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『食の暴力』というコトバ

久しぶりに飛行機に乗って2泊3日東京を離れた。
目的は人に会うため、それだけだ。

ゴルフが上手くなりたいから、とか
コレを食べに行くため、とか
アレを見たいから、とかの

他の目的が一切なかったので、

結局、観光名所には行かなかったし、
その土地にある「見るべきもの」も一切見なかった。

逆の立場を考えると、
自分に会いに来てくれた人をもてなそうとする時、
とにかく「一緒の時間を過ごす」を第一優先に考えるんだろうけど、
その次に考えるのが、「何を食べてもらおう?」にやっぱりなるんだと思う。

ワタシが行くということで、
割と少なくない数の人が、ワタシに何を食べさせよう?と
考えてくれたことは実は行く前から薄々気づいてはいた。

ここで食べたものをずらーっと書くと、
「どこで」「何を」食べたのかが分かってしまうし、
それによってこのコロナ禍において迷惑がかかるかもしれないので、
明示は控えるが、とにかく「もてなし」て頂いた。

ま、とにかく
1日目は海の幸と超美味しい牛肉を。2軒目ではワインと雑誌に出てきそうなおつまみを。
2日目はお昼ごはんから3軒はしご。晩ごはんは4軒だった。

この1日7軒は、人生新記録かもしれない。
そんなことを呟いていると、
「『食の暴力』って言うんですよ。」と「新語」を教えてもらった。

地元に来ていただいたら、
とにかくもてなす。食べさせる。お金は一切払わせない。

「暴力」と言う言葉はとかくネガティブに扱われるけれど、
その奥にある「おもてなし」の「変化系」のニュアンスを感じ取ったんだよ、ワタシ。

なんだか男性っぽくて、
ちょっとブコツで、
こんなにも愛がこもっていて、
そして、そこに「照れくささ」さえ感じる「おもてなし」の形。

そんな「食の暴力」と言う「新しいおもてなし形」を知り、
それを、全身で受けてみて、ワタシなりに何をお返しできんのかなぁ、と考えてしまう。

それにしても、愛の表現の方法は色々あるよね。
ホンモノであればあるほど、その人らしさと、キモチが伝わる。

そんなホンモノを差し出せる自分でありたいと思うし、
それを受け取れる「受け皿」はいつも磨いていたいと思う。

彼らのおかげで、
今のワタシは「フル充電」されたiPhoneのようになった。

この「充電」をまたいい感じで「発信」に繋げられたらってそう思うのです。
本当にありがとうございました。






励みになります。個別にお礼のメッセージさせていただきます。