3 動き出す時間はキミとの時間
〇〇たちが慶太の家で飲み始めてかなりの時間がたっていた。
あたりはすっかり静寂に包まれて、空に浮かぶ月の明かりと、等間隔に並んだ街頭が人工的な明かりで照らしている。
〇〇はそんな夜の道を、少しだけふらつきながら歩いていた。スマホと財布をポケットにしまいこんで、近くのコンビニ目指して歩みを進める。
先ほどまで斎藤櫂と小笠原慶太と飲んでいたが、お酒がなくなり、じゃんけんで負けた〇〇が買い出し係に任命された。
そこまで飲み慣れていないお酒を楽しい雰囲気にのせられてかなり飲んだせいか、自分でも意識できるほどに視界が揺れる。
それでも、まだまだ肌寒さの残る4月の夜風は、程よく酔いを覚ましてくれた。
そんな最中、コンビニにいく途中の公園に差し掛かるとごみ置き場に粗大ごみとして出されたであろう、大きな家具たちが重なるように置かれていた。
通りすぎようとした瑛の視界に入ってきたのは、ボロボロになったギターケース。
形からアコースティックギターだとわかった。
最初は純粋な興味だった。
ギターケースを開けてなかをあける。そこには使い古されたアコースティックギターが静かに横たわっていた。
なぜそんなことをしたのかはわからないが、気がつくとギターを手に公園のベンチに腰かけていた。
弦を一本ずつ鳴らす。音はバラバラで、ペグを調節しながらチューニングを始める。
昔は音叉やチューナーがないとなにもできなかったのに、慣れというのはすごいもので、今ではチューナーなんてなくても耳でチューニングができるようになっていた。
もう1年以上ギターに触れてすらいなかったのに、感覚はしっかりと覚えているものだ。
チューニングを終えて、ふと空を見上げる。
きれいな星空、とは言えないが、ところどころで瞬く星たちが、東京の明るい空にわずかに輝いていた。
視線をギターに戻す。
恐る恐る弦を弾いてみた。スチール弦特有の音が夜の公園に静かに響いた。
公園のまわりには民家なんてほとんどなくて、近所迷惑なんて考える必要はない。
おまけに人通りも少ないから、誰かにみられる心配だってしなくてよかった。
酔っているせいか、鈍くなった思考回路は無意識のうちにギターへと指を当てさせた。
最初はコードをなぞるだけ。
C、E、Am、F、またC。基本コードを押さえると、指はすっかり柔らかくなっていて、じわりと痛さを感じる。
それでも、かつては毎日のように感じていた感覚が懐かしく、痛さも次第に慣れてきていた。
コードをなぞる手をとめ、ふたたび顔をあげる。
一回だけ小さく深呼吸をした。
恐る恐る今度はコードを繋げてメロディーを奏でる。ずっと好きでいまでも聴いているバンドの曲。
ギターが弾けるようになって最初にマスターしたのもこの曲だった。
桑田佳祐の「白い恋人たち」
肌寒さの残るいまみたいな夜には最適な曲だな。なんて思いながら、記憶の糸を手繰り寄せながらメロディーを紡ぐ。
普通のテンポよりもゆっくり目に、もともとはピアノのバラード曲だけど、アコースティック調にアレンジする。
イントロが終わり、遠慮がちに少しだけ歌を口ずさむ。
誰もいない公園にギターの音色と〇〇の歌声だけが響き渡る。
曲を引き終えて最後にギターをゆっくりと終えると、不意にどこからか拍手が聞こえてきた。
その音のする方に視線を向けると、帽子を目深に被った女性が立っていた。
「綺麗な声ですね」
それが、彼女から初めて投げ掛けられた言葉だった。
つづく
この物語はフィクションです。
実在する人物などとは一切関係ございません。
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