第四十九話 お遍路を行く
こんばんワイパー
32歳男性です。
お遍路
ふむふむ。
実際にお寺を回っていると思うところがいろいろある。
ワイパーは特定の信仰は持たないものの元々信心深い方ではある。
ギャンブルでタコ負けし続けて
神も仏もあったものではない!!と人生で散々思ってきたが、
むしろタコ負けし続けてもこうやって生きていること、多くの人に助けられ導かれていることを思えば、むしろ神も仏もいる。
いや人の思いこそ神や仏なのかもしれない、とも思う。
神仏自体人間の生み出した救済のための心の拠り所であるとも思うが、
その多くの人間の心の拠り所が集まった結果、宗教というものは生まれるし、古来から現代に至るまで多くの信仰を集め残っているその存在自体が神仏であるとも思っている。
いわば、人間が徳を積み善行を行うための集合知であり、同時に人類の叡智であると思う。
人の思いは強い。
どのお寺を回っても絶対に巡拝者がいる。
お寺も立派なものばかり。
こんな平日のど真ん中でも人がいる。それも遠い過去から現代に至るまでそして未来に至ってもいるのは間違いない。
八十八箇所のお寺だけにあらず、全国の寺院、もっと言えばキリスト教もイスラム教も聖地があり、人は祈る。
その神仏に捧げる祈りこそがまた神仏なのかもしれない。
心を洗い、善く生きるにはどうすればいいか。
それはさまざまな宗教の開祖が至った境地であるし、その思いを受け取ってきた先人たちの思いであり、それを教えとして学び身に受け取ることが善く生きるということにつながるのだと思う。
話は戻るがここでお遍路の心得として必要な十善戒と三信条を転記する。
十善戒
三信条
正直、めちゃくちゃ耳が痛い。
人間として誠実で生きるためには当然のことではあるが、それを実践できているかどうかといえばなかなかに難しいことも多いのではなかろうか。
現世利益が仏の恵みということは人の道に外れないよう生きること、つまり公明正大であり、誠実な人間となれることこそが恵みであるだろうか。
とすれば、心に栄養を与え、人としてちゃんとすることが恵みであり
その道中はそういったことを考える修行ということであろうか。
念ずれば花ひらくと書いてあったお寺があったが念じる、祈るという過程で心の平穏を手にしていけば、いつかは悟りの境地に辿り着く、望みは叶うということだろうか。
ということを考えるということ自体が自分に足りていないものなのだと思う。
まだ道中ではあるが、残りのお寺も心を平らに拝みたい。
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