やっと「時間持ち」になれた気がする。

ワタシの人生は2019年夏にガラッと変わってしまっていたので、
今年のコロナではワタシの東京での生活は全く変わらなかった。

笑うくらい、まったく変わらなかった。

ティッシュペーパーが店頭から消えた時も「わっ。」と思ったし、
マスクが手に入らなかった時も「へっ?」って思ったけど、
友達が譲ってくれたり、
「ワタシが一人暮らしってこと知ってるよね?」ってくらいのトイレットペーパーが実家から送られてきたりして特に困らなかった。

人生が変わってしまって、ずっと家に引きこもり、
入ってくる情報を自分でコントロールして、
見たいものだけを見て、読みたいものだけを読んでいると
人生がかなり快適になる。

最近ちょっと「人の輪」の中に入る機会が数回あったけど、
どっぷり入り込まずに、ささっと自分の心地良い居場所に戻ってこられるようになった。

自分の居心地の良い居場所は、自分のおうちやベッドだけじゃなくて、
時間があればどこでも作れる事が「そういうことか!」と
首がもげるくらい理解できたので、

あー。ワタシの場合は、幸せとか豊かさって「本当に時間なんだ。」という事が
これまた首がもげるくらい理解できた。

でもこれも、2019年春までのがむしゃらな期間があったからこそ
きっと気付ける事で、
空白の期間が1年以上もあってハゲる程考え込んでいた時には見つからなくて、
もう考えるのやめて、やりたい事手当たり次第にやりまくっていたら、
あれ?って分かる事なんだなぁ、となんだかぽかんとしているココ1週間。

重要なのは、情報と時間。
ここで、人生の「前提条件」を以下に変えてみた。

お金を払って取る情報だけに価値がある。
お金を払って得る時間だけが自分を取り戻せる時間となる。

太陽の日差しがどれくらい入る部屋で過ごすのか?とか
どんな本を読んで、誰との時間を過ごすのか?とか
考え始めると、

何に自分がお金を使っていて、
何に自分が時間をかけているのかが見え始めた。
お金も「使い方」だ。だって、それが「価値観」だから。
(なんだか書くと当たり前だな・・・)

「人生が変わる」というのは、
住む場所が変わったり、仕事が変わったり、
一緒に過ごしていた人が増えたり減ったり居なくなったりする事も
もちろんそうなのかもしれないけど、

自分で100%コントロール出来るものは「情報」と「時間」だと、
ヤバい、また首がもげそう。

今いる所から、過去自分のいたところを振り返ってみると、
去年までのワタシはぶれぶれで、
去年から最近までのワタシはグッタリで、
今のワタシはなんかスッキリだ。

「時間持ち」って「暇」とは違う。
本当に自由に自分のための時間を使えるって事なんだなぁ。

今まで読んだ本にもきっと書いてあったし、聞いたこともあったけど、
なんだかものすごく深いレベルで分かった気がする。

コレはもっとちゃんと言語化して、しゅんしゅんに伝えたいって思う。



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