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雨宝院のことだけは、書いておきたかった。

満開の桜って、こんなにも静か・・・。

こんなって言われても、どんなかわかり辛いですね。
すみません。
でも、他に書きようがないのです。

ホリコミのセミナーのついでに、
たびたび京都各所を巡りました。
(セミナーの方がついでだったのかも)

その中で、私のベスト1が、
雨宝院、通称花の寺です。

場所は西陣、千本今出川の北東。

迷いに迷って、やっとたどり着きました。
それは、あの界隈に入り組んだ
路地、図子のせいではありません。

どの町でもよくみるような、
コンクリ打ちっぱなしの、塀や駐車場。

“あまりにもそこらへん”の風景に、
私はすぐ近くまで行っていたのに、そこで引き返し、
別の道に進んでしまったのです。
2回も・・・。

しかし実は、
聖をまったく予感させない“”そこらへん“が続く途中、
俗の世界のほんの隙間から、
花の寺は突然、現出するのです。

それも、
溢れ出てくる桜の精たちの方から、
招き来るように。

小さな門をくぐります。
そして冒頭の、静かな世界。

花を観ている、というより、
花の中にいる、という方が正確かもしれません。

はじめは圧倒され、感激しました。
でも、どの樹も背丈が低めだからでしょうか、
手作り感に満ちた、素朴な暖かさに気づき始めます。

そうして、この世界に協力したくなります。

枝に花に、手を添えたくなるのは、
自分のそばに置きたいからではなく、
支えたくなるからです。
(本当にさわったらダメなので、志として、です)

桜に囲まれた空が円く、
井戸の底のように遠くで澄んでいます。

花の中を進むと、いくつかお堂が見えます。
閉じられた扉に、小さなすきま。
真言の札。

真言の徒でない自分が、堂々唱えるのは
厚かましい気もしますから、控えめに。
でも、文字を追うばかりで心が入ってない、
では後ろめたい。

さじ加減が定まらぬまま、
据わりの悪い空真言(?)を唱えおわり、
“そそくさ”と、小さなすきまに目を遣ります。

雨宝院は、本当に小さいお寺です。
それなのに、世界の果てを忘れてしまいます。

一棟一棟のお堂の中、すきま越しに、
広大な世界が続いていることが理解できます。

でも、果てがないことは、
人を不安にさせることもあります。

そのためというわけではないでしょうが、
人の世界に、即座に戻れる場所があります。

寺務所兼、売店コーナー。

そこには、由来などとともに、
桜をはじめとしたたくさんの花の生が、
関係者の方々の篤実と献身、
そして参詣者の喜捨に支えられていることを
伝えています。

そこで私も、お守りを買いました。

このブログを書き始めた頃、
世の中一般の桜の季節を少し過ぎた、
ある月曜日のことです。


そこから丸1年、節目の4月いっぱいで、
私のブログは終わらせていただくことと
相成りました。

その前に、何としても雨宝院のご紹介をば、
と思いました。

ガイドブックで単独で紹介されることがあまりない、
花とお堂と人々の織り成す素晴らしい世界が、
長く続くことを願いつつ。

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