見出し画像

覇眼戦線5

◆はじめに

はじめに断っておくが、これは個人の意見であり書かれている内容はすべてそれに基づくものなので、実際の組織や人物について断ずるものでないことを了承されたい。
文体の都合上、敬称は基本略させてもらった。

とても偉そうなのはいつものことなのでこの場を借りて土下座します。

◆つまらなさに見る無意識の悪意

冒涜だと思った。

黒猫のウィズというゲームが今まで培ってきたもの。
黒猫のウィズや覇眼戦線に関連するキャラクターやこれまでのストーリーを大切に思っているユーザー。
それらをこれまで生み出し築き上げてきたスタッフたち。
そのすべてに対する冒涜だと感じているし、大変憤慨した。

ライターのストーリーテリング能力が低いことは、とても長い目で見れば許容もやむを得ないものと思っている。
極端な話、「おもしろい」か「つまらない」かの軸で言えば、「つまらなくてもいい」と思うのだ。
おもしろいものを生み出そうとして努力した結果、微妙につまらなくなってしまうことはまあよくあることで、でもその中に原石のような、「おもしろくなりそうだった欠片」を感じることができるものなのだ。
つまらない話は、そりゃあ嫌だ。好きではない。でも試行錯誤した結果のそれは、きっとライターにとって無駄ではない。ライターが経験を無駄にしないと思えれば。
それを積み重ねて人は成長していくわけだし、それが結果的にクオリティの向上につながる。

ただしこれにはユーザーの反応やリアクション(と社内や自己等での効果測定)が大切になってくる。
ユーザーが内容の評価に向き合わず、例えば黒猫が好きだからと良かれと思って肯定的な姿勢をとったり、逆に極端に否定的な態度(書かせるなとか読みたくないとか)をとったりすれば、結局誰も正しい評価をくだせなくなってしまう。
登場するキャラクターが好きだからおもしろいとか、好きなライターだからおもしろいとか、確かにまあそういった軸での応援の仕方はあるが、長い目で見れば悪影響を及ぼしかねない。前述のとおりストーリーに対する正しい評価を行えなくなるからだ。


今回わたしが嫌悪を感じたのは、このイベントにおけるつまらなさが努力の結果からくるつまらなさではなく、つまらなくなるべくしてなった、必然のつまらなさだったという点である。
制作への姿勢や態度に、どうしても不足があるとしか思えないのだ。

例えば冒頭に出てくる「正気になった人」などやる気が感じられない名称。世界観の構築に対しての意識レベルが低すぎるからこのような表現になってしまうのではと感じるのだ。
確かにメタ的に見れば正気になった人であることに相違ない。だが、それはあくまで一歩引いた視線で見たときの状態だ。
その視点を安易に持ち出すのは、「ユーザーは黒猫氏の目を通し世界を体験する」ことを基本前提とした、いや今までのイベントやストーリー等で築き上げてきたユーザーと公式のささやかにして大切な「おやくそく」を安易に踏みにじっていると。そう感じるのだ。

たぶん、そんなささやかな不文律など、大切にするしない以前に、気づきもしないのだろう。
このイベントにおけるストーリーの粗の大半(=つまらなさの原因)が、こういった不文律に対しての鈍感さに起因するものだと思う。つまらなさの向こうに見える、半ば無意識の悪意。
道端の小さい花を踏みつぶして歩いていくような、そんな無神経さを見せつけられ押し付けられる。それがたまらなく不愉快なのだ。

キャラクターを描こうという気概も感じられなかった。
察するに、テンプレ化しないと人物を描けないのではないのだろうか。
例えばリヴェータは量産型ツンデレのテンプレそのものであり、その域を越えた発言はほぼなく、リヴェータならではのバックボーンからくるストーリー展開などは皆無だった。
全ての登場人物が、そういった形でテンプレ発言による矮小化がされているように感じた。キャラ同士の会話も噛み合っているようで微妙に噛み合ってないことも多く、より不気味さを際立たせる。
読み手、キャラクター、いままでの在りよう。そのどれかひとつでも意識していれば、おそらくこうはならないだろう。

呼び方や表現が統一されていないことなどを指摘する意見が散見されたが、そもそもキャラクターとしての筋を通そうとしていないのではないかと思う。
キャラクターが動いて物語が展開するのではなく、物語が展開するからキャラクターがそれに合わせてそれらしいこと(実際はらしくもない)を前後の脈絡などあまり気にせず発言するのだ。他の漫画やアニメの似たような展開にありがちな発言を引っ張ってきているだけのように感じる。場当たり的で統一も筋もあったもんじゃない。呼称もぶれるのは当然だろう。
当然、本来のキャラクター像からはどんどん乖離していく。そして恐ろしいことにそれに一定の指向性すらもない。ただその場だけの発言でしかないからだ。一定の新しい指向性があればまだ受け入れられたことだろう。
例えるならAI的で、血が通っていない。この程度で良いと言わんばかりだった。
読み手と、今までおもしろいものを書こうとしてきた人たちを侮辱していると。何かを表現することをなめている。人の心を軽視しすぎている。

リヴェータのストーリーとも言える覇眼戦線が、リヴェータありきでなくなったら、いったいそれは何なのだろうか。キャラクターの精神がぶれることは、キャラクターの死に直結する。リヴェータは殺されたのだ。
あるいは違う世界線なのだろうか。エリア13はそんな不安を曖昧に癒してくれる。このイベントにおける思わぬ救いの存在である。

また黒猫氏のなろうキャラテンプレ化は、もはや絶望すら感じられる。
黒猫氏がユーザーに支持されている理由というものを、知らないし知ろうともしていないのだろうか。おもしろいものを作るということは、おもしろいとされるものや自分がそう感じるものの理由を知ることが肝要ではないのか。
ユーザー心理の分析など不要だという驕りの現れと感じられる。
あるいはこれをおもしろいと感じているのならば、もうどうしようもない。

とはいえ昨今の人々の感性レベルがこの程度に落ちてきているのもまた、受け入れがたい事実だ。
しかしそれでもなお黒猫はまだ一定の水準を保ち続けており、そのクオリティに魅せられた人間としては、その地平に堕ちて良いなどとはどうしたって言えないのだ。

その一方で、終盤の黒猫氏の覇眼が決定打となり敵を打ち破った展開は一転、急に媚びすぎており気持ちが悪かった。
メアレス等における、黒猫氏のジョーカーとしての活躍が受けたからとりあえず取り入れたというようにしか見えなかった。制作側のしたり顔が透けて見え、心底不愉快だった。
うわべの展開だけなぞったようで稚拙だったというのが不快感の主要因である。
メアレス等でこの展開が支持を得たのは、そこに至るまでのユーザーと黒猫氏と制作側(シナリオ)が築いた信頼関係の賜物なのだ。
それをおざなりにしておいておいしい(はずの)部分だけ持ってきたところで何の感慨も抱かないし、きれいな思い出を想起させて汚されたような不愉快さだけが残る。
そしてこんなことがまかり通れば、(黒猫において)せっかく王道となったこの手法が陳腐化してしまう。


◆無意識の悪意を育てた環境に対するいちユーザーの邪推

つまるところ、無意識の悪意がつまらなさの主だった原因であると思うのだが、その病理はなにもライターやシナリオだけにとどまるものではないのではないか。

ステージクリア時のウインドウ(1-2等をクリアしたときにでるメッセージ)に、キャラクターと並んで一番最初に【解放率100%で与ダメ+10%】が出てくること。チームの誰も異常だと思わなかったのだろうか。
解放率が上がると与えるダメージが増えるというルールは確かに提示すべきものである。
しかし、そこ(本来キャラクターのセリフのみが表示される部分)に提示するしかなかったのだろうか?
もっといい案はなかったのだろうか?本当にこの形式しかなかったんだろうか?

ユーザーからすれば、キャラクターがメタ台詞をしゃべっているようにも見える見え方をしているのだ。
もちろん実際にはしゃべっていない。でも「そう見える」のだ。
キャラクターを、キャラクターとユーザーとのエンゲージメントの場であるウインドウをそのように使ってしまって良いのかと、思い至らなかったのだろうか。
ここにも無意識の悪意を感じてしまうのだ。

コロナ等々で時間がとれず、このような安易で何かを犠牲にする方法しかとれなかったのかもしれない。
しかし犠牲を生むことが分かったとき、そもそもこれを犠牲だと感じられたのだろうか。わたしはそこに、どうしても疑念を抱いてしまう。
システムの説明領域をきちんと確保せず、こうして付け焼刃的に処理してしまうのは、説明することを軽視している、設計が甘いと言われても否定はできないだろう。

マップにしてもただ広いだけで特に何もない。
メインのクエスト7つ程度では有り余る面積で、埋め合わせのように砦クエストという盛り上がりに欠ける数合わせのようなアイコンが表示されるだけである。
こんなに大きなマップを作る理由や意義はあったのだろうか。
スカスカで無駄に左右スクロールが多く、ユーザビリティも高くない。
グラフィッカーはこんな風に見栄え悪く使われてどう思うのだろうか。
本当にこの素材は必要だったのか。工数や作業時間に結果が見合っているようには思えない。
やはり企画自体が稚拙さの残るものだったのではないだろうか。ディレクションやコミュニケーションに不安が垣間見える。

正直なところ、シナリオも後半になると途端に赤い枠のメッセージ(いわゆる地の文)が減ることにとても不安を感じる。
何故後半になって急に毛色が変わってしまうのだろうか。
怒涛の展開といえば聞こえはいい。
わたしはそこにもディレクションやコミュニケーションの不足を感じるのだ。
終盤、物語を企画にそぐう形で収束させるために、別のライター(か企画監督者)が手を加えているのではないかと邪推してしまう。
さもなくば、締め切りに間に合わず骨組みたるセリフの羅列でなんとか形にしているか。
どちらにしても前述のディレクションやコミュニケーションの問題が影を落とすことに変わりない。
本当に体制は大丈夫なのか。無意識の悪意がまかり通っているのは、不健全な環境によるものなのではないか。

ここ数か月、完結イベントの連続でシナリオ周りの不穏さが色濃く出てしまっている。新しいイベントの発表で少しは安心したものの、前述の環境への不安を払拭することはできない。
前編までを手掛けたライターが不穏な雰囲気になっているのも相まって、邪推のネタには事欠かない状況である。

◆ユーザーは真摯たれ

いつもわたしがこんな風に「あまり聞こえが良くないこと」をついついだらだらと述べてしまうのは、…まあ悪い癖ではあるのだが決して誰かを何かを貶めようとしてしているのではない。

わたしは、このイベントをプレイし感じた不満や不安について表出せず、何食わぬ顔でスルーして、まあ(大好きな黒猫だから)批判しないで概ね肯定的な態度をとるということは決してできない。そしていつかそういった考えが主流になっていき、ぬるま湯のようなユーザーと公式との馴れ合いじみた関係となることは極めて不健全だと考えている。

良いと感じたことは良いと言うべきだし、その逆もまた然りであるべきなのだと。そしてそれがわたしの考える真摯なユーザー像なのだ。
だからいつものようにここでも正直に思ったところを述べた。

そうでなければ、きちんとしたクオリティを保っている他のイベントやスタッフに対して失礼だ。
彼らは才能とか立場とかではなく、良いものを作ろうと努力したり考えたりして結果を出している(はずだ)からだ。
コミュニティやクチコミによる正当な評価も、ユーザーができる恩返しのひとつだろう。
おもしろいにしてもつまらないにしても、ユーザーがコミュニティを盛り上げ話題を作ることで巻き込まれる人も増えるものだ。

ただし、批判や批評は良くてもそれが個人攻撃や人格批判であることは許されない。
安易な叩きに走らないよう努めることは、難しいが大切なことである。

それに関連して、よくマイナスの意見は公式に直接言うべきという意見があるが、わたしがしたいのはレビューでありそれに伴うユーザー間の意見交換(の一端)であって、クレームではないのだ。
公式のご意見箱に直接言う行為は、(良い意味でも悪い意味でもなく、本来の意味での)クレームで、ある意味で一方的な主張である。
ここでこうして多数の目に触れる形(実際見てくれる人がいるかどうかはアレなのであくまで形の上だけ…)で書くことで、良くも悪くも見た人は何かを感じるだろう。そして反論意見を書くかもしれないし、肯定的に思うこともあるかもしれない。当然、スルーしてもかまわない。
そうしてユーザー間の意見交換が活発になり、コミュニティが活性化するのだと思う。良い感想だけをコミュニティに受け入れるというのは、結果的に意見の対立から起こる議論を生じなくさせ、人も場も衰退していく。(クロディラにおける同一化が進んだ世界が滅んだ例がわかりやすいか。違うからこそ刺激が生まれて、結果的に何かが生まれる土壌になるはずなのだ。)
この文章は邪推も過ぎる部分が多々あるが、反対意見や否定意見を述べてくれる方があればとてもありがたい。


また昨今の企業はTwitterやらのユーザー反応も確認しているのが普通なので、ご意見箱の外に書いても声が届かず無駄になるということはないだろう。
(うちのような弱小垢はまあアレだが、一石を投じることは無駄でないと思っている)

ただ、ちっぽけな影響力もない一ユーザーでしかないが、いつでも自分の感じたことは正直に表していきたい。
反対意見は敵や攻撃ではないことを、意見の対立は空気の悪いものではないことを受け入れてほしい。

ユーザーは真摯たれ。
摩擦を回避するために自分の気持ちに嘘をつくことは、結果的に人を、コミュニティを、コンテンツを衰退させる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?