世界3
世界2として全く具現化されていない世界3の対象も、世界3として存在する。また、世界3の実在性を理解することは、世界3での新発見や創造と、未解決の問題を解決する探究の、前提条件である。(カール・ポパー(1902-1994)
「書物、新しい合成薬品、コンピュータ、航空機のような多くの世界3の対象は世界1の対象で具現化されている。それらは物質的な加工品であり、世界3、世界1の両方に属している。芸術作品の大部分はこのようなものである。世界3の対象のいくつかは、(一度も演奏されなかったとしても)楽譜やレコードのように、記号化した形でのみ存在している。その他のもの――詩や理論――もまた世界2の対象として、つまり、おそらくはいく人かの人間の大脳(世界1)の記憶痕跡として記号化され、そしてそれらとともに消え去ってしまう記録として存在するだろう。
具現化されていない世界3の対象は存在するであろうか。書物、レコード、あるいは記憶痕跡とは違って、具現化されていない(世界2の記憶、世界2の意図の対象としても存在していない)世界3の対象はあるだろうか。私は、この問いは重要であり、そしてその答えは《肯定的》であると考える。
この答えは、科学的および数学的事実、問題とその解決の発見について前節で述べたことのうちに含まれている。自然数(基数)の発明(あるいは発見か?)によって、誰かが気づいたり、注意を払う前でさえも奇数と偶数は存在することとなった。」(中略)「まだ具現化されていないにせよ、これらの問題の客観的な存在は、エヴェレストの存在がその発見に先行するのと同様に、それらの意識的な発見に先行する、ということを認識するのは重要である。そして、それらの問題の存在を意識することから、われわれはそれらの解決に至る客観的な方法が存在するに違いないと気づき、さらにその方法への意識的な追求が始まるということも重要である。なぜなら、まだ発見されていない、そして具現化されていない方法の解決の客観的な存在(あるいは場合によっては、解決の客観的に存在しないこと)をまず理解していないことには、この追求もやはり理解され得ないからである。
しばしばわれわれは、古い問題に対して期待どおりの解決を得るのに失敗することを通じて、新しい問題を発見する。なぜなら、失敗を通して新しい問題、つまり(与えられた条件の下では)古い問題を解くことが客観的に不可能であることを証明するという問題が生じてくるからである。」
(カール・ポパー(1902-1994)『自我と脳』第1部、P2章 世界1・2・3、12――具現化されていない世界3の諸対象(上)pp.70-71、思索社(1986)、西脇与作・沢田允茂(訳))
(索引:世界3)
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