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現代のパノプティコンへ思いを馳せて

 皆さんお疲れ様です。仙崎千弥と申します。先日noteを始めたばっかりのシロートなのですが、これまでに投稿した2本の記事は読んだ方からの好評をいただいておりうれしい限りです。最近は暑い日が続いておりますので皆さんくれぐれも体調に気を付けてお過ごしください。


パノプティコンなるものについて


 さて、皆さんは「パノプティコン」という言葉をご存じでしょうか?高校で倫理を学習したことのある方にはおなじみのワードかもしれません。

  哲学の方面をガチってる人に怒られると困るので本っっっっっっっっっ当に簡単に説明させていただきます。「それめっちゃ間違ってるよ」っていう点があればこっそり僕に伝えてください。

 イギリスの功利主義哲学者であるジェレミー・ベンサム(1748-1832)は人間の幸福は計算可能であると考え、社会の構成員の幸福の総量が最大の状態(最大多数の最大幸福)を目指すべきだと主張しました。そして犯罪者については、これを死刑に処すのでなく更生させることによって最大多数の最大幸福の実現が近づくと考えました。

 そこでベンサムは囚人に生産性のある労働の習慣の獲得を促すようなシステムを考え始めます。そして「誰かに見られている、という意識を常に持っていれば頑張って働くんじゃね?」という発想に至りました。その結果、ベンサムは以下のようなシステムの刑務所を思いつくに至りました。これがパノプティコンです(拾い絵ですいません)。

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 ベンサムが考えた刑務所は建物の中心に監視塔がおかれており、それを囲むように囚人の部屋が円形に配置されています。そして上の画像では伝わりづらいのですが、この刑務所の最大のポイントは囚人には監視塔の様子が見えないが監視塔にいる看守はすべての囚人を監視することができるように設計されている点です。このシステム上、囚人たちは看守から常に監視されていることを意識せざるを得なくなり、常に労働に従事することになります。見るもの・見られるものの関係がそのまま服従させるものと服従するものの関係につながっているワケです。

 ちなみにこのパノプティコンはのちの時代に現代監視社会を批判するために引き合いに出されてきました。人々は常に監視されることによりその監視者=権力への服従を余儀なくされているのではないか、またそれを自明視してしまっているのではないかという考え方ですね。

以上でパノプティコンのざっくりした説明を終わります。


パノプティコンはどこに生きるのか


 では、このパノプティコンに見られる「誰かが一方的に誰かを監視できる」という構造は現在どのような場面で用いられているのでしょうか?僕は一つの例を思いつきました。




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 皆さんはマジックミラー号なるものをご存じでしょうか??(本当は画像を添付したかったんですがちょっと今回はやめときます)

 マジックミラー号とはアダルトビデオメーカーソフト・オン・デマンド株式会社が開発した移動スタジオであり、側面がマジックミラーでできているため車の内部からは外の様子を見ることができますが外部からは車の内部の様子が分からないという代物です。つまりパノプティコンなワケです

 で、何のためにそんなものが必要なのかと言いますと、もう、ね、車内でエッチをするためですね。つまりマジックミラー号とは「車内で他の人にバレないようにエッチしつつ、他人から見られているような気分も味わっちゃおう!」という純正変態アイテムです。まったく、ソフト・オン・デマンド社は何を考えてるんだ一体(でもちょっと嬉しい)。

 

本家との比較


 マジックミラー号が「内部からは外部が見え、外部からは内部を確認できない」という構造の面でパノプティコンと共通する性質を持っているのは事実ですが、よくよく考えると両者の目的は大きく異なっています。

 パノプティコンは「内部から外部を監視する」ために上記のような構造をとっているのに対し、マジックミラー号はむしろ「外部から見られている感」を演出するためにこのような構造がとられています。たしかにマジックミラー号の構造は「外部の様子を見えるようにするため」のものではあるのですが、「外にいる人に見られているような気分を味わう」という点にマジックミラー号の意義があるとすればむしろその目的意識はパノプティコンのそれとは真逆であるといってもいいかもしれません。パノプティコンが内から外への視線を生み出すのに対し、マジックミラー号は外から内への視線を演出しています。

 じゃあ、パノプティコンとマジックミラー号って結局は全くの別物なンですね・・・

 な~んて言ってしまうのは非常にナンセンスです。ナンセンスですよ奥さん。


Utilitarianismへ向かって…


 まずマジックミラー号ってのはそもそも何のためにあるのかと言えば、アダルトビデオの撮影のためですね。二人(場合によってはそれ以上)の男女が車内で愛し合う様子は手練れのロケクルーによって撮影され、やがて一本のアダルトビデオとなって退屈な俗世に解き放たれるわけです。

 そうすると俗世に退屈した多くの男性と少数の女性がそのアダルトビデオを購入して、まぁ詳しく書くことはしませんが、それをつかって幸せな時間を過ごすわけですね。

 アダルトビデオが購入されると、当然ながらそのアダルトビデオのメーカーに利益がもたらされます。その利益は撮影に参加した女優・男優・ロケクルーの給料となって彼らの幸福の一助となり、また利益の一部はメーカーが新たな仕事を始めるためにも用いられより大きな利益へとつながっていきます。

 そう、マジックミラー号は多くの人に幸福を提供し、さらに大きな幸福の追求をも可能にする装置になっています。ソフト・オン・デマンド社がそのことを自覚しているのか否かはさておき、マジックミラー号はパノプティコンと同様に我々を最大多数の最大幸福へと確かに導いているのです。間違いない。間違いねぇンだよ。ベンサムの意思はどういうわけか日本のアダルトビデオメーカーに引き継がれ、その仕事は現代に受け継がれています。もしもベンサムが現代に生きていたなら、きっと彼はマジックミラー号を指さして

That is a work of utilitarianism!(あれは功利主義の賜物だ!)

と声高らかに叫んだことでしょう。ええ、きっと。


おわりに


 僕はこのnoteがなるべく多くの人の目に留まり、かつなるべく少ない女の子の知り合いの目に留まることを願うばかりです。しかし人間の自己顕示欲というのは恐ろしいもので、僕はどうせツイッターでこの記事の宣伝をすることでしょう。ご丁寧に縮小垢の方でもすることでしょう。

 そしてシステム上、僕には誰がこの記事を読んでいるのかを完全に把握することはできません。このnoteを公開した時点で僕も「見られる側・囚人の側」に立つわけです。そんな状況を嬉々として受け入れてしまう僕自身も現代監視社会の悲しい副産物なのでしょうか。


 最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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