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知識ビジネスの本当の価値

近頃はツイッターによく出没している。

ツイッターでたまに見るのが
「有料級の情報ありがとうございます!」
というワード。

意味わかんないと思うので、もう少し日本語っぽく解説すると、
「こんなお金払って得られるくらい価値のある情報を無料で出しちゃうんですか!?ありがとうございます!」
みたいな情弱ムーブだ。

「価値ある」というのは「稼げる」に置き換えてもいい。

ちなみに2010年代に流行ったいわゆるネットビジネスはブログからインフォトップに誘導しPDFなどの情報販売をするというものだった。

これが完全にブログがツイッターに、インフォトップとPDFがnoteに置きかわっただけでネットビジネスが情弱搾取ビジネスなのは2020年も変わらないらしい。

ぶっちゃけ搾取される情弱も、情報提供者も、ひっくるめて嫌いなんだけど、この嫌悪感の正体を明確に掴めたのでnoteにまとめとく。

情報・知識に価値があるのか

結論から言えば、私はないと思っている。
いや、ないっていうのは言い過ぎだけど、売り物としての価値が低いと思っている。

少なくともそれにウン万円ウン十万円で売りさばき、販売時に約束されたサポートも受けられないみたいなビジネスはビジネスというよりほとんど詐欺みたいなもんだと思っている。

やってることはオレオレ詐欺集団が高齢者から搾取している構図と変わらない。
なのでもしあれを「情弱ビジネス」と呼んでしまうと、オレオレ詐欺集団も「情弱ビジネス」をしていることになってしまう。

そもそもネットが使える人間にとって情報や知識そのものの価値はググる手間を省く程度にしかない。

大体の情報はググれば出てくる。
特に稼ぐ系の情報なんていくらでも出てくる。
あと情報商材は、大概本よりコスパが悪いんだから本読め本という感じだ。

だからググれば出てくる情報をありがたがる姿勢も嫌いだし、ググれば出てくるそ情報を『無料で』出して有料級とかイキってる教祖は罪深いと思っている。

そもそも有料と無料の線引きがナンセンスじゃない?

彼らの文化では、有料情報と無料情報の差を「価値があるか否か」で判断しているようなんだけど、どの情報に価値があるかはその人によって違うし、状況によっても違う。

つまり情報の価値は人やタイミングによって違うので、これは価値があるから有料、こっちは無料と線引きすることがナンセンスすぎる。

しかも、繰り返しになるが知識や情報そのものの価値は低い。

有料級とかいうけど、「ここから先は有料です」みたいに知識や情報を出し惜しんだところで、どうせ競合が出すので出し惜しむだけ無駄。

なので知識そのものに価値があるわけではない。
稼ぐための情報は、ググればまじでいくらでも手に入る。

情報・知識ビジネスの真価とは

私が日頃ブログや各種SNSで情報発信しているマーケティングの話だってそうだ。

私は至って平凡なマーケティングコンサルタントなので、秘蔵のノウハウや誰も知らない裏技、私しかしてない経験なんてあまりない。

マーケティングやってる人間が普通に知っていることや、普通に経験するだろうことを知識情報として蓄えいるだけだ。

そうなってくると情報そのものにはあまり意味がないし、それよりはどう仕入れた情報や知識を生かすかということの方が重要だ。

本を読んでもうまくできないように、理論と実践には隔たりがある。
新しいことを実行する上ではわかっているのになぜかできないということの連続だ。

なので知識・情報ビジネスは、そういった知識を生かせるように支援することに真価があると思っている。

私もずっと知識ビジネスと縁のある人間

私は昔、塾で国語の先生をやっていたのだけど、あれこそが私の知識ビジネスに対する価値観を築いた原点だと思う。

塾における国語の先生の仕事は国語を教える仕事ではなくて、試験の点数上げるのが仕事。

マーケティングコンサルタントも同じで、マーケティングの知識を提供する仕事ではなくて、売上を上げる仕事なんだよね。

なのでマーケティングの知識を得た人間が、知識を生かせるようにサポートするのが私の仕事だし、個人的にはそこのサポートなしにお金はいただけないと思っている。

という私の価値観と真逆のことをしがちな「有料級の情報云々」というのが目に付くし嫌いなんだよねって話。

ちなみに。
えとみほさんのこの話も、知識そのもの(SNSマーケの知識)よりも知識を生かし方(SNSマーケやらなくていいという判断)を支援する方が価値があるという話しだと思う。

補足しておくと、本の存在は否定しないし、コンサルタントがフロントエンドとしての情報商材を販売することを否定はしない。

ただ情報だけ売り切りでまともなサポートもしない奴が嫌いという話。