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【序1-3/3】 陽香漂う倭國

陽香ロマンただよ倭國わこく

民族の大移動

1 國長の悔恨 (前半)
2 北方民族  匈奴の分裂
3 奴國と好古都國
1 國長の悔恨(後半)

奴國と好古都國吉野ヶ里

奴國

57年 大陸では後漢の世になり、九州では奴國が倭國の長として大陸へ使者を送る。
大量の貢ぎ物は属国の誓い。
後漢は承認の証として紫綬を着けた金印を授ける。

九州と大陸を結ぶ海の道は波濤はとう険しく幾つかの島々は命を継なぐ重要な中継地となりその島自体が國として外交上の地位を築きあげていく。
文献にその名が出てくる末盧國、對馬國、壱岐國(一支國)がそれである。

この時の使者は‘漢委奴國王’と刻まれた金印を賜り持ち帰る。

絶大な力を後ろ盾にした奴國は50年ほど安泰であり節目節目には様々な献上品を送り見返りとして鏡や武器、装飾品などを賜る。

しかし107年に使者を送ると大陸の異変を感じていた。
半島の高句麗が朝貢をし、存在感を示しだした。
それが何を意味しているのか。
それは、次どこかの章に譲る。

好古都國

48年の匈奴分裂の大陸動乱の折り、海を渡り對馬と奴國へ辿り着いた部族に越南えとなん族があった。(現代のベトナム)
それが約50年から十年を経た60年頃、對馬の一部と交易が盛んになった好古都國(吉野ヶ里)へ渡り114年には定住し好古都國は越南族の集落が多く混在するようになった。
そして、125年頃には越南族の持つ技術が稲作を通して一帯に広まり治水、土木、農耕具などその土地の民との共存の中で深く関わりを持ち水稲弥生文化がはなひらき栄えていった。
※越南族を代表する者にハニが現れる。今後ハニ族と略して表現をする。

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