵司令官 昭和19年10月14日: 関東憲兵隊 司令官 昭和22年4月9日: 死去 (シベリア) 出典: 日本陸軍将官総覧 (別冊歴史読本)

          中将 大木繁 (2)

          中将 大木繁 (1)

          彼の名は「大木 繁(おおき しげる)」。 憲兵の最高位である「憲兵司令官」までのぼりつめた。 31代目の憲兵司令官である。 在任期間は昭和18年8月26日から昭和19年10月13日まで。 その後 満州で「関東憲兵隊司令官」に就き、終戦を迎えた。 終戦直後にソ連軍に拘束・抑留され、シベリアで死去した。

          中将 大木繁 (1)