「少年と犬」馳星周

 人生で初めて出来た彼氏は本が好きだった。この本がまだ単行本で出版されたばかりの頃、一緒にいた本屋で直木賞を受賞して話題に上がっていたこの本を手に取って眺めた後で、文庫本になったら読みたいと呟いて、また平置きに積み上げられた元の位置に戻した。お金がなくて文庫本しか買う余裕はないけど、潔癖で図書館の本が読めないところは私と似ていた。

 あれから、3年近くが過ぎた。時間潰しに立ち寄った本屋でこの本の文庫本が平置きで積み上げられていた。私は特に考えもせず、その文庫本を手に取ってレジに向かった。この世界のどこかの本屋さんで同じことをしているマイヘア好きの男さんがいるんだろうな、とか考えた。

 東日本大震災から12年、野田洋次郎が3.11に曲を出さなくなって2年。ずっと心の片隅に引っかかっていたものが、映画すずめの戸締りの公開でやっと解けた。震災をテーマにした作品のおかげで私たちはこの日を忘れずにいられる。忘れたくても忘れられない人たちがいる中で、事に無関心な人間になりたくなかった。

 高校生のとき、仙台と福島を訪れた。津波の被災者と話をした。同じ年齢の仙台の高校生と話をした。そして、福島第一原発を肉眼で見た。奇しくも、映画が公開された年の夏には愛媛の土砂災害の被災地である吉田を訪れていた。吉田で見た土砂が人を飲み込んでいく様子と、仙台で見た津波が人を飲み込んでいく様子が重なった。自分はただ幸いに、生きているだけなんだと、ただそれだけで無知でいられるだけなんだと思い知らされた。

 震災により職を失い犯罪に手を染めた青年から自殺願望のある少女、売春婦、余命わずかな猟師、被災により心を閉ざしてしまった息子を持つ父など様々な人物へと視点を切り替えながら物語は進んでいくが、物語の主軸にいるのは一匹の利発な犬だった。犬と人間が出会いと別れを繰り返してひとつの結末に辿り着く。犬と出会う人間はみんな何かを抱え、そして抱えきれずにいた感情を吐露していく。語りかけた言葉をどこまで理解しているのか分からなくても、言葉こそ発することができなくとも、犬との関わりを通じて人々は救われていった。犬はただ、そこにいるだけだった。

 目の前に救いたい人がいたとして、私たち人間はどんな言葉をかけようか、思い悩む。語りかけるでもなく、ただそばにいるだけで救いをもたらすことができる犬の不思議な力が羨ましく思えた。伝えたいことは意外と、言葉にしない方が伝わったりもするものなんだと、犬は教えてくれる。

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