「嬉野」 名前の由来

こんにちは!佐賀県の嬉野温泉にある自家源泉の小さなお宿 旅館千湯樓です!今日はずーっとずーっと引っかかっていたことについて深堀してみたいと思います。それは~

「嬉野」ってなんでついたの?

初めて耳にした時 気になり(そういうのめちゃ気になるタイプ)調べてみてチクっと何かが心に引っかかり・・・つつもずーーーーっと放置してきました。20年くらい経過してやっと何が引っかかるのか、なんとなくつかめてきたのでちょっと調べてみることにしました。(誰か続きを読んでくれるだろうか…)では張りきって いってみましょーー!(^o^)/

「あな、うれしの」と言われたらしい

伝説によると、昔、神功皇后が戦いの帰り、この地に立ち寄られ、川中に白鶴が疲れた羽を浸して、 元気に飛立つ様子をご覧になり、戦いで傷ついた兵士を入れてみたところ、実は温泉が 湧いていて兵士の傷が癒えたそうです。
皇后が、それを喜ばれ「あな、うれしの」と言われたことが、嬉野の地名の起源と伝えられています。

嬉野市商工会HPより

一読目。ほうほう。ええ話やな。(チクッ←自分でも気づかんレベル)  
二読目。うん やっぱりええ話。ええ由来。素敵やん。傷を癒すか。(なにもないぞ、へんなことはないぞ  と確認しつつ読むもチクがまだある)
三読目。あかん なんかチクチクする。なんや なにが引っかかるんや

それ以降 チクチクの原因がわからなくてなるべく読まないようにしました。引っかかりすぎる、私にとって。なのにそれが何なのかわからないのが面倒すぎて。

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「嬉野」を初めて知った当時(20年くらい前)私は関西の病院に勤めていました。暇になると心のオアシスばりに癒しを求めてお年寄りのベッドサイドへ訪問しては雑談を繰り広げていた私は「ねぇ 嬉野ってトコ知ってる?」と片っ端から聞いてまわることにしました。(今思うと敬語もへったくれもなく孫(私)祖父母のような関係みたくお話させていただいておりました。皆様に感謝!!周囲に感謝!)

今のようにインターネットが普及していない時代。まして当時は携帯電話すら持っていないのが当たり前の年齢層の方々。
こちらが説明する気満々で、当時付き合い始めた旦那から聞きかじった「嬉野」についての説明をしようとしていると大抵のお年寄りがご存じでした。「うれしのか 知ってるで。九州やろ」「たしか佐賀ちゃうか」「若い頃怪我した時なぁ 近所の人に教えてもらって行ったことあるで」などなど。おぉーーーー!!みんな知ってるん?! と手を叩いてほめたたえました(ナニサマ💦)
ちなみに友達に聞いても誰一人として知ってる人はおらず。嬉野はおろか「佐賀って四国??」な子も。そうよね、私も佐賀ってはなわの歌でしか知らんかったもんね。

さてさて
「傷を癒す素晴らしい温泉地である」と完全口コミな時代に関西のお年寄りにも知られていた「嬉野」。(そんぐらい知ってるわー馬鹿にせんとってよ ぐらいのノリでした)
由来にもしっかり“白鶴や兵士の傷が癒えた”と書かれていますね。素晴らしい。そりゃ 「あな、うれしの」ですやんね。



チクチクのこと

その「あな、うれしの」を言ったとされる人

『名高百勇伝』「神功皇后」 歌川国芳 作

神功皇后(じんぐうこうごう)です。(画像はWikipediaからいただきました)
なんかひっかかりません?

政府紙幣(一円券) 1878年(明治11年)

明治時代の紙幣にもなったこの方。(日本最初の女性肖像紙幣。イタリア人の技術者が紙幣の原版を作ったために西洋風なお顔になってるそうです。画像ともにWikipediaより)
私 この方のお名前は小さい頃から目にし、存じ上げておりました。だって超地元の祭神(御香宮さん)だったから。(うーん 不思議なご縁☆)

皇后なのに、天皇の奥さんなのに、女性なのに、刀もってる絵だし(版画)「嬉野」の語源の伝説でも“神功皇后が戦いの帰り”って。
どんだけはっちゃけた人なん?ジャンヌダルク的な??って一瞬よぎりつつもなんとなくスルーし続けてきたんですよ。
大げさですけどそれがチクチクの原因やったみたいでね。時間のある時にちゃんと調べてみたいなーー って思いつつ20年w(どんだけ)重い腰がやっと今あがったわけでございます。

神功皇后

細かいことはサクッと省きますが(はぶくんかーーいw だって自信ないし中途半端だし💦よければお調べくださいませ)
今の典範では省かれているそうですが明治時代の典範では15代天皇、日本で初めての女帝として記されていたそうなんです。(ご主人の仲哀天皇と息子さんの応神天皇の間)今は“仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる”ということになってるそうです(全部Wikipedia情報)
で、その摂政時代に「三韓征伐」という(ウィキ読んだけど、もうここらへんんは興味が薄れてて意味が入ってこない💦)朝鮮半島に攻め入って服属したとかしないとか。(ひっえーーーー どんだけすごいん 外国やで 海の向こうやで 今でいう宇宙に近い感覚ちゃうん)

しかも、攻め入った時妊娠中やったらしいのですよ。お腹に応神天皇がいはる中、石を神功皇后の体内(!!)にしたためて産気がこないよう身体を冷やして戦ったとか。(石やで石ッ!!!!!)

強靭な精神。体力。信念。勇気。自分を、お腹の子を、人生を、すべてを信じる力。いやもとい、直感力にゆだねる勇気。ううううううすごい

一説によると神功皇后は卑弥呼なんじゃないか という説もあるらしいのですがこれは否定する学者さんもおられるそうで。
なぜ同一人物じゃないか、といわれる理由は「九州北部に逸話が多い」「九州は女王説が多い」ことだそう。

ほう!なるほど その逸話の一つが「あな、うれしの」なわけですね。

妊娠中でも沢山の男性を引き連れて海の向こうに戦いに挑む強い女性、神功皇后。そんな皇后が、疲れた鶴が川に羽を浸し元気に飛び立つ姿を見て「みんなここに入ってみよう!我々も元気になるかもよ!!」と少しでも元気を取り戻させたい と兵士たちに提案し、元気どころか傷が癒えていくのを見て、薬も今のようにもちろんままならない時代、「あな、うれしの」とおもわず言った。

私の勝手な妄想より

キュ━.+゚*(о゚д゚о)*゚+.━ン☆  
めっちゃ素敵。きっと子どもちゃん(応神天皇)も嬉野温泉に入れてあげたんでしょうね

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いやぁ 長年放置してたチクチクを見つめていろんなことがわかってスッキリ!しました(御香宮の祭神やったんが一番の収穫w)

とはいえ、とはいえですよ。

当館は自家源泉の温泉旅館ゆえ、当館のお風呂は嬉野温泉の泉質ではないんですよ!!(すごいオチやけどw)
当館の温泉泉質はメタケイ酸で、嬉野温泉同様 美肌の湯です(証明は女将の肌。めっちゃ綺麗。マジできれい。水道水は引かずすべての水事を自家源泉水でまかなっています。)
ただ朝食には嬉野温泉名物 温泉豆腐(嬉野温泉の重曹泉に豆腐がとろとろに溶ける美味しい湯豆腐です)を当館でもお出ししておりますが、その湯豆腐のお湯だけは(当館の自家源泉ではなくて)ちゃんと嬉野温泉の温泉水をいただいてきてご用意しております。どうぞご安心くださいませ。(急に営業トーク)

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長々とわたくしの駄文にお付き合いくださりありがとうございました。
今日の記事 実は実家の母に「神功皇后が気になるねん。すべては あな、うれしの やねん」と昨日から言われ、今日もLINEでわざわざ送ってきて色々言われたことで なーーんか私もザワザワしだしてまとめてみました。せっかく調べたし、忘れたくないし、ちゃんとまとめておきたいし、でブログの記事に起こしてみました。何時間もかかるんかなぁと気合いれて挑みきや 案外あっさりと書き終えることができてめっちゃ嬉しいです。いや、うれしいのぉです。
(おかあさーん 書いたでぇーー )

また何かあったら投稿しますね
このブログを読んでくださって、出会ってくださって「うれしいのぉーー」でした!!(よかったら泊りにきてくださいね)

では(^_^)/~




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