振り切る新しいスイングをしたい。
けっこう難しい。 私の歌で、数十人を集めること。
「なんでもなかった。」という、日々の最後にある安堵。 「確かに、キミはそこにいた。」という存在の大切さ。 苦悩や不安とともに生きている人に、誰が手を差し伸べてくれるのか。 それは間違いなく他者からの愛である。 表現の形は違う。しかし、愛は確実に存在する。 人とは本来、優しい生き物だ。しかし、その優しさが眠ってしまう、そんな時もある。その時には、眠りから目覚める時を待ってみよう。その朝は、必ずやって来るのだから。 それでも愛や優しさを忘れ、失望や絶望の
偏った正義感と、強すぎる使命感は、この世界を少しだけ狂わせる。 創造を実現出来る人は、全てを壊す力をも持ち合わせている。 この事を忘れた時、大切にしている考え方を持ち続けたい自分を壊し、隣にいる人をも壊してしまう。 様々な感情が渦巻くこの世界においては、「ちょうど良い」や「普通に過ごす事」が、実は一番難しい。 私は正義に出会ったことがない。
もしもあの街へ 行きたいのなら 何度も、何度も、地下を潜ることだ そこには水も流れ来るだろうが フラリとその身を任せればいい 街がパレードみたいになったらいいのにな 街がパレードみたいになったらいいのにな パチリと目が覚めた時には まぶしいおひさま ハラリと浮世で踊るだけ 街がパレードみたいになったらいいのにな 街がパレードみたいになったらいいのにな
今思い返してみると、妊娠8ヶ月で極小(945kg)の未熟児として娘を出産した時から、意識、無意識の内にあったのが、「私が産んでしまった」という思い。 保育器に入っている娘を見た時の自分は、陣痛の痛みもなく肉体的な負担もなく、、、、という後ろめたさ、罪悪感のようなものが、私がこの子を育てなければという思いを強くしたようです。 「発達に遅れがあります。」「様子を見ましょう。」「待ちましょう。」と言われ、その時期、その周囲の状況に馴染ませる事ばかり考えているような日々だっ
不可能を認めるという事は、その先にある可能性を見つけられる機会を得る事に繋がる。 可能性だけを追い求める期待は、本人の安定や、今は発揮されていない可能性を崩す事に繋がってしまう。 過度な期待は、私たちや本人も知らないうちに本人を破綻に追い込む危険性が、そこにはある。可能性を探るという事は、本人の不可能を知る作業から始める事なのではないか。 可能性を知るということは、家族も期待し求める。時に、家族が本人の可能性を望むあまりに、現状を守ろうとしている盾が暴走し、矛に
一般的には「特別な思い入れ」と訳される、こだわりという言動。 人間には、「生きていかなければならない」という義務と、「生きていたい」という希望の間に、一日が24時間という規則や、さらにはその中で定められている「生活」という常識が存在している。正しいとされるこの世界の時間軸や環境と、自分のズレている部分をすり合わせなければいけない、その状況下で私たちは生きている。 こだわりとは、この世界と自分自身との歪みに苦しみ、自らの精神とこの世界とを調整する為に生まれる行為である。そ
「忘れる事が出来ない」という、生きる上で邪魔な特技を持つ人たちがいる。幸せを覚えているのではなく、辛かった事を無意識の中に閉じ込め、消し去る事が出来ない。 流れる日々の中で恐怖や不安に襲われた時、私たちはその事に対して忘れる努力を、脳から指令される。しかし、ある時思い出してしまい、再度襲われる。その時には、不安や恐怖の大小によって解決に優先順位を付け、逃げ切ろうと試みる。 フラッシュバック、それは突然にやって来る。例えるならば、後ろから頭を殴られたかのように、辛い出
私たちほ、この世界の規則を理解する事が難しいとしても、自らを取り巻く環境がどの様な影響を及ぼして来るのかという感覚は持っている。 しかしその事を理解し、考えをまとめて発信する作業が難しく、苦しんでいる自分への共感が得られない事態に見舞われる事が多い。だが現在の社会においては、周囲に合わせる姿が求められる。自分とこの世界との間に歪みを感じていても、正しいとされている人間により定められた規律に合わせる為の作業が要求されている。まさにその時、この世界と自分が違うという現実を思
未知との存在に遭遇した時、我々は恐怖に襲われる。 異端として区別されている人と、一般の人として呼ばれる人との間にもその現象は生じる。それは、「知らない」という現実が恐怖の感情を呼んで来るのだ。 では、その恐怖を拭い去る為にはどうしたら良いのか。その始まりは一つだけだ。知る努力である。 対象となる人、その言動の理由を知ろうとする事なのである。どの様な方法や学問の形でも構わない。知ろうとするその先にしか、理解はないのだから。 お互いが分かり合う事は難しい。ならば、少
人を幸せにできる人。 そんな人がいる。 そのつもりがなくても他人を笑顔にする。 そんな人は、確かにいる。
私たちには、「こんにちは」と「さようなら」を伝える自由が与えられている。 もしも最期に言う言葉があるのだとしたら、それはなんなんだろう。 始まりの瞬間とは終わりへの、最大の暇つぶしなのかもしれない。 人は得ることが許されている。 それは、「考えること」だ。 考えることとは、争いのためにあるのではない。 いかに、他者を幸せにできることを探る時間を与えられているということなのだ。 「人が旅をするのは、到着するためではありません。それは旅が楽しいからなのです。」
あの人は母の元に残った。 様々な宿命の中、神事に身を捧げることを全うした。 北関東の田舎町。 その地で育ち、ナナハンに乗り、市役所に勤め、神社にその身を捧げた。 いつも優しかったあの人は、自由であり不自由でもあった。 私は忘れない。 最後の病床。 朦朧とする意識の中で握られた手のひらの力強さを。 あの病院の一室の、最後に愛した彼の姿を。 私は決して、忘れない。 「世界には、君以外には誰も歩むことができない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのかと、誰も問うて
あの人は、ソロバンができなかった。 後妻だったあの人は、四人のこどもを育てた。 元夫は戦死し、連れ子は交通事故で死んだ。 残ったのは、二人の女の子と一人の男の子。 第二次世界大戦の後、強制労働で連れてこられた某国の人。 人として扱われなかった。 近所の人たちは言った。 「どこに住まわせようか」と。 「戦争中でもさ、国がちがってもさ、同じ人間だろうさ。」 「お布団に寝かせてあげようよ。」 時は流れ、「アノトキハアリガトウ」との手紙。 あの人の腰は曲がり、農業で生活
想像や考えに、その形は存在しない。まるで匂いだけを残すように、哲学はその姿を消す。朝の空を見た時。黄昏の空を見た時、何を考えたのか。雨には形がある。風を感じることはできる。だが、その存在を表現することは難しい。人の考えとは風に似ている。私は風を見たい。生きている限り、この欲望に抵抗することは難しい。 「振り向くな、振り向くな。後には夢がない」