3歩あるけば重文にあたる 六波羅蜜寺との出会いは偶然だった
誘われる
六波羅蜜寺にお邪魔したのは、旅程最終日となる4日目でした。自分が一番行きたいと思っていた蓮華王院三十三間堂を後にし、雨脚が強まる中で建仁寺を目指す途中に、吸い込まれるようにお邪魔したのを覚えています。
誤解を恐れずに書くなら
・たまたま道すがらにあったから
・雨宿りの名目で
・なまえの響きがかっこいい。(六波羅探題と御成敗式目、武家諸法度に王政復古の大号令は日本史でかっこいい言葉四天王だと思っている。倶利伽羅峠の戦いと禁中並公家諸法度も捨てがたい)
という事柄が重なったんです。要するにフィーリングってやつっすね。
目的地をしっかりと決める旅の方が私は性に合っているんですけど、こうしたちょっとした横道逸れは、それはそれで大好物だったり。全くノープランで動くのは、やっぱり違うんです。感覚値ですが、8割プラン、2割ノープランぐらいの割合が私のひとり旅の黄金比でしょうか。
要するに御自身のお心の持ち用やないですか?
お寺の境内を歩いていると、六波羅蜜寺には、どうやらかの有名な空也上人立像が展示されているのだとか。
勿論無料では見られず、宝物館に入らなければならないのだそうな。でもその前に、実は私、龍安寺から御朱印帳デビューを果たしておりました。
御朱印帳に関してはそれだけで1本書けそうなので写真は貼りませんが、私ひとつミスを犯しておりました。
というのも、御朱印帳には表紙があるのですが、表紙から開いて左開きに御朱印をいただいていくのが基本的なルール。
しかし何故か私、裏表紙からスタートさせてしまったんです。御朱印には主に2種類あって、その場で書いていただけるものと、お家に帰って糊で貼っ付けてね、というタイプの2種類。
スタートさせた龍安寺が貼るタイプで、お次の仁和寺では書いていただいたのですが、この仁和寺で書いていただいた際に間違えて裏からお願いしてしまったのです。
今にして思えば、仁和寺の方から「ここ?本当にここでいいの?」と年を押されて聞かれた記憶がうっすらとあります。「アッハイ」って物事考えずにノータイムで答えちゃう悪い癖が災いしたんですね。
そんなこんなで裏から初めてしまった私の御朱印帳。六波羅蜜寺は他のお寺や神社に比べて、拝観者の数が少なく、御朱印をくださる方とお話する時間があったので、笑い話にしてもらいたくって、裏から初めてしまった自身の過ちを話したんです。
すると六波羅蜜寺のご担当者さんがこう応えてくださいました。
心を軽くしてくださるお話をありがとうございました。
いざ、教科書でみたやつらに会いにいく!
宝物館への入館料は600円ほどだったはず。ここには先程申し上げた空也上人立像と、平清盛坐像の2体が展示されている。
実は京都、いざしらべてみると意外と「レプリカでーす」というものが少なくない。
レプリカだろうと私の目にうつるそれは十分迫力があるので問題ないのですが、でもやっぱり本物と言われた方がテンションは上がる。
700年~800年前の作品が現代に残っているって、本当にすごい事だと思うんです。木材を基調とした作品の多い日本においては、特にそう思うのです。
宝物館は撮影禁止だった為写真はありませんでしたが、教科書に載っていた空也上人立像は見ることが出来たし(想像していたより小さかった)、平清盛坐像を直に見れたのはとても良かったですね。
教科書で見ていた時、清盛の像は書物に目線がいっていない、なんだか変な像だなって思っていたんです。
しかしいざ展示されているものを解説文とともに見てみると、これは書物を読んでいるのではなく、物思いに耽る為に虚空を見つめている清盛さんだったんだ、という事が分かりました。
20数年越しの伏線回収(自己完結型)、ご馳走様でした。
こういうものは直に見てみないと分からない事ってあるものです。撮影が禁止だからこそ、記憶に鮮明に残して帰ってくる事ができました。
その2体の像の他にも、閻魔大王の像などもあって、数こそ多くはないですが、見応えがありました。
御朱印帳の件といい、2つの像の件といい、偶然出会ったにしては素敵な出会いでした。
多分ですけど京都という町はそういうところに溢れていて、良くしらんけど入ってみよう!って行ったところが、意外と満足度高いってところ多いんだと思いますね。
やー良いところでした。
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