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私は現実存在する

命題「私は現実存在する」は、直接的真理であり「公理」とも言える。これは「必然的命題」ではない。(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716))


 「「私は現実存在する」というこの命題は、他のいかなる命題によっても証明されえない命題すなわち直接的真理なので、究極的な明証性をもっていると常に言うことができます。そして、「私は思考する、ゆえに、私は有る」と言うことは、厳密にいえば思考によって現実存在を証明することではありません。「思考すること」と「思考する存在であること」は同じことですから。「私は思考している」と言えば、「私は有る」とすでに言っているわけです。けれども、あなたがこの命題を公理の数に入れまいとするのは、それなりの理由があります。というのも、それは、事実の命題・直接的経験に基づく命題であって、必然性が諸観念の直接的一致のうちに見られるような、必然的命題ではないからです。反対に、「私」と「現実存在」というこの二つの名辞[項]がどのように結びついているのか、言いかえれば、なぜ私が現実存在するのかを見るのは神のみです。しかし、公理をより一般的に、直接的真理もしくは証明できない真理ととれば、「私は有る」というこの命題はひとつの公理であると言えます。いずれにせよ、それは原初的真理、あるいは、「複雑ナ名辞[項]ノウチデ最初ニ認識サレルモノノ一ツ」であることは確信できますし、言い換えればそれは、最初に知られる陳述のひとつであり、私たちの認識の自然的秩序のうちで理解されるものです。というのも、その命題が人間にとって生得的であるにしても、その命題を明白に形成しようとは一度も思わなかったということもありうるからです。」
(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)『人間知性新論』第四部・第七章[七]、ライプニッツ著作集5、pp.200-201、[谷川多佳子・福島清紀・岡部英男・1995])

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